Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第500号(2021.06.05発行)

海の科学と政策の絆を深めていこう

[KEYWORDS]国連海洋科学の10年/国際海洋研究10ヶ年計画/海洋基本法
(国研)海洋研究開発機構特任上席研究員、東京大学名誉教授◆山形俊男

「持続可能な開発のための国連海洋科学の10年」が始まった。わが国でも国内委員会が発足し、すべての関係者が協働するプラットフォームとして、美しく、健全な海、豊かで、未来予測を活用する安全で自由な海、そしてなによりも日々の暮らしに夢と希望を与えてくれる海を実現していくことが期待されている。

母なる海

蝶のやうな私の郷愁!……。蝶はいくつか籬を越え、午後の街角に海を見る……。私は壁に海を聴く……。私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる。隣りの部屋で二時が打つ。「海、遠い海よ!と私は紙にしたためる。──海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」(三好達治 『郷愁』)
潮の香り、打ち寄せる波、水平線の彼方に沈む夕陽、海を身近に眺める時、そして遠くに想う時、なぜか懐かしい気分になる。この惑星に生命が誕生して以来ずっと接してきた自然界の揺らぎの記憶が蘇るのだろうか。
太陽系にあって、その精妙な位置取りから、最適な気温と気圧の下で地球は水の惑星として命ある豊かな生態系を生み出してきた。しかし私たちの文明はいまやこの惑星の許容する範囲を超えて、かけがえのない地球と命あるものの共生すら脅かしている。母なる海も温暖化、酸性化、汚染、ゴミ、海中騒音等々、多くの深刻な問題を抱えている。こうした危機意識の下で「持続可能な開発のための国連海洋科学の10年(UN Decade of Ocean Science for Sustainable Development)」が始まった。これはユネスコ政府間海洋学委員会(IOC)の提案に基づいて、国連が決議したものである。去る2月には日本海洋政策学会と(公財)笹川平和財団海洋政策研究所の尽力により、日本の国内委員会が発足した。学術界、経済・産業界、行政、市民団体などすべての関係者が協働するプラットフォームとして、美しく、健全な海、豊かで、未来予測を活用する安全で自由な海、そしてなによりも日々の暮らしに夢と希望を与えてくれる海を実現していくことが期待されている。

海洋科学の進展

実は半世紀前にも国連総会はIOCの提案に基づいて海洋に関する決議をしている。前回は1971年からの10年を「国際海洋研究10ヶ年計画(International Decade of OceanExploration:IDOE)」とするものであった。1960年代には、電子機器や測器、リモートセンシング技術、電子計算機などが急速に発達して未来社会への期待が膨らむ一方で、汚染などによる環境破壊への意識の高まりもあり、海洋分野は大きな転換期を迎えていた。沿岸域だけでなく世界の深海にもブイを長期に展開し、時系列データを面的に取得する可能性も出てきていた。衛星観測を含む広域海洋観測と数値シミュレーションを結び付けて海の変動を予測することも視野に入ってくると基礎研究とその応用が結び付くことも可能になる。その頃、日高孝次東京大学教授は「自然科学の研究は、常に基礎研究と応用研究とが歩調をそろえて進まなければ効果は期待できない。人類の生活と直接接するのは応用方面であるから、基礎研究は兎角軽視されがちであるが、基礎がしっかりしてなければ応用方面の発展も進まないのは自明の理である」と述べている※1
「国際海洋研究10ヶ年」が目ざしたものは何であったか?それは従来のルーチン的な船舶観測による現象の離散的な記述を越えて、変動する現象の本質を理解しようとするものであった。私が大学院に進学する頃、戦後の海洋物理学の礎を築いた吉田耕造東京大学教授はこの大掛かりな国際計画に参加するために、日本学術会議や文部省(当時)の理解を得ようと奔走されていた。湧昇理論で世界に先駆ける成果を挙げていた教授は、プログラムの中の「沿岸湧昇実験(Coastal Upwelling Experiment)」に大きな期待を抱いていた。教授の知人である権 熙鳩(クォン ヒグ)氏が共鳴し『月刊海洋科学』※2を創刊したのもこの頃であった。変化、変動する海を理解しようとする、新しい海洋科学が胎動していたのである。
しかし、海洋科学における世界の動きは国内ではなかなか理解されなかった。むしろ海の開発面に力点が置かれたのは、重工業が目覚ましく発展し、工業立国の勢いに乗っていた日本としては当然だったかもしれない。「Exploration(探査)」を「Exploitation(開発)」と誤解しているものがいると怒る吉田教授の姿を昨日のように覚えている。日本学術会議が『国際海洋研究10ヵ年計画(IDOE)の実施について』を政府に勧告したのは、国際計画も半ば近くなった1974年のことであった。しかも、この勧告は政府の受け入れるところとはならなかった。
今、半世紀を過ぎて当時を眺め直すと別な面が見えてくる。国連総会決議に至る世界の動きは確実にわが国の政財界に影響を及ぼしていたのである。1968年に政府は海洋科学技術審議会に「海洋開発のための科学技術に関する開発計画について」諮問し、これに対する審議会答申が功を奏して、1971年5月に「海洋科学技術センター法」が公布され、(一社)日本経済団体連合会(経団連)の支援で同年10月に海洋科学技術センター(現(国研)海洋研究開発機構)が設立されたのである。今年はちょうど50周年にあたる。その理念には広く国民の福祉の向上に寄与すべく、単に海洋資源開発のための科学技術だけでなく、海洋の汚染防止などの科学技術も重視すべきことが謳われている※3。大学においても海洋科学に関する講座等が続々と新設されて、人材育成基盤が大幅に強化された。1981年に発行された日本海洋学会誌の「日本における海洋学最近10年の歩みー海洋物理学」には東京大学や京都大学において博士号取得者が大幅に増加したことが報告されている。そして杉ノ原伸夫東京大学教授は「70年代にIDOEに参加していても特別な貢献は出来ず、70年代を地道に数値計算、係留システムの技術確立、研究者養成のために費やしたことが、かえって80年代これからの研究進展に良かったと言えないこともない」と総括している※4。実際、その後のわが国の海洋科学の展開を見ると人材育成は極めて重要であったことがわかる。

500号に寄せて

海の科学・技術は極めて学際的な分野であり、人々の福祉に貢献するには政策面を含む総合的な取り組みが必要である。この意味からも海に係る様々な立場の人たちが意見を述べ合い、未来の海の姿を共有していく場が重要になる。(一財)シップ・アンド・オーシャン財団(当時)の寺島紘士常務理事(当時)のお誘いを受け、秋道智彌氏(総合地球環境学研究所名誉教授)と共に2004年から12年余にわたり、本Ocean Newsletterの編集作業にかかわらせていただいた。海に係るさまざまな人たちの現場からの声で構成されるOcean Newsletterはいわば海の万葉集のようなものである。海を想う人々の声が大きなうねりとなり、2007年7月20日の海の日には海洋基本法が制定された。これは国際的にも画期的なことである。この度500号の発行にあたり、国連海洋科学の10年がめざす「私たちの望む海」の実現に向けて、本Ocean Newsletterがその貴重な役割をますます果たしていくことを願っている。(了)

地平線上の大気光に覆われた日本の街明かり。フィリピン海上空260マイルの国際宇宙ステーションから撮影。(2021年2月24日、NASA)
  1. ※1日高孝次、『海洋学との四十年』1968(昭和43)年日本放送協会
  2. ※2『月刊海洋科学』(1969~1988)海洋出版(株)、継続後誌は『月刊海洋』(1989~)
  3. ※3『海洋科学技術センター年報』昭和46年版
  4. ※4杉ノ原伸夫 他14名、1981年、「日本における海洋学最近10年の歩み―海洋物理学」日本海洋学会誌 第37巻第6号 p.301-316

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