本書は、当財団の日米グループが2015-17年度に実施した、研究プロジェクトでの議論を土台にしています。冒頭、茶野順子常務理事は「2016年にオバマ米大統領(当時)の広島訪問、2017年には核兵器禁止条約の採択など核軍縮の進展を期待させる動きがあった一方で、米国とロシア、米国と中国の間において核を含む新たな戦略的な競争が再開されているような動きがみられ、北朝鮮の核開発、イラン核合意の問題と、核をめぐる国際情勢は大変大きく、スピードを上げて変化している」との情勢認識を示しました。
パネル講演会は2部構成で、第1部には同書の執筆者7人のうち5人が登壇し、各章のポイントを紹介する形で見解を表明しました。
本書の共同編著者である一橋大学国際・公共政策大学院の秋山信将教授は、本書の目的について「核兵器が国際政治、国際安全保障にとってどういった存在であるのか、ということを中長期的な観点から理解することであり、そのためには各国の核政策・ドクトリンを詳細に見ていく必要があった。素晴らしいメンバーに恵まれ、大変良い著書ができ上がったと思っています」と述べました。
もう一人の共同編著者である防衛省防衛研究所政策シミュレーション室の高橋杉雄室長は、各章に共通する論点として①核兵器の役割は単に抑止力というだけではなく、国際政治のルール構築を可能にする力がある②報復に基づく抑止と、損害限定に基づく抑止力の2つがあり、後者が必要な地域がある③関係国が相互に非脆弱な核報復能力を有していれば、双方ともに核先制攻撃を行うインセンティブをもつことはなく、危機管理を有効、容易にするといった「戦略的安定性」をめぐり議論する必要がある④戦略核のレベルで安定性が生まれると、地域レベルでの不安定をもたらす可能性がある(安定・不安定の逆説)が、その出方は地域によって異なる―という4点を挙げました。
高橋氏は米国(第1章)について、冷戦時代と現在の米国の核戦略を比較し、「冷戦期はあらゆる地域戦争がグローバルな核戦争に発展し、人類が滅亡する可能性があったのに対し、今はそのリンクはほぼない。このことが近年、核抑止の専門家の間で論じられる『限定核戦争の復権』につながっている。冷戦期、米国はソ連に対し通常戦力で劣勢だった。今米軍は通常戦略の優位を全般的に保っているが、限定的にそれも揺らぎつつある。また、冷戦期はソ連だけを抑止できればよかったが、核拡散が進んだことにより、抑止戦略を相手によって使い分けていくこと(テーラード抑止)が必要だ。さらに今は中国との戦略的安定性も考えなければいけない」と述べました。
東京大学先端科学技術研究センターの小泉悠特任助教は、ロシアに関する第2章では、核兵器の限定的な先制使用を示唆し状況をエスカレートさせることで、欧米の介入などを阻止し、最終的にロシアにとって望ましい形で紛争を終結させようとする戦略「エスカレート・トゥ・ディエスカレート/ escalate to de-escalate」に焦点を当てていると説明しました。
そして「こうした考え方はロシアの戦略家たちの中に間違いなくあり、実施する能力があることも間違いない。他方で、これが本当にロシアの軍事ドクトリン、運用政策として採用されているかどうかは未だ非常に疑問だ」との認識を示しながらも、「こういう核使用を積極的にやるとは結論できないが、実施しようと思ったらいつでもできるという状態を踏まえて今後、日本としてもロシアに対する抑止政策を考えていかなければならない」と、警鐘を鳴らしました。
中国(第3章)とインド・パキスタン(第5章)については、高橋氏から紹介がありました。中国については「中国の短・中距離ミサイルの命中精度の高さを考えると、米国に届く次世代のICBM(大陸間弾道弾)の精度が上がっていくであろう。米国内のICBMのサイロさえ狙えるようになる。中国の核戦略の大きな転換点になりうる。これまで我々は、中国が移動式ICBMや潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)による非脆弱性の打撃能力をもつことを懸念してきたが、実は米国に対する決定的な第一撃能力をもちつつある」とし、こうした中で日本も拡大抑止の信頼性をいかに高めるのかを考える必要があると指摘しました。
また、インドとパキスタンについては「冷戦期から米ソの冷戦とは関係なく、印パのロジックで核兵器開発が行われてきたといわれるが、21世紀に入り戦略の発達が見られる。『安定・不安定の逆説』は印パの間に典型的にみられるという議論がある。しかし、実は『安定・不安定の逆説』は生気していないというファインディングがあった」と指摘しました。
日本については終章で詳述されており、高橋氏は「日本は安全保障環境上、世界で最も厳しいところにあり、少なくとも核に関してはそういうことが言える」としたうえで、北朝鮮に対しては「報復に基づく核抑止だけでは十分ではなく、ミサイル防衛や相手の攻撃戦力を発射前に撃破するための打撃力などを組み合わせた損害限定に基づく抑止が必要だ」と強調しました。
第4章で取り上げている北大西洋条約機構(NATO)については、日本国際問題研究所軍縮・科学技術センターの戸崎洋史主任研究員が、「NATOは『核兵器の復権』というところまでいっておらず、明確な方向性はまだ確立されていないのではないか。今後の動向を規定していくファクターの一つはロシアの脅威だが、関与政策でいこうとするのか、あるいは抑止の観点をより重視していくのか、というところが固まっていない。だからこそ核体制に対する修正や変更を打ち出し切れていない」との見解を示しました。
一方、慶応大学大学院政策・メディア研究科の土屋大洋教授は、核管理とサイバーセキュリティ(第6章)に関し、「サイバーセキュリティと核兵器の世界の大きな違いは、誰が攻撃したのかというアトリビューションの問題だ。サイバーセキュリティでは、いつ誰が攻撃したかが分からず、攻撃を受けたことが分かるまでに数百日かかる場合もある。このためサイバーセキュリティの世界では信頼醸成措置というのが起きにくくなり、核の世界をかき乱す存在として無視できなくなりつつあるのではないか」と指摘しました。
第7章の「『秩序の兵器』としての核と分裂する世界」を執筆した秋山氏は、「核兵器の非人道性をめぐって進展している世の中と、安全保障全体において核兵器を用いた戦略の在り方がより精緻化、洗練化されていく世の中が共存しており、これを私は『核をめぐって分裂する世界』と言っている」と説明。さらに「地域の安全保障の論理と、米露を中心とするグローバルな核をめぐる安定性、軍備管理の様相との間に、断絶が起こっているのではないか。本来はこれをうまく結びつけなければいけないが、地域は地域、グローバルはグローバルと分けてしまっている。それを繋いでいくのは、恐らく中国になるのではないか」との見方を示しました。