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オーシャンニューズレター

第468号(2020.02.05発行)

クジラ取りの系譜―生業捕鯨と商業捕鯨

[KEYWORDS]クジラ取り/IWC/商業捕鯨
人間文化研究機構国立民族学博物館教授◆岸上伸啓

クジラ取りは、歴史的に見ると生業捕鯨と商業捕鯨の系統の二つに大別される。
捕鯨は自然環境や動物保護のための反捕鯨運動やクジラの生存を脅かす温暖化などの環境問題を抱え、いずれの系譜についてもクジラ取りの将来は明るいとは言い難い。
しかし、捕鯨の存続は人類の文化の多様性の維持のためにも、人類の予測がつかない将来のためにも必要であり、今後も捕鯨の動向に注目していかなければならない。

世界のクジラ取りの系譜

クジラ取りの系譜は、歴史的に見ると生業捕鯨(先住民生存捕鯨)と商業捕鯨の系統の二つに大別することができる。前者は現在でも細々ながらロシアのチュコト半島、アラスカ沿岸地域、カナダ極北地域、グリーンランドにおいて続いている。一方、商業捕鯨は10世紀頃から20世紀半ば頃まで栄えた。ここでは、世界の捕鯨の系譜、日本の捕鯨の系譜、アラスカの捕鯨の系譜について、商業捕鯨と生業捕鯨に関連づけながら紹介し、人間とクジラの関係の変化を考えてみたい。
人間が数千年前からクジラを利用していたことは考古学的に分かっている。13世紀頃に南欧のバスク人は、鯨油を求めて大西洋に出て行った。鯨油は、欧米人にとってランプの燃料や石鹸の原材料として貴重な資源であった。19世紀には欧米人による捕鯨活動は太平洋・インド洋にまで拡大した。20世紀にはいるとさらに南極海へと広がり、クジラの乱獲の時代に突入し、世界の海域でクジラが激減していった。捕鯨関係者はクジラ資源の枯渇を懸念し、資源管理をしながら捕獲するという立場に変化した。
1946年には国際捕鯨取締条約が締結され、1948年に国際捕鯨委員会(IWC)が発足した。その設立目的は、クジラ資源を保護し、健全な捕鯨を発展させることであった。しかしながら石油の普及で鯨油の採算がとれなくなると、多くは捕鯨から手を引いていった。当時、南極海で捕鯨を行っていた国は、ノルウェーや日本などの6カ国のみとなった。
1972年の国連人間環境会議で、米国代表は商業捕鯨の10年間のモラトリアム(一時的な捕獲の停止)を提案したが、IWC総会では捕鯨国からの反対で採択されなかった。しかし1982年のIWC総会ではモラトリアムを承認し、1990年まで13種の大型クジラの資源量を調査し、1975年に導入した持続可能な捕鯨のための管理方式を検討することになった。この決定により商業捕鯨は衰退した。1990年代に入ると商業捕鯨の再開は、きわめて政治的な問題となる。ノルウェーは、モラトリアムを受けて一時商業捕鯨を停止したが、モラトリアムに留保を表明し、1993年からミンククジラの商業捕鯨を再開した。アイスランドもモラトリアム決定に対する留保を表明し、2006年から商業捕鯨を再開した。日本は商業捕鯨を停止し、国際捕鯨取締条約の第8条に基づき、北西太平洋と南極海、日本近海において調査捕鯨を1988年から2019年6月まで実施した。
グリーンピースなどの環境保護NGOは、1970年代より商業捕鯨を禁止するための反捕鯨キャンペーンを世界各地で繰り広げた。クジラは世界各地で環境保護のシンボルとなり、守るべき対象となった。現在、IWC加盟国においては反捕鯨国が多数派だが、捕鯨支持国も一定以上存在する。しかしながらモラトリアムを定めた国際捕鯨取締条約附表の修正には四分の三以上の同意が必要であるため、国際捕鯨取締条約の修正や商業捕鯨の再開はできない状態が続いた。2019年6月末には日本政府はIWCから脱退し、7月1日より日本の排他的経済水域での商業捕鯨を再開した。しかし、国際的な趨勢から見ると商業捕鯨の存続は風前の灯である。

日本とアラスカ地域

日本の捕鯨の始まりは縄文時代までさかのぼり、世界的に見ても最古の可能性がある。日本では組織的で大規模な商業捕鯨は、1573年頃に伊勢湾の知多半島で始まり、1592年には鯨組が形成された。1677(延宝5)年に太地で網取り捕鯨方法が発明され、それが各地に伝わると捕鯨はさらに発展し、九州西海地域や長州、土佐、紀州などで一大産業へと成長していった。江戸末期になると、突然、日本の沿岸地域における大型クジラの捕獲数が減少した。さらに、1830年代にはアメリカなどから来た捕鯨船が日本近海に出没し、捕鯨をするようになった。このため、明治になると日本の沿岸捕鯨は一時、衰退した。その後沿岸捕鯨に加え、遠洋捕鯨が始まる。1899(明治32)年にノルウェー式捕鯨を開始し、1934(昭和9)年に南極海で母船式捕鯨に参入したが、第二次世界大戦の勃発とともに衰退した。
戦後、日本における食糧難を見過ごすことはできないと考えた占領軍本部(GHQ)は、捕鯨船を南極海に派遣し、捕鯨を行い、その産物を日本国民に提供することを1946年に承認した。1950年代に入ると日本の捕鯨業は南極海を中心に大きく発展し、各国が捕鯨から撤退していく中、1950年代終わりには世界一の捕鯨国となった。
しかし1982年のIWC 総会においてモラトリアムが提案され、採択された結果、日本は大型鯨類の商業捕鯨を一時停止し、調査捕鯨を開始することになったのである。
一方、アラスカとシベリアの間にあるベーリング海峡沿岸地域で食料や建材としてクジラの利用が始まったのは約3,500年前であり、約2,500年前にはより積極的にクジラを捕獲し始めた。アラスカ沿岸地域に住むイヌピアットとユピックの生業捕鯨は1,000 年以上の長きにわたって続いている。1970年代にアラスカ先住民の生業捕鯨が盛んになるが、過剰捕獲を恐れたIWCは捕獲頭数に上限を課すなど、捕鯨に関する規制が実施されるようになった。
アラスカ先住民イヌピアットは近海を回遊するホッキョククジラを狩る。彼らは、クジラが自らの意志で命を提供してくれると考え、他の人びとと分かち合わなければならないと考えている。祝宴を伴う祭りも開催され、村人やクジラとの関係が活性化される。クジラの霊魂は、儀礼を通してクジラや神の世界に送り返される必要があり、人間の所有物であるとは考えていない。

海氷原上でのクジラの解体作業 先住民イヌピアットによる春季捕鯨

クジラ取りの将来

欧米社会におけるクジラに対する見方は20世紀以降、資源とみる見方から保護すべき象徴的な生き物であるという見方へと変貌してきた。日本の捕鯨の特徴は、クジラの部位を残らず利用する点や捕獲したクジラを供養する点である。現代でも商業捕鯨に反対する人びとよりも支持する人びとが多い点も欧米社会とは大きく異なる。一方、アラスカ先住民イヌピアットらはクジラを彼らの命と文化を存続させてくれる尊敬すべき生き物と考え続けている。筆者は、人間にとって捕鯨は食料確保の点において地球環境への適応手段の一つであり、その存続は人類の文化の多様性の維持のためにも、人類の予測がつかない将来のためにも必要であると考える。
21世紀に入り、捕鯨の存続を脅かす事態が発生している。一つは欧米人を中心とした自然環境や動物保護のための反捕鯨運動のグローバルな展開であり、もう一つはクジラの生存を脅かす、温暖化や、水銀やマイクロプラスチックなどによる海洋汚染という環境問題である。どの系譜にせよ、クジラと人間との関係は歴史的に変化し続けており、クジラ取りの将来は明るいとは言い難い。しかし先住民による捕鯨が近い将来に消え去る必然性も理由も見つからない。地球温暖化などの環境変動や反捕鯨運動などが全地球的な展開を見せる現在、今後のクジラ取りの動向から目を離すことはできない。(了)

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