Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第424号(2018.04.05発行)

超深海まで拡がっていたPOPs汚染

[KEYWORDS]マリアナ海溝/PCB/プラスチック汚染
東京大学名誉教授、第10回海洋立国推進功労者表彰受賞◆蒲生俊敬

水深10,000mを超える西太平洋の海溝底に棲む端脚類(たんきゃくるい)から、最大905 ng/gという、驚くべき高濃度のPCBが検出された。超深海にまで海洋汚染が確実に浸透している。
海洋を漂うマイクロプラスチックにPCBが吸着・濃縮され、海生生物による誤食と食物連鎖を経て海溝底にまで到達した可能性がある。
海洋の汚染防止への取り組みを強化するとともに、世界で最も多くの超深海をEEZ内に保有するわが国として、超深海の物質循環研究にも一層の進展が望まれる。

もはやクリーンではなかった超深海

深さが6,000mを超える深海(Hadal Zone)は、観測例が少なく、知識の空白部だらけである。超深海は海洋研究の最後のフロンティアとも呼ばれている。
2017年2月、ショッキングなニュースが世界を駆け巡った。英国アバディーン大学のジェイミソン(A. Jamieson)博士のグループが、西太平洋で最も深い10,000mを超える海溝底に棲む端脚類(たんきゃくるい)(ヨコエビ)の体内から、きわめて高濃度のPOPs(Persistent Organic Pollutants:残留性有機汚染物質)を検出したのだ。深さ10,000mもある海の底は当然「無垢」だろう、そんなところまで人類の汚染が及ぶはずはない、との楽観的幻想は無残に打ち砕かれた。
ジェイミソン博士(現在、英国ニューカッスル大学所属)は、自ら開発した「ランダー」と呼ぶ深海底設置型機器に餌入りトラップを装着し、マリアナ海溝(採取深度幅7,841〜10,250m)からカイコウオオソコエビ(体長4〜5 cm)を、またケルマディック海溝(深度7,227〜10,000m)からも別のヨコエビ2種を捕獲した。これらのヨコエビを化学分析したところ、高濃度のPCB(ポリ塩化ビフェニル)とPBDE(ポリ臭化ジフェニルエーテル)が見つかったのである。

PCBとPBDEの構造

超深海ヨコエビの体内に濃縮されていたPCB

数あるPOPsの中でも、PCB(塩素原子の数や立体配置の違いにより209の異性体があるので、以下PCBsと総称する)は圧倒的に知名度(悪名)が高い。不燃性・耐久性・絶縁性、どれをとっても理想的な「夢の油」として一時は大いにもてはやされ、1930年頃から世界中で約130万トン生産された。しかし生物への強い毒性(川魚の大量死、わが国の「カネミ油症事件」など)がわかり、1970年代には製造が中止された。2004年に発効したストックホルム条約(別名POPs条約)でも、PCBsには最も強い規制(製造・使用・輸出入の原則禁止)が課せられている。地上から消去したいところだが、「理想的」な性質が逆に災いして、簡易に分解し消滅させる方法がない。環境に漏れ出したPCBsは、水に溶けないため海水で希釈されることはなく、工業地帯に近い沿岸や河口域の海底堆積物、あるいは海洋表面を覆う疎水性の薄膜(ミクロレイヤー)などに偏在していると考えられる。
超深海ヨコエビの乾燥検体に含まれていた主要な7つのPCBs総量は、マリアナ海溝の6匹について147〜905ナノグラム(ng)/グラム(g)(平均値:382 ng/g)、またケルマディック海溝の6匹について18〜43 ng/g(平均値:25 ng/g)であった。これらの値の異常さは、工業地帯からの廃液に汚染された沿岸堆積物でさえ、その中に含まれるPCBs濃度(乾燥試料について)の最高値は米国(グアム)で314 ng/g、日本で240 ng/g、そしてオーストラリアで160 ng/gにすぎないことと比べるとよく分かる。他の水生生物と比較しても、マリアナ海溝で得られた最大値905 ng/gは、中国で最も汚染レベルの高い河川の一つ、遼河の水を引いた水田に棲む蟹のPCBs濃度より50倍も高い。

なぜ超深海生物にPCBsが濃縮するのか?

カイコウオオソコエビ

外洋域の、それも海面から最も遠い超深海に生息している生物に、なぜかくも高濃度の人工汚染物質が濃縮していたのだろうか。PCBsは水に溶けないので、深海へ沈降する不溶性の粒子が関わっていると想像される。ヨコエビはふだん何を食べているのか、彼らの食性を究明しようと、カイコウオオソコエビの消化酵素を詳しく調べた小林英城博士(JAMSTEC)は、その体内から特殊なセルラーゼをはじめ4種類の消化酵素を発見した。これらはいずれも樹木や植物体を分解する酵素であった。ヨコエビは海溝底に落下した流木片、枯れ葉、植物の種子などを消化してグルコースを合成できる。ヨコエビは海底に沈積した有機物を摂食し、その中から生命活動のエネルギーを獲得していると考えてよさそうである。
落下する植物体がPCBsを運ぶのかどうかはわからないが、海洋環境でPCBsの有力な「運び屋」として近年危惧されているのが、海水中のプラスチックごみである。海洋のプラスチック問題は、磯辺篤彦教授(九州大学応用力学研究所)による本Newsletterの記事(第397号、2017.02.20)に詳しい。プラスチック製品はその便利さゆえ1950年頃から生産量が急増し、現在では、世界中で年間3億トンも生産されている。リサイクルされないプラスチック製品の一部は、河川から海洋へと流出する。時間とともに劣化し、硬くなってばらばらに壊れる。北太平洋表層を時計回りに流れる亜熱帯循環系の内側に掃き集められ「太平洋ゴミベルト」を構成する。サイズが5mm以下まで細分化された小片はマイクロプラスチックと呼ばれ、海生動物に餌と見誤って摂食されやすい。海水より軽いので浮いているが、他の物質が付着すると重くなって沈降することもある。
ここで気がかりなのは、PCBsをはじめ疎水性のPOPsがプラスチックに吸着することである。高田秀重教授(東京農工大学)の研究によれば、西太平洋の日本、フィリピン、オーストラリアなどの沿岸に漂着するプラスチックペレットには、数百ng/gものPCBsが付着している。つまりプラスチックごみは、外洋域を長期間漂ううちに、表層のミクロレイヤーなどからPCBsを集めてしまう。マイクロプラスチックを海生生物が誤食すると、消化管の中で溶離したPCBsは親和性の強い脂肪にたまっていく。食物連鎖が進むほど、その濃縮度は桁違いに増加する。
超深海のヨコエビがマイクロプラスチックを誤食したのかどうかは分からないが、海洋の上層での食物連鎖を経て、PCBsを濃縮した生物の脂質が海溝底まで沈降することは大いにあり得る。海溝底には海溝斜面に降下した粒子が滑り落ち集積されやすい。海溝は工業地帯からは遥かに遠いことから、PCBsの輸送経路のどこかでプラスチックの関わっている可能性は高そうに思われる。今後PCBsの炭素同位体比などから、PCBsの出所が推定できるかもしれない。
POPsやプラスチックによる海洋汚染には、繰り返し警鐘が鳴らされてきた。その深刻さが超深海底にまで及んでいたことを重く受け止め、海洋の汚染防止に最善を尽くさなければならない。と同時に、いくつもの海溝に囲まれ、世界で最も多くの超深海水をEEZ内に保有するわが国としては、超深海の観測技術向上を図り、海溝内における生物地球化学的物質サイクル解明に向け、研究を深化させることも必要であろう。(了)

第424号(2018.04.05発行)のその他の記事

  • 海洋と気候の行動ロードマップ(ROCA)イニシアチブ グローバル・オーシャン・フォーラム代表、デラウェア大学教授◆Biliana Cicin-Sain
    元グローバル・オーシャン・フォーラム代表補佐◆Meredith Kurz
  • 超深海まで拡がっていたPOPs汚染 東京大学名誉教授、第10回海洋立国推進功労者表彰受賞◆蒲生俊敬
  • 自律船開発の国内外の取り組みについて (国研)海上・港湾・航空技術研究所海上技術安全研究所知識・データシステム系上席研究員◆丹羽康之
  • 編集後記 東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センター特任教授◆窪川かおる

ページトップ