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オーシャンニューズレター

第519号(2022.03.20発行)

地域のケイパビリティーと海

[KEYWORDS]エリアケイパビリティー/地域資源/コミュニティー
東海大学海洋学部環境社会学科教授◆石川智士

生物資源の劣化という問題の根底には、経済発展のために直接的に利用できる特定の資源が重要視され、市場で価値が評価されない生物への配慮が少なかったことがあるように感じられる。
地域の持続的発展のためには、その地域で利用できる資源の数を増やし、その資源を利用しケアする人を増やすという、エリアケイパビリティー(Area-Capability)の向上が重要になると考える。

生物多様性の劣化の根底にある課題

20世紀後半は、世界的に重工業の振興と経済規模の拡大を目指した時期であった。そのような社会では、石油や石炭、工業用地や淡水など直接的に利用できる特定の資源が重要視され、市場で価値が評価されない草木や生物への配慮が少なかった。このような自然との関係性が、現代まで続く生物多様性の劣化という問題の根底にはあるように感じられてならない。特定の資源を重視し、その利用を管理するということで持続的社会を目指す姿勢と、身の回りの自然や生き物を思いやる姿勢とでは、人と自然の関わり方にどのような違いを生じさせるのか、どちらの姿勢がより地域のケイパビリティー(Capability)を向上させうるのかを考察してみたい。

エリアケイパビリティーという考え方

ケイパビリティーとは、英語で能力や性能、才能といった意味で使われるが、ここでは、潜在能力や可能性という意味で使いたいと思う。この考え方は1998年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン博士が、お金や富などをどれだけ多く所有しているかではなく、それらを獲得するために何ができるのか、その過程を重視することを主張したものである。その上で、個人が何かをできる能力(機能)やその能力を発揮する場(自由)が重要であるとし、この機能と自由を増やすことこそが開発であると考えた。例えば、魚釣りに関しての高い能力を有していたとしても、魚がいなければその能力を発揮する場はない。特に漁業以外に生活の基盤となる産業がない地域では、個人の能力強化以上に、その対象となる資源の存在が重要となる。つまり、地域の可能性の強化、地域の持続的発展のためには、その地域で利用できる資源の数を増やし、その資源を利用しケアする人を増やすことであるとするのが、エリアケイパビリティー(Area-Capability)という考え方である。
地域資源を地域コミュニティーで利用するという構図は、海での資源利用に適している。農地や山林のように区画で所有権が明確な陸域とは異なり、海では、沿岸域であっても特定個人や企業が独占的に所有できるものではない。日本では、漁業権の名のもとに商業的な漁労行為を漁協が独占しているとはいえ、多くの場合、地域住民の多くは漁協の組合員となっており、これは地域コミュニティーで利用しているということになる。
コミュニティーによって資源を利用しケアする仕組みの利点の一つは、日々の資源利用を通じてのモニタリングが可能となる点であり、そのデータや情報の信頼性の高さだろう。水産資源のプール制や共同販売などにおいても、複数の人や企業が参加していることから、水揚げや販売に関する資料は正確に残さなければならない。この仕組みは途上国などでも十分に機能するもので、タイ国において試験的に導入した漁業者コミュニティーによる定置網操業と卸売りにおいても、水揚げ量や売り上げについて正確な記録が残され、これが資源解析にも利用できることが示されている。また、売上や利益などはコミュニティー内で明示されたことから、コミュニティーメンバーのマネージメント能力向上につながった。
単なる労働者として資源利用に関わるのではなく、コミュニティーのメンバーとして資源利用を行う人が増えることは、その持続的利用に関して主体的に行動する人を増やすことにつながる。日本全国では、豊かな海づくり推進事業などが、漁協や地域コミュニティーが主体となって実施されている。かつては「つくる漁業」と称されたこれらの活動には、単なる種苗放流だけでなく、その種苗を育成する活動や、放流場所や時期を決めるための環境調査、放流後のモニタリングや仔稚魚の重要な生息域の環境改善など、様々な活動が必要となる。これらの活動を通じて、コミュニティーの多くの人が、単に対象資源の数や量を調整するだけでなく、生息環境などへの手当てが、持続的な漁業には重要であることを肌で感じ取るようになり、それが生態系へのケアへとつながっていく。

■エリアケイパビリティー(AC)サイクル
■タイ国ラヨーンでの定置網操業

多様な資源と地域のケイパビリティー

水産資源の持続的利用については、古くから資源量を推定して、そこの産卵数や成長速度などの再生産力の推定値を合わせて考え、漁獲量が漁獲可能量を超えない様にすることが重要とされてきた。確かに、クジラやマグロなど、寿命が長い生物については、この取り組みは重要ではあるが、イワシなど多産多死型の生存戦略をとる種については、むしろ産卵場や仔稚魚の生育場の環境保全が重要である。また、一度資源が劣化した場合には、単に漁獲を規制するだけで自然に資源の回復を待つのでは時間がかかりすぎ、漁業者の生活は成り立たなくなる。そのような場合は、種苗放流などの手当てが不可欠になる。ただし、受益者負担や責任者負担などの管理の考え方では、なぜ、資源が劣化したのか解明することに、膨大な時間とコストがかかる。生物資源の場合、ある特定資源の変化に関する誰かの責任を科学的に切り取って説明することは現実的には不可能と思う。
地球規模での大規模気候変動や極端気象の発生について警鐘が鳴らされている現在、環境は大きく変化し、生物や自然の在り方もその影響を強く受けることになるだろう。そのような中で、地域の持続的な発展を願うのであれば、やはり、それぞれの地域において様々な可能性を増やしていくことが地域のケイパビリティーの向上として重要なのだと思う。(了)

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