Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第381号(2016.06.20発行)

日本人に愛された鰹節

[KEYWORDS]和食文化/カツオ資源/食育
一般社団法人日本鰹節協会事務局◆船木良浩

「和食とは?」といわれて、個々の料理名より先に、鰹節や昆布といった名前が挙がることが多い。
和食料理の根幹となる出汁の要として種々料理に活かされてきたことによる。食の欧米化が叫ばれる昨今においても、「カツオダシ」や「鰹節」といったフレーズが製品に溢れているのは、長年にわたり日本人が好み、親しんできた味として揺るぎないものであるからだ。今回、歴史、生産状況、日本鰹節協会の取り組み等を紹介する。

和食と鰹節

わが国は豊かな自然に恵まれた島国として、山や川、海からの恩恵を受けてきた。その中で農耕と貝や魚等といった魚食の文化を発展させてきた。こうして醸成された「和食文化」に寄り添うように鰹節は日本人に愛される食材として今日まで共に歩んできたといえる。まずは、鰹節の発達に関し、焙乾(ばいかん)技術導入を境にしてみてみる。
「堅魚(かたうお)」-これが『古事記』に登場する鰹節の原形とされる。製品自体は単純にカツオを天日乾燥させたもののようだ。その後、『大宝律令』『延喜式』等において、前者から改良された「煮堅魚(にかたうお)(煮てから天日乾燥し、保存性をより高めたもの)、その派生品ともいえる「堅魚煎汁(かたうおいろり)」(カツオエキス)といった製品もでてきた。このように当時より保存性の優れた食材として親しまれ、さらに貢納品(納税品)の役割をもつ貴重なものとして認められていたのである。また栄養豊富で携行性の高い鰹節は、小刀で削りお椀で煮出して飲んだり、またそのまま齧るといった現代のファストフードのように、武士の戦いの場でも重宝された。「勝男武士」といった言葉も流行る等、縁起の良い食材でもあったのだ。
1600年代に入り、転機を迎える。天日での乾燥から薪で燻す焙乾技術が採られ、現在でいう荒節が完成した。この結果、食欲をそそる香気に包まれ、また保存性が格段に向上することになった。その後、1800年前後において大阪から江戸といった海上輸送が発達していく中で、輸送途中で荒節にカビ菌が偶然発生したことで、風味が一層増し、うま味が凝縮した枯節が誕生する。ここに他国にはない日本独特の食材として鰹節は完成に至った。さらに江戸文化の隆盛と相まって、文化面でもさまざまな形で寄与することになる。神様へのお供え物(神饌(しんせん))として使用されてきたことで、民間でも贈答品や婚礼品(鰹節は背側の雄節、腹側の雌節とあり、2つ合わせると、夫婦節となる。またこの合わせた形が長寿を示す亀の甲羅に似て縁起の良いものとした)に欠かせないめでたい物となり、生活・風習に溶け込んでいったのである。

国際商材となったカツオ―伝統を受け継ぎ、守る生産地

かつてカツオ漁の中心は紀州・印南※1であった。紀伊半島の南端の潮岬周辺では、黒潮に乗ってイワシが押し寄せ、それを追う形でカツオやクジラが群来する絶好の漁場を抱えていたからである。印南漁民はカツオ船団を駆使し、群れを追って各地で活躍しており、カツオの扱いに一番手馴れた集団であったともいえる。この集団の中から、鰹節の製造・伝播に多大な貢献をした3人の先人が輩出された。その一人、角屋甚太郎は焙乾技術を採り入れ、節作りに一大転機をもたらした。しかし、革新的なこの技術はすぐには広まることはなかった。
印南漁民はカツオを追って、土佐(高知)沖にまで展開していた。保管技術が発達していない当時、漁獲後の速やかな加工処理が求められており、鰹節も例外ではなかった。土佐にも寄港地を設け、一次処理施設を持っていたようだ。こうした付き合いもあって、土佐藩は真っ先に焙乾技術を取り込み、囲い込むことに成功したのである。時を経て、この状況を打ち破り、鹿児島・枕崎に伝えた同じ印南の森弥兵衛、千葉そして静岡へ土佐(印南)與一が伝える。この3人の功績により鰹節作りは本格的に全国へと広がったとみる。

現在、鰹節生産地は、鹿児島県枕崎市(第一位)、同指宿市山川(やまがわ)、静岡県焼津市の3大産地に集約されている。いずれも冷凍カツオの主要水揚港でもあり、先の伝播の流れをくむものである。近年の生産量の推移は、表のとおりである。2005(平成17)年に全国総生産量4万tを超えていたが、近年では減少傾向にあり3万t前後で推移している。BSE(牛海綿状脳症)発生以降、世界的な魚食傾向が進み、缶詰需要が増大。カツオはマグロに替わる主要原料として国際商材へと変化し、原料調達に際してタイ・バンコクの原料相場に左右されるようになった。さらに鰹節生産者にとって、鰹節に適さない小型多脂質のカツオの増加、国内製品価格の低迷と絡みあい、厳しい生産環境に置かれている結果であるともいえよう。
このほかの産地として、高知県は、現在、ソウダカツオを原料とした宗田節の主力生産地となり、鰹節生産者はごくわずかとなる。また千葉県は特に鯖節の生産が強い。

みて、さわって、楽しみながら食を学ぶ

カツオぬいぐるみ鰹節削り体験

最後に(一社)日本鰹節協会※2の食育活動についてふれる。食育の考え方はいろいろあると思うが、以下の理由により鰹節は最適な食材の1つであると考えている。栄養豊富で良質な食品であり、また伝統食材として身近に親しまれ、かつ文化的な側面もある。加えて機械化等進んではいるが、基本的に昔からの製造工程を踏襲しており、カツオの原魚から製品化までの加工の変化が理解しやすい。
こうした自負の下、協会(および傘下会員)は食育活動を行っている。従来の製造パネルの展示、小冊子の配布といった基本的なものに加え、「さわって、削って」といった体験できる仕組みを取り入れて、より興味を持ってもらうように考えている。
具体的には、カツオのぬいぐるみを使って節の工程を説明する。頭をとり、3枚に下ろす、その半身を2つに切り分けた一片が鰹節の本節となる。言葉だけはイメージと結びつかないが、実際にぬいぐるみを分解しながら話をするとわかりやすいようだ。さらに鰹節削り体験がある。ここではケガのないよう、ハンドル式の削り器(カキ氷機をイメージしてもらいたい)を使う。鰹節は堅く、時には力のいる作業にもなるが、子どもたちは楽しげに一生懸命ハンドルを回してくる。自分の頑張り次第で、削り節がたくさんできあがってくることが嬉しいようだ。そして削った物をその場で食べてもらうと、普段とは違う、香りと味わいに驚く。やはり鰹節の味と香りは、特別なものであるのだと実感する。
魚から加工品までの一連の流れをみせていくことは、食材に対する理解や愛情、さらに食事に対する想い等に繋がっていくものだと考える。そして重要なことは、子どもたちだけではなく、一緒に訪れる保護者の方々も共に学ぶことである。食育は各家庭で、学校および地域で、地産地消も含めて考えていくことが望ましい姿ではないのかと思う。(了)

※1
2015年、和歌山県の印南町で「かつお節発祥の地」の顕彰記念碑が設置された。
印南町HP「かつお節発祥の地」 https://www.town.wakayama-inami.lg.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=169
※2
一般社団法人日本鰹節協会 http://www.katsuobushi.or.jp/index.html

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