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オーシャンニューズレター

第376号(2016.04.05発行)

北極協調体制が直面する問題

[KEYWORDS] 地政学的環境/非北極圏諸国/鋼の弧
日本大学国際関係学部国際総合政策学科 助教◆大西富士夫

冷戦終結以降の過去25年間、北極国際政治は政治的に安定した状態にあった。
しかし、気候変動の影響に伴う地政学的環境の変化による安全保障環境の新局面、非北極圏諸国の経済的進出、グローバル国際政治における西側とロシアとの関係悪化の影響といった新しい諸問題が浮上し、北極協調体制は難しい舵取りを迫られている。特に西側とロシアとの関係悪化は深刻であり、北極協調体制にも暗い影を落としつつある。

はじめに

■北極圏

冷戦終結以降の過去25年間、北極国際政治は政治的に安定した状態にあった。具体的には、1990年代に北極評議会を制度的支柱として北極8カ国(カナダ、デンマーク、フィンランド、ノルウェー、アイスランド、ロシア、スウェーデン、米国)の下で環境保護および持続可能な発展を主要な協力分野とする北極協調体制が形成され、2000年代に入ると、同体制は気候変動の影響への対処を新しい協力分野に組み込むことで発展してきた。
他方において、2007年および2012年の北極海の夏季海氷面積の著しい減少に見られるような気候変動の影響に伴った地政学的環境が変化したことによって、北極をめぐる安全保障環境が新たな局面を迎えると同時に、経済的には「最後のフロンティア」として主に資源開発及び航路利用という部門において北極経済の市場経済システムへの統合が進んできた。
さらに、より近年では、ウクライナ危機およびシリア空爆をめぐるグローバル国際政治における西側とロシアとの関係悪化が北極協調体制の行方に暗い影を落としつつある。こうした新しい変化に直面した北極協調体制は、難しい舵取りを迫られてきたが、試行錯誤をしつつ自らを新しい変化に適応させる形で対処しつつある。

気候変動に伴う地政学的変化による安全保障の新局面

まず、気候変動の影響に伴った地政学的環境の変化によって生じつつある安全保障環境の新局面についてであるが、海氷面積の減少にみられる地政学的変化に直面した北極沿岸5カ国は、北極海に接する自国の排他的経済水域の主権的権利の防衛の必要性に迫られることとなり、北極海における沿岸警備隊の運用性(オペラビリティoperability)を向上させる取り組みを行ってきた。
特に懸念される実際上の脅威は、北極海を通過する船舶や掘削を行う海洋プラントにおける遭難事故とそこから派生する油濁汚染であり、こうした脅威に効果的な対策を行うため、北極8カ国は、2011年に北極海航空海上捜索救助協力協定、2013年に北極海洋油濁汚染準備対応協力協定を締結するなど、現行の北極協調体制の下で国際的な連携を強化してきた。
両条約は、緊急時に対応するための枠組みを構築するものであり、この枠組みを実際に運用するためには北極海の厳しい自然条件の中で各国の沿岸警備隊が効果的に連携するための意思疎通と日ごろからの訓練が課題であったが、北極8カ国は継続的な協議を重ね、2015年10月に「北極沿岸警備隊フォーラム(Arctic Coast Guard Forum:ACGF)」を設立し、より実効的な沿岸警備隊協力の実施に向けた一歩を踏み出した。今後、ACGFがどこまで実効的な役割を果たせるのかという点が、北極協調体制の存続をうらなう上での1つの試金石となっている。

非北極圏諸国の経済的進出

次に、経済分野では、北極の市場経済システムへの統合の進展が進んでおり、具体的には、非北極圏諸国の北極経済への進出をもたらしている。これを北極協調体制という観点からみると、非北極圏諸国の経済的進出は、従来見られなかった新しいプレーヤーの登場を意味しており、北極8カ国は新しいプレーヤーを既存の北極協調体制の枠組みの中にいかに位置づけるのかという課題に直面した。
結論から言えば、北極8カ国は、新プレーヤーを北極評議会のオブザーバー国として既存の協調体制に暫定的に取り込むことに成功した。しかし、北極評議会におけるオブザーバー国の政治的発言力は限定的であり、今後非北極圏諸国の北極経済への進出がさらに進めば、当然のことながら、非北極圏諸国はおのずとより大きな発言力を求めることとなる。
この点に関して、特に注目されるのが、中国の動向である。中国は北極に対する姿勢を文書等の形で公開しておらず、中国がいかなる戦略を持って北極経済に進出しようとしているかという点が、北極8カ国と非北極圏諸国の間の長期的な関係性を決定する上で大きな要因となっている。

西側とロシアとの関係悪化の影響

最後に、グローバル国際政治における西側とロシアとの関係悪化が及ぼす北極協調体制への影響についてであるが、この課題は北極協調体制の存続にとって最も深刻な問題へと発展しつつある。NATO高官の言葉を借りれば、ロシアは、現在、グローバルな国際政治における西側に対する対抗措置として、北極海から黒海にかけて「鋼の弧(Arc of steel)」と呼ばれる海軍力中心の分断線を構築しつつある(C.P. Cavas, 2015)。北極海方面に限ってみても、ロシアは急速な軍備強化を行っている。
具体的には、コラ半島での北極旅団の創設(2011年)、北洋艦隊を基軸とする「北極統合戦略指令部」の設立(2014年12月)、ノヴァヤ・ゼムリャ島への長距離地対空ミサイルシステム(S-300)、近距離対空防御システム(Pantsir-S1)、沿岸防衛システム (Bastion-P)の配備(2015年)等が確認されている。ロシアの急速な北極軍事化の動きは、北極国際政治におけるロシアとNATO北極諸国との間の政治的緊張を高めつつあり、こうした政治的緊張が今後さらに強まれば、北極協調体制からのロシアの離反を招き、北極における政治的安定性は著しく損なわれる公算が高い。

ここまで現行の北極協調体制が直面する問題とそれらへの対応について見てきた。最初の2つの問題、地政学的変化による安全保障の新局面や、非北極圏諸国の経済的進出については、北極8カ国がそれらの課題を協調体制の枠組みの中で処理すべく取り組んでおり、先行きは楽観視できないものの、これまでのところ協調体制は維持されている。これに対して、最後の西側とロシアとの関係悪化の問題について、軍備強化が純粋に国家主権にかかわる事項であるため、北極協調体制は現在までのところ有効な対抗手段を見いだせていない。この課題は、北極協調体制の維持における最も深刻な問題となっている。(了)

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