Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第498号(2021.05.05発行)

「海藻おしば」30年のあゆみ─ようこそ海の森へ

[KEYWORDS]環境教育/押し葉/生物多様性
海藻おしば協会会長◆野田三千代

命を育む「海の森」を形成する海藻は、さまざまな深度の環境に適応した結果、豊かな色彩と形状のバリエーションを持つ。
その多様性を学び、手で触れながら楽しめる「海藻おしば」は、30年以上前に筑波大学下田臨海実験センターで誕生した。
今では幅広い年齢層を対象とした環境教育ワークショップとして各地で実施されている。

海藻標本との出合い

伊豆半島の先端に位置する下田市の鍋田湾、エメラルドグリーンに輝く小さな入江に筑波大学下田臨海実験センターがあります。元職場の静岡県工業試験場工業部デザイン課(現・静岡県工業技術研究所)から依頼され光合成測定器「プロダクトメーター」の図面の件で海藻生理生態学の助教授(当時)横浜康継先生の研究室を訪れたのは、今から30年以上も前のことです。
海に一番近い研究棟の2階、応接セットのある研究室でした。壁に吊るされた小型の額が気になり、用件を終えて「額の中の赤いものは何ですか?」と尋ねると「ハブタエノリという海藻です。もっとたくさんの海藻がありますよ」と、隣の部屋の標本棚から出して見せてくださいました。砂が付着している海藻もあり、かすかに潮の香がしました。「海藻が紙に貼り付いている! いろいろな色や形がある! 種類がたくさんある!」。生まれて初めて見る海藻標本は、とても衝撃的でした。
私の驚き方が良かったのか、横浜先生から「少し遠いけれど1週間に1日、あるいは自宅へ持ち帰っても良いので、海藻の研究を手伝ってくれませんか?」というお話がありました。何より「海の森」が大変気になりました。それ以来、修善寺に住む私の、新緑や紅葉など四季折々の天城越えと、「海藻との対話」が始まったのです。

美しい海藻標本へ改良

黒船来航により、ペリー艦隊が下田湾で採集した数種類の海藻標本が世界に紹介されました。海藻標本の作成は黒船以前より国内各所で続けられていますが、横浜研究室にて、従来の作成法を改良した点がいくつかあると聞いています(表参照)。
水分を多く含む海藻を短時間で乾燥させることが、美しい標本作成のカギです。色止めも大切です。葉緑素はマグネシウムが結合して緑色をしているのですが、その化学結合が弱くマグネシウムが外れやすいため、すぐに緑の葉色があせてしまいます。海藻を硫酸銅の溶液で煮ると、葉緑素のマグネシウムと銅が入れ代わり、緑色のままで長持ちします。美しく作成した海藻標本は、同定時に分かりやすく、種名を早く決めることができます。また展示にも適しています。

海藻おしばの広がり

■図1 海藻おしばの作品例

標本作成後の残った海藻は冷凍保存するのですが、形が不完全なものが少なくありません。その、ちぎれた海藻を組み合わせたのが、海藻おしばアートの始まりでした。30年以上前、下田臨海実験センターにて4泊5日で実施する筑波大学生物学専攻、植物臨海実習プログラムに「海藻おしば」を組み入れました。標本作成後にハガキとしおりを各1枚、色も形もユニークなアート制作にのめり込みます。臨海実習最終日には乾燥・ラミネート加工済みの完成品を手渡します。「海藻おしばが大変楽しかった」という感想が多く、実習に訪れた学生たちにとって、下田での良い思い出になっているようです。やがて各地の小・中・高校の授業に取り入れられ、下田市や伊豆半島各自治体の生涯学習プログラムとして一般の方々向けの人気メニューとなり、素敵な作品を制作する輪が全国へ広がっていきました(図1)。広がるにつれて指導者の育成も必要となり、「海藻おしば協会」を設立しました。横浜先生はじめ、顧問は藻類専門の先生たちに応援いただいて、春の実技編と秋の講義、年2回の勉強会が開催されるようになりました。現在は約30名の認定講師が全国の施設や学校で教えています。

環境教育としての海藻おしば

■図2 海の森(海中林) ■図3 横浜赤レンガ倉庫で例年実施する東京湾大感謝祭の海藻おしば教室

現在の「海藻おしば教室」は、講義と実技の計2時間です。会場にはワカメやヒジキなどおなじみの大型海藻を含む多数の海藻標本パネルを並べるので、参加者が会場に入ると歓声が上がります。美しく楽しい作品を見て海藻のこれまでの地味なイメージが変わり、過去の参加者の作品例を見て期待感が盛り上がります。
まずDVD『ようこそ海の森へ!』(11分)を上映し、実際に海中に存在する海藻のつくる「海の森」(図2)を見てもらいます。全国各地の海中林、そして藻場の重要な役割と陸とのつながりなどが分かりやすく紹介されています。講義を通して、ほとんどの参加者が初めて海面下の森を知ることになります。それからハガキ1枚の海藻おしばの制作です。実技に入ると教室や広い会場も静まり返ります。教室では、「授業もこんなに熱心にやってくれると良いのに」と先生がつぶやき、一般会場では、「これまでの人生で一番集中した!」という中年男性の声も。誰もが夢中になってしまうのです。
台紙ハガキ1枚の材料となる海藻は、ほとんどが漂着海藻です。春の波立った翌日に浜に行くと、色とりどりの多種多様な海藻を拾えます。海藻おしば教室用には、緑藻・褐藻・紅藻の9種類の海藻を選びます。そして、通年使用できるように冷凍保存しています。
陸上では考えられないほど繊細なものや、花を咲かせず葉だけなのにカラフルなものなど、それぞれの形や色には水中で暮らす海藻たちの工夫があります。ワカメやコンブが褐色なのも、深い所に生育するユカリなどが鮮やかな紅色なのも、海中に差し込んだ太陽光のうち深い所まで届く緑色の光をうまく捉えて利用できるように、緑色の補色である赤色の色素を含んでいるためです。海藻たちにとって大切な太陽光は、海水が濁ると届きにくくなります。「光はごはん 海を汚さないで!」は、横浜先生が考案したキャッチフレーズです。
横浜先生は2018年にご逝去されましたが、筑波大学下田臨海実験センターから生まれた「海藻おしば」は、2020年は教室32回、展示5会場、講演1回を数えました。誰もが理解できる「海藻の美しさ」が入り口なので(図3)、数年前にはオーストラリアの水生植物学会、2020年は韓国の押し花の団体からも依頼があり、海外に広がっていきました。最近は毎年、国内の博物館や美術館で海藻おしばの展覧会を開いているため今後は新作づくりにも力を入れたいです。協会としては、認定講師たちと共に環境教育としての「海藻おしば教室」の実施を国内外へ広げていきたいと願っています。(了)

  1. 海藻おしば協会ホームページ http://kaisou048.jp/
  2. 野田三千代氏は、2021年3月17日に日本藻類学会特別賞「岡村賞」を受賞されました。

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