Ocean Newsletter

オーシャンニュースレター

第452号(2019.06.05発行)

海洋と人権 ─ 現代の奴隷問題を中心に

[KEYWORDS]強制労働/人身取引/女性
武蔵野大学法学部教授◆小島千枝

近年、海上における強制労働や人身売買などの現代奴隷問題も含めて、海洋における人権問題が注目されている。
現代奴隷問題にたいして緊急かつ効果的な措置をとることは持続可能な開発目標(SDGs)の目標の一つとして掲げられている。
この目標実現のためには、国際人権法の発展を考慮に入れつつ、国家機関や裁判所、条約機関が国際海洋法を統合的・発展的に解釈・適用していく必要がある。

海洋における人権問題

漁船に乗った何百人もの難民。イタリア海軍によって救助された。(c)UN Photo by Massimo Sestini

近年、海上の人権・人道をめぐるニュースが後を絶たない。2008年から急増したソマリア沖とアデン湾の海賊事件では、2010年だけで1,000人を超える船員が人質となった。2015年以降のヨーロッパの難民危機では、他国に庇護を求めて地中海を渡る途中で、溺死や行方不明になった移民は年間数千人にのぼった。これらの移民は、密航を斡旋する犯罪組織の被害者であるといわれる。昨年国連人権理事会では、陸路・海路を問わず国境を越えた移民の半数は女性であり、これら女性の多くは自国で貧困、暴力、差別に苦しんでいたことが報告された。また移民女性は、移住した国においても、苦役や奴隷労働など重大な人権侵害に遭うことが多いという※1。このことは、海上の人権問題が、国境を越えた暴力や差別の連鎖の一部にすぎないことを示している。
2014年には、タイ漁船における外国人の強制労働がメディアに取り上げられ、世界的なスキャンダルとなった。現代的な奴隷制問題として水産物輸入業者の社会的責任を喚起したばかりでなく、タイの水産物輸出先であるEUや米国で法規制に基づく措置が取られた。米国ではその後、合法的な水産物輸入を確保するためにトレーサビリティを導入する水産物輸入監視制度(SIMP)が施行された。また、2017年には発効が危ぶまれていた国際労働機関(ILO)漁業労働条約(2007、ILO188号条約)がついに発効し、漁業者の労働水準を保護することが可能になった。
漁業者に限らず、海運業に携わる船員の労働や生活に関する権利の実効的な保障も大きな課題である。海上の労働に関する条約(2006)では、締約国がその国内法で実現すべき重要な基本的権利に関連して、結社の自由、団体交渉権、差別の撤廃とならんで、あらゆる形態の強制労働の撤廃や児童労働の実効的な廃止を規定している。同条約では、従来の旗国主義に加えて、外国船舶内の船員の労働条件および生活条件を検査する義務を寄港国に課し、人権違反監視のためにポートステートコントロール(PSC)を導入したことが注目される。
これらの人権問題は、多数国間条約や国際機構を基盤として形成されている、海洋法、海事法、人権法、刑事法、労働法分野の国際法をひろく横断する問題である。しかし、国家に超越する立法機関が存在しない国際社会では、異なる国際法分野間に明確な関係性はなく、国家機関や裁判所、条約機関によって相互に参照され統合的・発展的に解釈・適用されていくしかないといえる。

現代奴隷制と国際法

奴隷や人身売買を犯罪化し処罰する条約は19世紀から存在する。世界人権宣言(1948)第4条では、「何人も、奴隷の状態に置かれ、又は苦役に服することはない。あらゆる形態の奴隷制度及び奴隷取引は、禁止する。」と規定され、その後、奴隷制度廃止補足条約(1956)や強制労働廃止条約(1957、ILO第105号条約)(日本は双方とも未批准)が締結された。
各種国際条約により、人身売買や強制労働といった現代的な奴隷行為の国内法における犯罪化や管轄権設定の義務付けがなされているにもかかわらず、世界の現状は国内法の執行が難しいことを示している。2016年の時点で、世界で4,000万人を超える人々が強制労働や強制結婚などの現代奴隷制の被害者であり、このうち25%が18歳以下の子どもであることが明らかになっている。さらに、現代奴隷制の被害者総数の71%は女性または女子児童であるという※2。こうした現状から、持続可能な開発目標(SDGs)でも、強制労働を根絶し、現代の奴隷制、人身売買を終らせるための緊急かつ効果的な措置を実施し、最悪な形態の児童労働の禁止および撲滅を確保することが目標の一つとして掲げられている。
今日、奴隷制・奴隷取引の禁止は、いかなる逸脱も許されない一般国際法上の強行規範として確立している。また、国際人権規約(1966)、女子差別撤廃条約(1979)、子どもの権利条約(1989)等の普遍的な人権条約も、現代奴隷制の被害者の人権保護において重要である。これらの人権条約には、海上の人権保障に限定した規定はないものの、一般的に、人権条約が締約国の領域内にいる個人だけでなく、例えば公海のような領域外にある場合であっても国家の管轄下にあるすべての個人に適用されることが、条約機関や裁判所によって確認されている。

国連海洋法条約(1982)と奴隷船舶

海上で奴隷行為を取り締まる場合や被害者を保護する場合に、国連海洋法条約上、いずれの国家が管轄権を行使できるのだろうか。同条約は第99条において奴隷の運送を禁止することを旗国に義務付けているが、この規定は外国船舶にたいして執行管轄権を行使することを許すものではない。第110条1項では公海上で奴隷取引に従事していると疑われる外国船舶を軍艦が臨検する権利を規定するが(排他的経済水域も同様)、第105条に規定される海賊船の場合と比べると管轄権の範囲が限られている。そもそも、国連海洋法条約には「奴隷」や「奴隷取引」の定義はないし、各国に公海上で奴隷船舶を拿捕し、法的手続きをとる権利までは与えていない。
今日の文脈に照らして、海路での人身売買、人の密輸、船舶上の強制労働や児童労働等も第110条の文言に含まれうるとする見解には争いがある。これまでのところ、旗国の同意を得ることを条件として現代奴隷行為への関与が疑われる公海上の外国船舶に対して執行措置をとることを明示的に規定しているのは、国際組織犯罪防止条約の密入国議定書(2000)のみである。2015年に英国で制定された世界初の現代奴隷法では、強制労働や人身取引などの現代的な奴隷行為を予防・発見・捜査・訴追するために海上で法執行する権限が明文化されているが、そのような権限の行使は①自国の領海、外国の領海、または公海にある英国船籍の船舶、②自国の領海または公海にある無国籍の船舶、③自国領海にある外国船舶、④自国の領海にある関係領土に登録されている船舶にたいして許されている。国連海洋法条約に照らしてみると、同法は、自国領海にある現代奴隷船舶への執行管轄権を強化した一方で、公海での執行管轄権については自国船舶か無国籍船舶の取り締まりのみ規定しており、第110条の解釈問題は回避されている。
今日の国際人権法の発展に鑑みれば、旗国が現代奴隷行為を看過しているような場合には、沿岸国管轄権や寄港国管轄権を強化することが必要である。そして同時に、公海上の奴隷船舶にたいする臨検の権利についても発展的に解釈がなされるべきであろう。2019年6月8日のWorld Oceans Dayは「ジェンダーと海洋」がテーマである。これを契機に海上における人権問題についての認識と議論が深まることを期待したい。(了)

  1. ※1Human Rights Council, Report of the Special Rapporteur on Contemporary Forms of Slavery, including its Causes and Consequences, A/HRC/39/52(2018)
  2. ※2ILO Global Estimates of Modern Slavery: Forced Labour and Forced Marriage(2017)

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