Ocean Newsletter

【Ocean Newsletter】バックナンバー

第496号(2021.4.5 発行)

ヒトは疫病とどう闘ってきたか─海からのメッセージ

[KEYWORDS]防疫/海の病い/海への逃避
山梨県立富士山世界遺産センター所長◆秋道智彌

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)蔓延が第3波にある渦中、「海とヒトの関係学」シリーズの4冊目となる『疫病と海』が2021(令和3)年3月4日に刊行された。将来における水産物の安全性と健全な環境保全のためにも、「海の病い」の増加は経済活動の活発化と連動する。ポストコロナ時代を見据えるとき、海を舞台に展開してきたヒトと疫病の闘いの歴史から、多くのことを学ぶことができるのではないか。

疫病と海

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)蔓延が第3 波にある渦中、「海とヒトの関係学」シリーズの4冊目となる『疫病と海』が2021(令和3)年3月4日に刊行された。本書は、海をめぐる食、生物多様性、所有と権利のテーマにつぐものである。疫病関連のトピックスは、過去のOcean Newsletterではそれほど取り上げられてきたわけではない。病院船、防疫体制、バラスト水などの掲載があったものの、数からしても決して多いとはいえなかった。
だが、2019(令和元)年の暮れあたりから現在に至るまで、コロナ関連の情報がメディアで取り上げられない日はない。病院関係者をはじめとして新型コロナウイルス感染症対応に従事されている方々の壮絶な毎日の取り組みに頭の下がる思いである。新型コロナウイルス感染の動向は、人の移動と接触によることは間違いないが、ことさらに海をキーワードとしてみるとどのような問題が浮かび上がるのだろうか。

図1 「海とヒトの関係学」の第4巻目となる『疫病と海』(編著:秋道智彌・角南篤)の表紙

クルーズ船と病院船から考える戦争と平和

図2 新型コロナウイルス感染者を無人島の小スバル島に運ぶ船

思い返せば、昨年2月、横浜港に巨大なクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセス号が停泊し、乗客乗員の検疫が連日おこなわれた。クルーズ船の楽しい船旅が一転して恐怖と不安の蔓延する船室隔離生活となった。
本書の第2章では海運に着目し、病院船やクルーズ船における疫病の問題を扱った。大型クルーズ船の香港人男性に端を発するコロナ禍拡大のいきさつや防疫上の問題については本書でも取り上げているが、クルーズ船には感染者を完全隔離する構造がなかった。5階から7階の吹き抜けの大部屋で複数回のパーティーがあった。食事と飲み会での感染が十分に考えられる。船には世界57カ国から船員1,068人、乗客2,645人の計3,713人が乗船していた。2020(令和2)年4月15日までに確定症例712例、14例の死亡が確認された(山岸ほか2020)。その他、検疫官や船会社の医師ら9人が感染した。
ダイヤモンド・プリンセス号のインドネシア人乗務員のうち、9名は日本国内で収容され、残りの69人は羽田からチャーター便で帰国後、西ジャワのインドラマーユから病院船Dr.スハルソ990でジャワ海にあるプロウ・スリブ諸島の無人の小スバル島に移送された。以前、住民の住む島に中国から帰還した感染者を隔離しようとして地元住民の猛反対を受けての措置であった。
病院船について少し振り返っておこう。日本では1936(昭和5)年竣工した「氷川丸」がよく知られている※1。氷川丸は日本とシアトル航路の定期貨客船として活躍した。第二次大戦中は海軍に徴用され、病院船として改装された。東南アジア、ミクロネシア方面からの負傷者を日本に輸送し、3年半に計24回の航海で3万人にのぼる戦傷病兵を内地へ輸送した。航海のさいに3度、触雷したが頑丈な鉄板のために沈没することはなかった。戦後も病院船として上海、台湾、インドネシア、ニューギニア、ミクロネシアなどからの復員兵を運んだ。戦時下では、戦地での負傷兵を輸送する病院船はジュネーブ条約で攻撃の対象とはならなかった。しかし、船体を白く塗り病院船とみせかけた船舶が武器や兵士を輸送するような違反行為が後を絶たず、撃沈、拿捕される例が多数あった。
日本で日清戦争後、大陸から帰還した23万人もの兵士は上陸前に検疫を受けた。大規模な検疫所が似島(広島市)、彦島(下関市)、桜島(大阪市)に整備された。戦後の検疫は近代では常識であったが、過去の戦争では帰還した兵士を検疫する体制はなかった。ただ、平和時でも疫病の防疫のための検疫はヨーロッパで14世紀以降からおこなわれていた。しかし、15〜17世紀の大航海時代以降、探検隊に対する徹底した検疫がなされたわけではなく、世界各地で疫病の蔓延を引き起こしたことが知られている。

海に逃げる戦略

これまでの医療史・疫病史の研究には膨大な蓄積がある。しかし、疫病と海について真正面から取り上げた研究はない。本書の第1章では、人類の疫病と海との関係性を人類史的視点から論じた。人類と疫病との長いかかわりを俯瞰することが大切と考えた。とくに、海を介したヒトとモノの移動が大半を占めてきた歴史を勘案し、疫病の拡散に海が大きなルートとなったことを明らかにした。
これを受けて、第4章、第5章で人類はいかに疫病を封じ込めてきたか、疫病にどのように人びとが対応してきたのかについて歴史的・民族誌的な事例をもとに検証した。樺太アイヌは疫病の拡散にたいして、「山に逃げる」戦略を講じた。東南アジアの漂海民であるモーケン、オラン・ラウト、バジャウなどの海住まいの人びとは陸地が疫病の巣窟として、陸を離れて海へと逃げた。江戸時代の九州の漁民も、人の住まない無人島や離れ小島へと逃避した。一見して受動的な感染対策と考えがちだが、都市や居住地に固執する現代人が考えるべき行動の可変性・柔軟性を体現した点を歴史や地域の文化から学ぶことができる。

海の病い

海に由来する、ないし派生する疫病についても取り上げた。第3章では、海自体が疫病を拡散する要因となる例を海洋生態学・水産学的な観点から論じた。水俣病は、食物連鎖を通じてヒトが有害な物質を消費したことによる公害病であった。環境攪乱物質は生物濃縮され、知らぬ間に人体に取り込まれ、われわれを汚染にさらす。マイクロプラスチックに結合した有害物質はそれこそ世界中の海に蔓延しており、新型コロナウイルスよりもたちが悪く、今後ともに消え去ることはない。さらに、バラスト水のように外来種を世界に拡散させる例も見逃せない。将来における水産物の安全性と健全な環境保全のためにも、「海の病い」の増加は経済活動の活発化と連動する。
今回の出版のなかで、疫病と海の包括的なかかわりを提示することができた。ポストコロナ時代を見据えるとき、海を舞台に展開してきたヒトと疫病の闘いの歴史から、多くのことを学ぶことができるのではないか。海にはコロナ禍は皆無である。海に逃げる手は最期の砦かも知れない。(了)

  1. ※1「近代日本の海運史を伝える~日本郵船歴史博物館と日本郵船氷川丸~」Ocean Newsletter 428号参照(https://www.spf.org/opri/newsletter/428_2.html
  2. 【参考】山岸拓也・神谷元・鈴木基・柿本健作 2020「ダイヤモンド・プリンセス号新型コロナウイルス感染症事例における事例発生初期の疫学」IASR(病原微生物検出情報) 41: 106-108
ページトップ