Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第485号(2020.10.20発行)

養殖の死角─水環境に蓄積される薬剤耐性遺伝子

[KEYWORDS]水環境/薬剤耐性菌/水産養殖場
愛媛大学沿岸環境科学研究センター教授◆鈴木 聡

薬剤耐性菌は薬剤使用量の多い医療現場および獣医の臨床現場が主要な発生源の一つとなっているが、海の環境にも薬剤耐性菌のホットスポットがあることを忘れてはならない。そのひとつが水産養殖場である。
抗菌剤・抗生物質を使用する養殖場は、薬剤耐性菌の起源であると同時に、海と人の接点でもある。
環境リスク源にもなりうる養殖環境を中心に水環境の薬剤耐性菌の現状と今後を論じる。

薬剤と耐性菌

■図1 世界の年間死亡者数と原因(EARLの医学ノート,drmagician.exblog.jp/i12/ 2020.7.14 時点から作成)

人類の歴史は感染症との戦いの歴史でもある。感染症を凌いできたのは、「薬の発見」や開発に依るところが大きい。しかし、病原体に対する薬ができると、病原体は即座に薬から逃れる術を獲得する。現在、ほとんどの薬が効かなくなる多剤耐性病原菌が頻繁に出現し、年々世界中で死亡者が増加している。2013年においては年間70万人の人命が失われており、なにも策を講じずに放っておくと2050年には1,000万人に達し、その数は2013年のがんによる死亡者数を上回る(図1)。
薬剤耐性菌発生のスポットとしては、薬剤使用量の多い医療・獣医の臨床現場は容易に理解できる。くわえて、海の環境にも耐性菌ホットスポットがあることを忘れてはならない。そのひとつが水産養殖場である。抗菌剤・抗生物質を使用する養殖場は、薬剤耐性菌の起源であると同時に、海と人の接点でもある。環境リスク源にもなりうる養殖環境を中心に、水環境の薬剤耐性菌の現状と今後を論じる。

耐性菌の発生機構

日本の水産養殖場で、1970年代に細菌性魚病が猛威を振るい、抗菌剤や抗生物質が多用された。そのため、多種の抗菌剤に耐性を示す多剤耐性菌が多く出現した。
抗菌剤が使用されると、薬剤耐性能に関わる遺伝子変異を起こしたものが薬剤存在下で生残できるようになり、耐性菌となる。そうしてできた耐性遺伝子が他の菌へ伝達できるようになると細胞間で遺伝子伝達が起こる。さらに遺伝子伝播して、環境に拡散することになる。これが耐性菌の発生と拡散機構である(図2)。
近年では養殖での抗菌剤使用は減ってきているものの、病原菌の抗原性の変化によってワクチンの効果が減弱する現象もみられており、その場合には、化学療法剤に頼ることになるため、使用量がふたたび増加することも懸念される。化学療法は感染症に対する最初の武器であり、最後の砦でもあるのだ。
養殖における薬剤耐性菌問題では、魚体に巣食う病原細菌だけではなく、水環境に潜む細菌にも目を向けなくてはならない。西日本の沿岸環境を調べると、海水中からサルファ剤系耐性遺伝子やテトラサイクリン系耐性遺伝子が高頻度で検出される。サルファ剤系やテトラサイクリン系抗菌剤は、臨床、畜産、養殖など多くの場面で歴史的に古くから使われてきており、耐性菌の存続する現状は、歴史を重ねて形成されたといえよう。では、環境に潜伏している耐性菌と耐性遺伝子の持つ意味はなんだろうか? 人への影響はあるのだろうか?

■図2 (A)薬剤耐性菌の発生と選択、(B)耐性遺伝子の伝達機構。(図中“R”は耐性菌を示す)

陸から流入する薬剤耐性菌―下水処理場から海まで

臨床で発生した耐性菌は下水処理場へ流入する。下水処理場での塩素処理で多くの細菌類は死滅するが、残存した耐性菌は河川へ放出され、海へ運ばれる。河川は都市や農地を流れ、下水処理水を受け取り、海へ流入する。下水中の糞便由来細菌や土壌細菌などは河川水で生残可能だが、海水は高塩濃度、低温、低有機物の環境であり、淡水とは性質が大きく異なる。腸内細菌はごく短期間であれば残存可能だが、増殖はできない。さらに、河川から流入した臨床由来の耐性菌は原生生物によって摂食され、海水中から除去される。
細菌が捕食されると、完全に消化されると考えられがちだが、消化を逃れて細菌細胞から漏れ出るプラスミドDNA(図2参照)も一定時間残存することがわかってきた。漏れ出た遺伝子や、細菌が保有する遺伝子の伝達の場としてはバイオフィルム(多糖やDNAなどの構造体と細菌細胞が密集して作るミクロの生態系)が有力視されている。河川から流れ込む耐性菌自体は海で消え去っても、耐性遺伝子は海洋細菌へ伝達され、海洋細菌からさらに拡散する可能性がある。もし、養殖場で人が魚への給餌や魚の水揚げを行うと、これらの機会に海水や魚から人への遺伝子の暴露(侵入)が起こっても不思議ではない。

薬剤耐性菌・耐性遺伝子の制御

図3に、人の生活圏と環境の間での耐性遺伝子の伝播・拡散シナリオを示す。これを見ると、リスク管理をどこで行えばよいかがわかる。薬剤耐性菌・耐性遺伝子の制御では、「入れない、出さない」が原則であると考えると、入れないようにするには、まずは手指衛生と食品衛生である。くわえて、耐性菌は昆虫によって動物からヒトや食品へ運搬されることも知られている。ハエやゴキブリなどの衛生昆虫にも気をつける必要がある。つぎに、出さないようにするには、臨床・生活圏からの下水処理の効率化や改善が望まれる。また、近年インドや中国のジェネリック医薬品の製造工場では排水処理施設が追いついてなく、高濃度の医薬品類似物質が排水され、耐性菌が多く発生するケースもある。これらの対策も重要である。
薬剤耐性菌・耐性遺伝子の対策では、できるだけ発生を抑制するための適切な薬剤使用法の徹底、できるだけ暴露を減らすための衛生管理と教育、できるだけ環境流出を減らすための処理技術開発などが考えられる。これらを同時に行うことで効果が相乗的に発揮される。そのためには、様々な分野(角度)からの立体的思考と総合的判断に基づいた一貫性のある行動が必要である。しかし、実際には、残念ながらこれらの対策が加速的に進んでいるとは思えない。薬剤耐性菌問題をはじめ、微生物リスクに本気で対処するのであれば、行政機構が合理的に動き、為政者は正確な知識を持って決断を下すべきである。経済と人命どちらを優先するかの価値観の壁を乗り越える必要がある。(了)

■図3 水圏環境をめぐる耐性遺伝子伝播・拡散ルートのシナリオ(鈴木,日本水環境学会誌 43(A), P. 97, 2020)

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