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オーシャンニュースレター

第467号(2020.01.20発行)

潜水艦の墓場

[KEYWORDS]沈没船/探索/潜水艦
(一社)ラ・プロンジェ深海工学会代表理事、東京大学名誉教授◆浦 環

太平洋戦争中に戦没した多くの艦船は、沈没したままに忘れ去られようとしている。
しかし、音響技術が発展し、遠隔操縦機ROVや自律型海中ロボットAUVが活躍している今日では、海底近くでの沈没艦船捜索や回収の技術は昔には想像できないレベルに向上した。
探せないことを理由に「沈没艦船はそこが墓」とする時代は終わったのである。

沈没艦船

太平洋戦争中に戦没した多くの艦船は、戦時中の記録からおおよその沈没位置が推定されているだけで、正確な位置の調査はほとんど行われていないままに忘れ去られようとしている。たとえそこに犠牲者の遺骨や遺品があろうとも、「沈没艦船はそこが墓」として放置されている。
艦船上の遺体は、古来から水葬にせざるを得ず、海は墓地であった。深い海に沈没した船は、探し出す手立ても、アクセスする手立てもなく、捜索をあきらめざるを得なかった。「墓」として祀り、遺族や関係者は納得した。しかし、それは昔の技術水準においてのことである。
音響技術が発展し、遠隔操縦機ROV(Remotely Operated Vehicle)や自律型海中ロボットAUV(Autonomous Underwater Vehicle)のような海底近くで沈没艦船を捜索できる機器が活躍している今日、捜索や回収の技術は昔には想像できないレベルに向上した。探せないことを理由に「沈没艦船はそこが墓」とする時代は終わったのである。陸上での戦死者を考えてみればよい。草生す屍のある所を誰も「墓」とは呼ばない。

立ち上がる潜水艦

長崎県庵ノ浦に集められた日本海軍の残存潜水艦24艦※1が1946年4月1日に長崎市と五島列島の間に海没処分されたことについて、日本テレビから相談を受け、どのように調査をすればその中の一艦「伊号第四百二潜水艦」(以下、潜水艦名を「伊402」のように略す)を探し出すことができるかを筆者は助言した。日本テレビは24艦の位置をマルチビームソナーで探索し、その中で最大の潜水艦にROVを潜らせて、それが伊402であることを確認し、2015年8月16日「真相報道バンキシャ!」にて放送した。
残りの23艦について、筆者は、一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会を立ち上げ、そこにボランティア主体の「伊58呂50特定プロジェクト」実行委員会を作り、調査活動に乗り出した。
24艦の処分は、伊36、47、53、58の主力大型潜水艦※2を含んだ大規模なものであった。日本テレビのマルチビームソナーのデータを基にして、2017年5月、曳航体を使ったサイドスキャンソナー調査を各艦影についておこなった。驚くことに水深200mの海底から、伊47(図1参照)と伊58の2艦が60mの高さに立ち上がっていた(2艦の特定は後のROV調査による)。伊47は、日本テレビの調査では垂直に立っているために記録されていなかった。思いがけない発見と事実の重さにプロジェクトチームメンバーは愕然とした。図1のイメージは報道各社により大きくとりあげられ、世の耳目を集めた。思いもかけず、現在の水中工学の進歩について少しは周知することができた。
2017年8月、4日間にわたってROVを使った集中的な調査をおこない、網がかかっていたり、判断材料になる艦橋が破壊されていたりする24艦を濁った海水の悪い条件の中でビデオ撮影し、現状を明らかにした(図2参照)。映像を解析し、2017年12月3日までに、全艦の艦名特定作業を終えることができた。ただし、同型艦である波101型4艦については、個艦を区別する手がかりはなかった。2019年2月に調査結果をまとめた『五島列島沖合に海没処分された潜水艦24艦の全貌』※3を刊行した。この本は、24艦の調査と艦名特定のプロセスや技術を詳述することにより、沈没艦船の調査がいかなるものかを知ってもらうことを主目的として書かれている。すなわち、「潜水艦本」ではなく、「海洋調査本」である。

■図1 舳先を上にして垂直に立つ伊47。 ■図2 24艦の潜水艦が沈むほぼ水平な水深200mの海底域の中央部分の地形図で、5艦が見える。

引き続く調査

五島沖の24艦の発見に力を得て、著者らは「呂500探索プロジェクト」を立ち上げ、若狭湾に呂500、伊121、呂68を2018年6月に発見した。呂500はドイツのUボートU-511で、多くのエピソードがある。例えば、射出成形機ISOMAをドイツから運んで、これが戦後の日本のプラスチック成形技術と産業の基礎になった。このことを筆者は国立科学博物館の「日本を支えた千の技術展」で知ることとなる。そのような重要な活動をした呂500が70年以上もほったらかしになっていたのである。
五島沖のサイドスキャンの調査が報道されると、「戦時徴用船大洋丸(企業戦士といわれた民間人800名以上を失う戦没※4)は五島の南に沈んでいるので、今回の調査で何か手がかりがないか」とご遺族の方から聞かれた。米軍の報告と日本海軍の報告の沈没位置は、ほぼ一致しているので、沈没している海域は限られる。その辺りは、海上保安庁が海の基本図を作っているので、水平分解能のよい測量データがすでにあると思われ、日本海洋データセンターを通じて、対応海域における沈没船と考えられる大きな盛りあがりのある位置の情報の提供をお願いした。5つの候補の情報を得た。一つは、位置と形状から確実に大洋丸であると思われた。そこで、大洋丸沈没の重要性に鑑み、一般から寄付を募り、ROVを現場に展開し、2018年8月24日に東シナ海130m深度に大洋丸を発見した。船首部分は大きく破損しているものの、サロン前端から船尾までほぼ原型をとどめて海底に横転していた。

これから

筆者達は今後も沈没艦船の探索を推進しようと考えている。しかし、資金の問題を含め、ボランティアでできることには限りがある。かといって国の直接的な参加はすぐには期待できない。ただ、海上保安庁海洋情報部が持っている海底地形計測データには、多くの沈没船のような海底の高まりが見えているはずである。そのデータの提供が得られれば、無駄な重複調査を省略でき、大洋丸の事例より明らかなように、沈没船の発見におおいに役に立つ。さらには、海上自衛隊の哨戒訓練の時に、そのような海域を選んでもらえれば、「偶然」に沈没艦船を発見できると考える。
「海の底に沈んだからそれで終わり」の時代は終わったのである。(了)

  1. ※1防衛庁防衛研究所戦史部:「潜水艦史」、朝雲新聞社、1979
  2. ※2勝目純也:「日本海軍の潜水艦-その系譜と戦歴全記録」、大日本絵画、2010
  3. ※3浦環:「五島列島沖合に海没処分された潜水艦24艦の全貌」、鳥影社、2019
  4. ※4S・17・5・8 大洋丸会:「大洋丸誌」、1985

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