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【Ocean Newsletter】バックナンバー

第385号(2016.08.20 発行)

「船大工 ― 三陸の海と磯船」展を開催して

[KEYWORDS]木工技術/職人/和船
(公財)竹中大工道具館主任研究員●西山マルセーロ

竹中大工道具館では企画展「船大工―三陸の海と磯船」展を開催した。
「人」の技と知恵や心を取り巻く木の文化について紹介する博物館にて「船大工」を紹介し、建築と和船の歴史や特徴を道具発達史から総合的に見ることで匠の技を包括的に理解する。
これをアメリカ人の船大工によって被災地東北の磯船を再現することで実現した。異分野間の知識を交錯させ、海で生きることを職人の目線から考えようとする展覧会となった。

大工道具館で実践する「海の学び」

「船大工―三陸の海と磯船」展の会場風景

竹中大工道具館では2016(平成28)年3月26日(土)~5月22日(日)の期間、船の科学館『海の学びミュージアムサポート』の助成を受け、企画展「船大工─三陸の海と磯船」展を開催した。同館は、次第に消えていく古い時代の道具、優れた道具を民族遺産として収集・保存し、これらの研究、展示を通じて工匠の精神や道具鍛冶の心を後世に伝えていくために設立された博物館である。今日までに収集した資料は32,000 余点に上る。古い時代の優れた道具を保存しながら、「道具」を使いこなす「人」の技と知恵や心、そこから生まれる「建築」とそれを取り巻く木の文化について紹介している。
本展覧会はものづくりの国を代表するもう一つの木の文化として「和船」と「船大工」を紹介するものである。建築の木工技術に関する常設展示と和船の歴史や造船の特徴を道具発達史から総合的に見ることで、日本のお家芸である匠の技を包括的に理解できることを目的とした。つまり、陸地に限らず海においても木工の技がそこで生きるための大切な術であって、世界的に見ても特異且つ高度なものであったと認識するのである。したがって展覧会では、「どう違うか?」「何が素晴らしいのか?」に気づくことにはじまり、「どうしてそうなのか?」を理解できる構成を意識したものとなった。

三陸の和船をアメリカ人が造る

ワークショップ「船大工が語る海」

長年建築分野だけに携わってきた者が「海の学び」について考える機会を与えられたことはとても良い経験となった。多くの人も同じであろうが、海は海であってそれ以上に違いを考えることなどなかったからである。翻ってみれば和船についても同じであり、これほど多様な違いがあるとは思ってもみなかったのである。そこで本展では「和船を造る技術を保存する」という視野で計画に着手した。
すでに少なくなってしまったとはいえ、まだ各地に和船を造る船大工は存在する。しかし、あえてアメリカ人の和船研究家であり船大工であるダグラス・ブルックス氏※1にその役を委ね、氏の最新の調査成果でもある南三陸の磯船を復元することを主要な展示とした。「なぜ外国人が和船を造り続けているのか?」という疑問は、世界から見て和船を評価することであり、匠の技と海洋学という総合的な視点で海の歴史や生活を捉えられるのではないかと期待したのである。
こうして和船の魅力を木工技術史の中に位置づけることに加え、三陸沖の漁師の生活とそれを支える和船の事例を具体的に掘り下げた。震災前後でも変わらず和船が人々と海を結び付ける重要な役割を果たしていたことが、普遍的な人と海の関わりを再認識できることにつながった。ワークショップでご指導いただいたブルックス氏の師匠村上央氏が「津波がすべてを変えてしまった...」と最後に語られた時、それでも海に生きていこうとする人々の気持ちを真に理解できたような気がした。
日本が世界有数の技術立国となった原点が匠にあることはひろく一般にも認識されている。しかし、その伝統は船大工にも通じ、ひいては海に生きるために進化したものであることを知る者は少ない。一方で、和船の特徴がshell-firstと呼ばれる大板構造にあることは建造技術の基本であるが、その板を製材する技術がどのように発展してきたのかを結びつける研究は見当たらない。
刳船(くりぶね)当時の工程を再現し、製材鋸(のこぎり)の出現がどれほど大きな影響をもたらしたのかを考える。鉄鉱石を産出しない国土で大量の釘を生産できる体制が整い、細かな加工を可能とする鑿(のみ)が整うのは何時のことだったか。こうした疑問について考える。このように異分野間で横断的な視点を得ることで、技術史はそのまま職人の知恵の集積であったと気づくのである。

暮らしの中の海、体感する展示

では、海に生きるとはどういうことなのか。日本にはさまざまな人と海の関わりがあり、そこに知恵が生まれてきた。本展では船神事や海の恵みと脅威として津波の被害に触れた。津波の被害は物だけでなく、人々が生きるための意欲をも喪失させる。海と深く繋がる現地のアイデンティティを維持し、消えゆこうとしている船大工の技や和船を海に生きる民俗遺産として保存することが一義であるが、寧ろ人が神々に許しを請うという生きることの原点を海の生活から学ぼうとした。
造船作業においては釿始(ちょうなはじ)め、航据(かわらずえ)※2、船卸(ふなおろ)し(進水式)と神事を司ったが、その中で山の神、場の神、海の神にお伺いをたてることの意義を伝えてきた。今や港町神戸においても既に形骸化されつつある伝統を再現して、来館者とその時を共にしたのである。
職人修業の基本は見て盗むことにある。造船所を公開する意味は正にそこにある。しかし、それは職人の世界の話であり、理解のために膨大な時間を要する。また、展覧会の門戸を幅広い世代に広げるためには別の工夫が必要となる。本展では、展示品や解説といった基本情報以上に人から人に伝えることに注力した。
造船所では常に大工に接することができる。会期中はほぼ終日さまざまな交流が見られた。そこでは大工の師匠、家大工や他の職人、第一線の研究者らが国の内外を問わず集まり、一般人をとり込んでいた。時には子供がその輪に入ることもある。かつては日常であった建設現場が社交場となる作事(さくじ)(殿舎の造営・修理)の原点が再現されていたのである。
人は得た知識はすぐに確認したいものである。しかし、実際にはなかなかその環境を整えることは難しい。そこで、かつて船をつくって遊んでいた世代が目を輝かせた。本物の船の師匠を手本に、培った工作の技と知識を次世代に伝えようとする活気が会場を包んでいた。

展覧会を終えて

この度の展覧会は、家大工が船大工を招き、山の民に海原への道標を示されたようなものである。お互いに技を披露しながら、同じ大工とはいってもずいぶんと違うものだと感心する。あまりの違いにその訳を尋ね、海で生きる知恵を授かったのであった。お蔭様で多くの皆様にご来館頂くことができ、各方面からご好評を賜ることができた。建築主体の博物館ではあるが、今後は和船をはじめとする海の技にも関心を広めていきたいと考えている。ご協力いただいた方々に御礼を申し上げるとともに、ますますのご指導を賜りますようお願いする次第である。(了)

  1. ※1「日本で船大工弟子入り修行」ダグラス・ブルックス著、本誌359号(2015/7/20)を参照下さい。
  2. ※2航据え(かわらずえ)=船底部に船首材(水押)と船尾材(戸立) を取り付ける段階で、無事に完工をねがう祝いの儀式
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