Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第454号(2019.07.05発行)

マラッカ・シンガポール海峡の航路管理について

[KEYWORDS]航行安全/航路標識/国際協力
(公財)マラッカ海峡協議会技術アドバイザー、第11回海洋立国推進功労者表彰受賞◆佐々木生治

島国であるわが国の経済活動は船舶輸送によって支えられている。
マラッカ・シンガポール海峡は、その重要な海上輸送ルートのひとつである。
この海峡の航行安全のための活動に日本が乗り出してから半世紀が経過した。
海峡沿岸国が主権を有し、沿岸国間での領有権問題等でしこりが残存する海で、他国がこれほど深く、かつ継続的に関与することは異例である。国家機関や裁判所、条約機関が国際海洋法を統合的・発展的に解釈・適用していく必要がある。

始まりはオイルロード

1960年代後半からの高度経済成長に伴う石油消費量の増大は、海上輸送を担うタンカーの大型化と隻数の増大をもたらした。1970年代には、原油積載時にはマラッカ・シンガポール海峡(以下、マ・シ海峡)ルートを利用せず、ロンボク・マカッサル海峡を迂回する超大型タンカー(ULCC、ultra large crude (oil) carrier、30万重量t以上)も建造された。
現状における中東と日本を結ぶ海路は、その中間地点に位置するマ・シ海峡航路の利用が最短ルートである。迂回ルートを利用していたULCCも現在はなくなり、原油輸送はVLCC(very large crude (oil) carrier、20-30万重量トン)によるマ・シ海峡ルートに帰着した。航海日数の短縮は、日に100tの燃料を消費するVLCCの運航コストに大きく影響する。
タンカーをはじめとする大型船は、航行しようとする場所の海域条件に適した仕様で建造される。マ・シ海峡向けの場合には、ここの水深に合わせた喫水としなければならない。この海峡には、海底から船底までの余裕高を常時3.5m以上確保する規則がある。この数値に落ち着くまでに、少しでも喫水を深くしたい日本と、座礁事故回避を理由に、十分な余裕高が必要であると主張する沿岸国との協議に、6年もの歳月を費やしている。
輸送効率の向上を目指して、船の喫水は限界まで深くなる。正確な海図の刊行や航路標識の設置は、航海者からの当然の要請であった。およそ1,000kmに及ぶ世界に類を見ない長さのマ・シ海峡だが、たった一か所の水深に支配されて、世界のVLCCの標準船型が決まったといっていい。海図水深で最深23mの場所がルート上にあり、ここがタンカーの大型化を阻み、最大喫水19.5m内外の世界標準を生み出した。この値こそが、潮高を気にすることなく、ルールを順守しての航行が可能な喫水だったのである。

島国の経済を支える船舶輸送

第二次世界大戦の軍政の記憶から、日本政府が直接表に立つことに沿岸国政府が不快感を抱くとして、民間ベースでの支援組織「マラッカ海峡協議会」が1969年に立ち上げられ、現在まで支援が続いている。政治色を一切持ち込まずに、長期間にわたって時には危険な作業環境の中で、一人の犠牲者を出すこともなく続けてきた航行安全のための活動が、沿岸国との信頼の醸成に結びついた。
かつては、オイルロードなどと形容され、中東から日本への原油タンカーの通り道としての印象が強かったマ・シ海峡だが、現在はLNG、鉄鉱石、石炭等のエネルギー関連物資はもとより、対外依存度の高い衣食住に関わる原材料など、多種にわたる輸出入貨物がこの海峡を船で移動している。物に留まらず人の移動も加わって、現場の海にいて豪華客船が目に入らない日はほとんどない。貿易先の相手国と陸路による輸送ルートが存在しない島国日本にとって、船舶による物資の安定的な輸送がわが国の経済を支えているのである。

航路管理の現状

マ・シ海峡の全長およそ1,000kmの約半分に相当する東側500kmの区間に西航・東航を分離した通航レーンが設定されている。航行する大型船舶は、指定された目に見えない航路を進んで行く。その際の目印となるのが航行援助施設と呼ぶ航路標識である。東京・大阪間に匹敵する距離に設置されている標識は50基ほどとなるが、この内の30基の標識は、日本が整備して沿岸国に寄贈したもので、その機能維持に現在も日本が協力している。この他に、インドネシア・マレーシア・シンガポール3国が独自に管理しているこの区間の標識は、合わせて500基に及ぶ。
いうまでもなく、寄贈されたものとはいえ、航行援助施設の維持管理責任は一義的には沿岸国にあるが、海峡を利用する日本船舶のための標識であるとの沿岸国側の意識から、手入れがおろそかになるであろうことは自明の理であった。初期の設置から10年ほどが経過した頃、航行する日本船舶から灯りが消えているとの苦情が入る。これを受け、1982年2月から日本と沿岸国共同での定期的な点検作業が開始され、標識機能の維持が図られてきた。航路標識は特定の船のみの航行を支援するものでなく、すべての船が平等に利用可能な施設である。タンカー中心の航行を前提としてきた航路整備活動に、出資する側に異論も出てきた。その機能維持に要する費用は、利用者が協力して負担して当然であり、国連海洋法条約第43条「海峡利用国と海峡沿岸国の協力」の精神に叶うものとして、(公財)日本財団が沿岸国と協力し、世界で初めて国際海峡の沿岸国と利用国の協力のあり方を具現化した「協力メカニズム」が2007年9月に構築された。その柱となる航行援助施設基金は2008年に設立され、(公財)日本財団と、(公財)マラッカ海峡協議会を通じて日本の船主・荷主・エネルギー関連団体および、各国の出資を募って運用されている。今後もさらなる通峡船舶の増加が見込まれており、この海峡の航行安全活動に終わりはない。
マレー半島横断の運河構想も再浮上している。マラッカ海峡の混雑が緩和され、航行の安全が向上するという結果がもたらされることに異論はない。ただ、これまで幾度となく計画され、頓挫を繰り返してきた200年の歴史を振り返ると、その実現の可能性に首をかしげざるを得ない。地球温暖化がもたらす、数少ない恩恵ともいうべき、北極海航路の出現も、将来の海上輸送体系に変化をもたらすことになろうが、海上輸送の大動脈としてのマ・シ海峡の重要性はこの先も揺らぐことはない。

通航レーンと航路標識配置 インドネシア標識点検チーム

航行援助施設の将来像

将来は、海は無人の自律運航船が行き交い、軽量の船上貨物はドローンが積み下ろしを担う。離着岸をアシストするタグボートまでもが無人化されようとしている。そんな近未来の姿が現実味を帯びてきた。歴史を重んじてきた灯台を代表とする航路標識も、近い将来、いやおうなく役割の変化を強いられる。もはや、灯火は不要となり「灯台」と呼べなくなるかも知れない。海上保安庁は16年前に、灯台部から交通部に改称している。同庁所管の3,000基以上ある灯台も、既に200基ほどが統廃合で減少しているという。これからの航路標識は、無人運航船や上空を舞うドローンへの情報発信や、中継基地へと変貌を遂げることになろう。とはいえ、すべての船が自律航走するわけではなく、しばらくの期間、有人、無人船舶の併走状態が続くことになる。管理者側は、現状の標識機能を維持しつつ、将来に向けての航行援助機能の高規格化を見据えた準備をしっかりと進めなくてはならない。
タンカーの座礁や衝突事故に起因する油流出事故の深刻さは、今更説明を要しない。海も、陸も空も、重大事故が発生してから法整備をはじめとする対策が講じられるケースが少なくない。将来に向けて先走るあまり、基本的な対応がおろそかになってはならない。(了)

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