「難民女性起業家」という言葉が問いかけるもの
皆さんは「起業家」と聞くとどのようなイメージを持っていますか。例えば、新しいサービスやテクノロジーを駆使しながら豊富な資金で自分の会社を立ち上げた人、などといったイメージではないでしょうか。私たちは今年、トルコやヨルダン、エジプトといった中東の各国において調査活動を行う中で、難民の境遇にある複数の「女性起業家」に出会いました。
イマーム広場 イスファハーン
そして、ペルシア文学の国際的な威信を象徴するのが、同じシーラーズ出身の詩人サアディー(13世紀)である。モンゴル征服期を生き、長い放浪の末に故郷で教訓文学の傑作『ゴレスターン(薔薇園)』を著した彼は、ハーフェズと並んでイランで最も愛される詩人とされる。シーラーズ北東には立派な霊廟が整備され、観光地となっている。その作品中の「バニー・アーダム(人の子ら、人類はみな同胞)」と始まる一節(人間は一つの身体の各部分であり、一人が苦しめば全体が痛みを覚える、という人類同胞の理想を詠んだ詩)は、ニューヨークの国連本部内に掲げられていると伝えられる。設置の形態や経緯については諸説あるものの、800年近く前のペルシア語の詩句が、現代の国際協調の理念をあらわす言葉として参照される。同詩は2009年1月に米国大統領に就任したバラク・オバマ氏(当時)が同年3月にイラン暦新年に際してイランの指導者と国民に向けてビデオメッセージを作成した際にも使用したことでも知られる。こういった事実こそが、ペルシア文学の奥深さを物語っている。ペルシア語の詩作は、その形式の厳格さから高度な技法が要求されるが、その技法を凝らして編み出された作品の価値は特定の国家や時代を超えて響くものとなっている。
ここで一つ、見落としてはならない視点がある。ペルシア詩は、今もメロディーに乗って歌われる生きた声だということだ。日本の琵琶法師が琵琶を奏でながら物語を語り継いだように、イランでもセタール(4本弦でギターのようなもの)や、サントゥール(打弦楽器の一種)の伴奏に乗せて詩を歌う伝統が続いている。そこで歌われるのは、時に千年も前に書かれた詩である。
このことは、裏を返せば重い意味を持つ。現代において真に意味のある作品を生み出そうとする者は、千年におよぶこの蓄積を理解していなければならない、ということだ。新しさだけでは通用しない。過去との対話なくして、ペルシア語で何かを語ることはできない。
詩のこうした力は、文芸の領域に留まらない。政治の最高権力すら、詩の言語の枠内にあった。1989年から長くイラン・イスラム共和国の最高指導者を務めたアリー・ハーメネイー師は、詩人としての顔も持っていた。同師は2025年から2026年にかけての激動(2025年6月のイスラエルとの「12日間戦争」が鎮静化、同年末から翌年初旬にかけてテヘランなどの大都市で広がった抗議活動までの奇妙な沈黙)のさなかに詩を公表している。古典の厳格な形式にのっとりつつ、自らの雅号「アミーン(誠実な者)」の意味を詩の中に巧みに織り込んだその作品は、危機の時代に指導者が依然として詩という様式を選ぶことの象徴的な意味を示していたのではないだろうか[3]。そのハーメネイー師は2026年2月末、米国とイスラエルによる攻撃で命を落とし、同国の政治体制も動揺を見せた。だが、同氏が斃れてなお、詩そのものは残る。むしろ権力者の生死を超えて持続するところにこそ、この文化の本質がある。
ペルセポリス タチャラ