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【Ocean Newsletter】最新号

第519号(2022.3.20 発行)

月が導く深海の流れ

[KEYWORDS]深層海洋大循環/乱流混合/Missing Mixing問題
東京大学大学院理学系研究科教授、第14回海洋立国推進功労者表彰受賞◆日比谷紀之

長期気候変動を支配している深層海洋大循環は、ミクロスケールの深海乱流混合に強くコントロールされている。
しかしながら、これまで明らかにされてきた深海乱流強度では、毎秒約2,000万トンもの流量を持つ深層海洋大循環を維持することは不可能である。本稿では、深層海洋大循環の力学において長い間ボトルネックとされてきた乱流強度不足(Missing Mixing)問題の解決につながる新たな理論を紹介する。

深層海洋大循環とその駆動メカニズム

海の流れと聞いて最初に思い浮かぶのは黒潮や親潮など、海面上を吹く風の作用によって励起される海水の流れではないだろうか。このような表層海流(風成海洋大循環)が水平循環であるのに対し、深層海洋大循環は、表層の海水が北大西洋や南大洋など、高緯度寒冷域での強い冷却により重くなって海洋の深部にまで沈み込み、深層水として海底を這うように流れ、約1,500年の歳月をかけて全球を巡った後、インド洋や北太平洋において湧昇し、また北太平洋の高緯度域へと戻っていくという鉛直循環を形成している。高緯度域の冷たい海水を低緯度域に運び、低緯度域の暖かい海水を高緯度域に運ぶ深層海洋大循環は、地球の温和な気候を保つエアコンのような役割を果たしていると考えられている。実際、最近の数値シミュレーションによれば、この循環が停止すると、例えば世界的に5℃以上の気温変化が引き起こされるばかりか、海洋生物生産にも大きな影響が及ぶと推察されている。
北大西洋や南大洋などの深層水が形成されている海域では、毎秒約2,000万トンの海水が沈みこんでいるとされている。この深層海洋大循環が定常に存在するとすれば、どこかで同量の海水が深層から表層に湧昇していなければならない。この湧昇過程に重要な役割を果たしていると考えられるのが「乱流」という海洋中の1センチメートルスケールのミクロな渦に伴うかき混ぜ(混合)効果である。冷たい深層水は浮力を得ることで表層に湧昇する。海洋では、表層の海水が太陽熱で温められており、この熱が「乱流」によって下層に伝えられている。実際に、乱流が盛んに発生する場所では、その効果によって表層の熱が下層に伝わることで深層水が温まり、密度が小さくなって表面に湧昇するといった物理過程が数値実験により再現されており(図1)、深層海洋大循環の定量的な把握に深海乱流の強度とその空間分布の解明が不可欠であることが示されている。
では、乱流の駆動源は何だろうか。海洋中では、月や太陽の引力によって約12時間周期で行ったり来たりする潮汐流が高い海嶺や海山に衝突することで内部潮汐波が励起されている。筆者らの研究グループは数値実験の結果から、特に緯度20°~30°における高い海嶺や海山の周辺で生成された内部潮汐波が周囲の内部波場と非線形相互干渉することで24時間で1周する円盤状の流れ(近慣性流)が誘起され、その周辺に強い乱流ホットスポットが形成されることを理論的に明らかにした。さらに、約7分間で深度約2,000メートルまでの近慣性流の鉛直構造を測定できる投棄式流速計(XCP)を太平洋、インド洋、大西洋の広範囲にわたって約700台投入することで、深海における乱流混合強度には顕著な緯度依存性が存在していることを世界で初めて実証した。これは後に、国内企業と共同開発したわが国初の深海乱流計(TurboMap-D)による観測でも確認され、中・深層における深海乱流強度のグローバルマップの作成につながった。現在では、深度約6,000メートルまでの乱流強度を測定する深海乱流計VMP-6000(カナダ・Rockland社製:写真1左)や、先端に取り付けた乱流センサーを海底に突き刺すことで深度6,000メートルを超えない海底までの乱流強度も測定可能とした深海乱流計VMP-X(同じくRockland社製:写真1右)を用いて観測を続けている。

■図1 深層海洋大循環の物理過程
■写真1 VMP-6000回収(左)、および、VMP-X投入の様子(右)

乱流強度不足(Missing Mixing)問題と新たな理論

約2,000万トンの流量を伴う深層海洋大循環を維持するのに必要な乱流強度を励起するには、約2テラワットのエネルギーが必要とされている。しかしながら、現在までに明らかにされた乱流ホットスポットで励起された内部潮汐波エネルギーを全て足し合わせても、深層海洋大循環を維持するレベルには及ばない。
この乱流強度の不足を補う候補として、筆者らは海底凹凸地形上に形成される乱流ホットスポットの存在に注目している。そのきっかけとなったのは、乱流ホットスポットとして知られる南大洋(南極海)の存在である。南大洋は潮汐流の弱い海域として知られているが、上空を吹く偏西風によって励起された南極周極流が南極大陸を取り囲むように流れている。また、他の風成海洋大循環とは異なり、この南極周極流だけは深さ4,000~5,000mの海底にまでその流れが及んでいる。驚くべきことに、この南極周極流が局所的に強くなる海域(極フロント域)では、海底凹凸地形から海面近くにまで届くような「背の高い乱流ホットスポット」が形成されている。筆者らはこの現象の背後にある物理機構を理論的に考察し、地球上の風成海洋大循環で最大の流量を誇る南極周極流がこの海域に存在する粗い海底凹凸地形に衝突することで、内部潮汐波に比べてはるかに速い鉛直伝播速度をもつ内部風下波が励起されること、その鉛直伝播過程で周りの内部波場との非線形相互干渉を通じて乱流混合を励起することで「背の高い乱流ホットスポット」が形成されていくことを突き止めた。
一方、南大洋以外の海域では、従来、潮流と海底凹凸地形との相互作用によって励起されるのは内部潮汐波であることが暗黙に仮定されてきた。しかしながら、筆者らが行った海底凹凸地形と潮流との相互作用に関する詳細な数値実験の結果、顕著な海嶺や海山の頂上付近で増幅された潮流が、そこに存在する粗い海底凹凸地形と相互作用することによって局所的に内部風下波が発生し得ることがわかった(図2)。この内部風下波は、南大洋と同じように海底から鉛直上方に「背の高い乱流ホットスポット」を形成することで、主密度躍層付近での乱流混合の強化を通じて深層海洋大循環に強い影響を与えている可能性がある。
筆者らは現在、「顕著な海嶺・海山の頂上付近で増幅された潮流とそこに存在する粗い海底凹凸地形との相互作用によって励起された内部風下波が、従来考えられてきた内部潮汐波と比べ、より多くの潮汐エネルギーをより鉛直上方まで供給することができる」という、従来全く見逃されてきた事実に着目することで、深層海洋大循環において長年ボトルネックとされてきたMissing Mixing問題に挑戦している。月と海底凹凸地形が織りなす深海乱流ホットスポットの実態を解明することで全球的な乱流混合強度を正確に見積もることができれば、深層海洋大循環のメカニズムの解明、さらには将来の気候変動予測および生態系変動予測の高精度化につながると確信している。(了)

■図2 潮流により海底凹凸地形上で形成される乱流ホットスポットの鉛直構造とそのパラメータ依存性(Hibiya et al., 2017)

  1. 内部風下波 : ここでは、海中の流れが海底凹凸地形を越えるとき、その下流(風下)側で発生し、上方に伝播していく内部波を指す
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