Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第454号(2019.07.05発行)

町おこしになった海軍グルメ

[KEYWORDS]艦めし/町おこし/海軍料理
海軍史・海軍料理研究家、元海上自衛隊一佐◆高森直史

町おこしはアイデアと地元の熱意から生まれる。
海軍に縁の深い二つの町から生まれた「艦めし」。観光の目玉に発展した舞鶴と呉の努力と、ますます盛んになりつつある海軍グルメのブームの現状について述べたい。
これからも本当の海軍食文化を伝えていくことが私の務めだと思っている。

二つの「海軍の町」の取り組み

「海軍グルメ」とか「艦めし」という言葉が近年定着した感がある。「海軍食」とも言ったりする。要するに、海軍の食事が現代にも通用し、通用するどころか「うまくて、その上健康志向に合う」というのが人気の背景のようである。
舞鶴といえば、戦前は海軍舞鶴鎮守府、戦後は引揚港、歌謡曲『岸壁の母』の舞台として知られるが、今ではもうひとつ「海軍肉じゃが発祥地」と地元では名乗ってもいる。
呉も呉鎮守府のあった海軍の町。「海軍肉じゃがなら、うちこそルーツ」と少し出遅れたものの、発祥地争いが過熱化し、ひところ「肉じゃが戦争」と言われた。いまでは和睦し、講和条約(?)を結んで、どちらも観光推進の実効を上げている。平和共存はいい。もともと手を握り合っての論争だったところが面白い。よく相互親善訪問もしていた。
そもそも、海軍肉じゃがの料理メモを私が海軍料理書で発見したのは昭和末期の1988(昭和63)年8月のことだった。某テレビ局の依頼で調べていて発見したのがきっかけだったが、番組放送後、舞鶴青年会議所での卓話で私が肉じゃがのことにふれたのが「発祥地誕生」に結びついた。つまり、青年会議所の中に、私の小話を聞き流しせず、これを町おこしにできないか、と考えた人がいた。この人の発起と地元関係者の努力が高まり、東郷平八郎鎮守府司令長官が若いころ留学したポーツマスまで団体旅行までして訪ねたあたりは脱帽のほかない。
東郷大将は、舞鶴へ行く11年前に呉鎮守府参謀長だった。「東郷元帥というんならウチらがさきジャガ」と呉市観光推進課の一職員が言い出したのも無理もない。かくて肉じゃが発祥地争いが拡大して、そのほかにもいい海軍の伝統料理があるとしてどちらも「海軍グルメの町」となった。舞鶴と呉―それぞれ、一部の人のアイデアから実を結んだものであって、そのヒントをもとに関係者が結束して取り組んだところに町おこしの価値がある。

「肉じゃが発祥地」をめぐる舞鶴と呉の平和な対決は続く

「艦めし」注目の背景

こういう町おこしを、海軍で食事づくりにたずさわっていた人たち(職域的には主計科員という)が知ったらびっくりするとともに喜ぶに違いない。喜ぶとともに少し複雑な思いも持つかもしれない。主計科員というのは、いわゆる「縁の下の力持ち」である。軍艦に乗っていると聞いて「ほほう、勇ましいな」と郷里の親戚から敬愛の眼差しで見られるまではいいが、「で、大砲手入れで忙しんだろ? 双眼鏡で見張りをしたり・・・」と訊かれて「飯を炊いたり、沢庵を切ったりしてる」とは言いにくい。「うん・・・艦隊勤務は忙しいが、海は広くていいものだよ」と話をはぐらかすくらいだった。前記の「複雑な思い」とはそんな感情である。
しかし、主計科員たちの苦労が戦後70年以上たって報いられてきたように感じる。町おこしで昔自分たちが作っていたフネのめしが近頃「艦めし」とか呼ばれて関心が高いと聞いて嬉しくないはずはない。目立たない、きびしい仕事だったが、一生懸命やった甲斐があった……もう、いまでは亡くなった人も多いが、それが労苦の償いになると思う。
私は終戦の年が国民学校一年生で、そのころは疎開先の熊本では海軍の姿を見ることもなかったが、伯父が海軍の機関中尉で、スマートな海軍士官姿の写真があったのは覚えている。高校卒業後東京大森の佐伯栄養専門学校に進み、将来は栄養士の道を選んだのだったが、学校で「脚気は海軍が食べ物で克服した」ということを聞き、海軍の後身である海上自衛隊幹部候補生学校へ入学した。海上自衛隊では、昔でいう主計科士官になったのも宿命的なものだったようだ。47歳になってから栄養学を再勉強して管理栄養士の資格も取った。現在、海軍料理を通じた健康料理普及に活動できるのも海軍のおかげということになる。

舞鶴市の新たな町おこしに加わった元海軍料亭松栄館での海軍料理(2018年10月オープン)のポスター

二つの町の「ご当地グルメ」の近況

肉じゃがが契機となって、2003(平成15)年以降、呉では飲食組合が中心となって海軍グルメの検討会、試作・試食会を重ねて10数種のメニューも追加、数店のレストラン等で販売されており、町おこしにかかわった人たちの熱意が実った。
舞鶴では一昨年来、海軍の「ほんまもんグルメ」を提供するプロジェクトがつくられ、2018年10月から旧海軍料亭「松栄館」が文化財保存認定を受け、レストランとして本物の海軍カレーほか数品の「ほんまもん」を提供する観光コースのルートになっている。
海の男の料理が発展した背景には、海軍があり、世界を結ぶ広い海があったからだと思う。
蛇足になるが、「ほんまもん」といえば海軍発祥の肉じゃがは、現在国内で見かける「肉じゃが」と少し作り方が違う。水は一切使わない。最初に肉を炒めながら砂糖をまぶし、あとは手順どおり材料を入れる。焦がさないように火加減だけ監視が必要。食材から出る水分で味が違う「ほんまもん肉じゃが」が味わえる。(了)

海軍レシピに添って作った肉じゃが(通常の肉じゃがとは多少異なる)

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