Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第386号(2016.09.05発行)

南シナ海に関する比中間の仲裁手続における仲裁判断の意義

[KEYWORDS]九段線/海洋紛争/国連海洋法条約
東北大学大学院法学研究科准教授◆西本健太郎

2016年7月12日、南シナ海におけるフィリピンと中国との間の事件について、国連海洋法条約附属書VIIに基づく仲裁裁判所がその判断を下した。
仲裁判断は、中国のいわゆる「九段線」内の歴史的権利の主張は国連海洋法条約に違反し、また当該海域における中国の活動も違法であるとした。
フィリピンの主張をほぼ全面的に認める判断であり、中国の今後の対応が注目される。

南シナ海における中国の主張と比中仲裁

南シナ海における今回の事件の仲裁手続http://www.pcacases.com/

南シナ海における中国と他国との間の近年の緊張関係の高まりは、国際社会の注目を集めてきた。中国の活動の背景には、「九段線」内の海域に対する歴史的権利の主張があると指摘されている※1。この主張は、南シナ海を囲むように描かれた9つの破線内の海域について、中国が歴史的な権利を持っているというものである。その具体的な内容について、中国政府はこれまでに公式な立場を示したことはない。しかし、マレーシアとヴェトナムによる大陸棚限界委員会への共同申請※2に対して中国が2009年に異議を申し立てた際、九段線が描かれた地図を口上書に添付したことで、九段線の存在は注目を集めるようになった。
国連海洋法条約は、条約規定の解釈・適用に関する紛争について、義務的な紛争解決の手続を備えている。中国との間の紛争が悪化する中、フィリピンはこの仕組みを利用して、2013年1月に国連海洋法条約附属書VIIに基づく仲裁裁判所に一方的に提訴した。中国は一貫してこの手続を受け入れないとしてきたが、完全に無視することもせず、2014年12月には仲裁裁判所に事件を審理する管轄権がないとする「ポジション・ペーパー」を公開している※3。仲裁裁判所はこの書面を裁判所の管轄権に対する正式な異議と同様に取り扱って、まずは管轄権の問題について検討を行うこととした。この点に関する判断は2015年10月に下され、一部の申立については管轄権を認めたものの、多くの申立については本案と合わせて検討することとされた。

仲裁裁判所の判断の概要

南シナ海における人工島 (c)Asia Maritime Transparency Initiative

仲裁手続におけるフィリピンの申立事項は多岐に渡るが、大きく分けて3つに分類できる。第1に、九段線内の、中国の歴史的権利の主張は国連海洋法条約に違反しているというもの。第2に、南シナ海における特定の地形について、その法的地位の判断を求めるもの。第3に、人工島の建設やフィリピンの活動の妨害など中国の具体的な活動が違法であるとの判断を求めるもの、である。今回の最終的な仲裁判断は、このいずれについてもほぼ全面的にフィリピンの主張を認めた。
中国の九段線について仲裁裁判所は、海域における権利は国連海洋法条約によって決まるのであり、それ以前に海域の資源に対する歴史的権利が存在したとしても、条約の発効によって消滅したと判断した。また歴史的に見ても、中国の漁民は南シナ海を公海として自由に使用していたに過ぎず、中国が排他的に支配を及ぼしたり、他国の資源利用を排除していたという証拠はないとしている。結論として、中国の歴史的権利の主張には法的な根拠がないと判断された。
地形の法的地位についても、ガベン礁の一部およびマケナン礁は高潮時に海面上にあるとした以外は、フィリピンの申立と同様の結論に達した。すなわち、スカボロー礁、ジョンソン礁、クアテロン礁、ファイアリー・クロス礁については高潮時には海面上にあり、スビ礁、ヒューズ礁、ミスチーフ礁およびセカンド・トーマス礁については自然の状態では高潮時には海面下にあるとされた。さらに裁判所は、これらの地形だけでなく、スプラトリー諸島には200海里の排他的経済水域(EEZ)および大陸棚を持つ地形が一切存在しないと判断した。国連海洋法条約121条3項は、「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」としているが、仲裁判断はこの規定の解釈について詳しく検討し、いずれの地形もこの要件を充たさないと判断したのである。
中国の活動についても、フィリピンの主張はほぼ全面的に認められた。フィリピンによる資源開発・漁業を妨害したこと、自国漁民の活動を防止しなかったこと、ミスチーフ礁で構築物・人工島を建設したことなどは、フィリピンのEEZおよび大陸棚における権利の侵害と認められている。また、スカボロー礁における伝統的漁業権を尊重する義務に違反したこと、大規模な埋立て活動と人工島の建設によって海洋環境を保護・保全する義務に違反したこと、絶滅危惧種であるウミガメ、サンゴ、オオシャコガイの大規模な捕獲・採集を認識しつつ防止しなかったこと、中国公船が法執行にあたり海上衝突に関する規則に違反したこと等も、中国による条約違反として認定された。

仲裁判断と南シナ海紛争の今後

今回の仲裁判断によって、南シナ海の大部分について、中国が何らかの権限を主張する根拠は完全になくなった。仲裁裁判所によって九段線に基づく主張が否定されても、スプラトリー諸島の比較的大きな島からのEEZ・大陸棚が認められていれば、中国はなお、南シナ海の大半の海域が、中国の島とフィリピン本土からの200海里が重複する境界未画定海域であると主張することができた。しかし、仲裁裁判所はさらに踏み込んで、EEZおよび大陸棚を持つ島も一切存在しないとしたため、本土が遠く北に離れている中国は、南シナ海に対する法的な足がかりを失ったのである。
今回の仲裁手続は海域のみを取り扱うもので、南シナ海の島嶼の領有権の問題は残っている。しかし、逆に言えば、仲裁判断に従う限り、フィリピンと中国との間の紛争は、岩礁とその周辺12海里の領海に限定されたということになる。その意味では、仲裁判断は紛争を大きく縮減し、その解決に向けた前進をもたらすものといえる。
もちろん、最大の問題は中国がこの判断を受け入れるか否かである。今回の判断は中国にとっては最悪のシナリオであり、判断前から一貫して仲裁裁判所の判断には従わないと公言している中国が、今後この判断を全面的に受け入れる可能性は低い。しかし、中国が仲裁判断に従うか否かは、中国が今後責任ある大国として、既存の法的枠組みの中で行動していく意思を有するのか否かに直結する問題である。中国がこの判断に従うよう、各国が一致して説得を続けていくべきである。(了)

  1. ※1坂元茂樹著「緊張高まる南シナ海-米軍の「航行の自由作戦」をめぐって」本誌第376号参照。
  2. ※2大陸棚限界委員会に対する申請の制度については、谷伸著「大陸棚の延伸」本誌第287号参照。
  3. ※3Position Paper of the Government of the People's Republic of China on the Matter of Jurisdiction in the South China Sea Arbitration Initiated by the Republic of the Philippines,http://www.fmprc.gov.cn/mfa_eng/zxxx_662805/t1217147.shtml

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