Ocean Newsletter
オーシャンニューズレター
第179号(2008.01.20発行)
海洋立国と海洋の総合管理
東京大学大学院法学政治学研究科 教授◆奥脇直也
「海洋国家」という日本の自己認識の内容をイギリスやアメリカの海洋認識と比較したうえで、海洋基本法の二つの大きな理念、つまり「海洋立国」と「海洋の総合的管理」の意味を検討した。
日本が世界に海洋国家として認知されて、憲法が宣言する、国際社会において「名誉ある地位を占め」るためには、とくに海洋環境保護、海洋資源の持続的利用、海洋科学知識の発展などの分野で、長期的な視野をもって国家財政を計画的に投入し、かつ先端的科学技術を駆使して世界に海洋公共財を提供する仕組みを構想することが必要である。
日本が世界に海洋国家として認知されて、憲法が宣言する、国際社会において「名誉ある地位を占め」るためには、とくに海洋環境保護、海洋資源の持続的利用、海洋科学知識の発展などの分野で、長期的な視野をもって国家財政を計画的に投入し、かつ先端的科学技術を駆使して世界に海洋公共財を提供する仕組みを構想することが必要である。
1.海洋国家
日本は「海洋国家」といわれるが、それは地理的に海に囲まれている「島国」であることと同義でしかない。海洋を基盤に世界に打って出るというビジョンが政策に反映されているとはいえない。単に陸の国境がない、海によって守られているという漠然とした感覚のもとで、日本の海の政策は受身であり、防御的である。もちろん海洋のイメージは国ごとにまた時代によって相当に異なる。同じ海洋国家でもイギリスは「七つの海」に開かれた水路として海をみる。イギリスにおける海賊は、ある時は海の無法者であり「人類共通の敵」であるが、ある時は私掠船として敵国商船から財産を掠取して国家財政に貢献するとともに航海術を継承し、またある時は海軍に編入されて国の安全保障を支えた。国家は海賊を抑制するとともにこれを利用したのである。また19世紀には奴隷貿易の禁止を理由に、南大西洋からインド洋にかけての公海上で外国船舶の臨検捜索の権利を諸外国に認めさせ、Royal Navyの最大の任務である「商業の保護」を実効的なものとした。つまりは人道に名を借りて海上権力(sea power)を確立したのである。アメリカの海洋のイメージは二元的である。大西洋は古いヨーロッパから流れ来る古く邪悪なものにアメリカが感染するのを防ぐ隔離の海である。孤立主義や禁酒法の海である。他方で太平洋は、アジアに開かれた海、砲艦外交によって門戸開放を強制する海であり、そして何よりも「鯨の海」である。それはアメリカに富と繁栄をもたらす海であった。このように歴史の実際において、海洋はこれを基盤に国家の政策が策定され運用される場であった。自由な公海は実は海上権力の確立によって実効的に管理される海でもあった。
現代の日本周辺の海洋で生じている拉致問題、ナホトカ号事故、大型クラゲ、不審船などは、ときどき、海が外の世界へ繋がっていることを国民に意識させるが、それに対する対応は沿岸の守りを固めることに留まりがちである。世界の物流の大部分が海上運輸によることは、飛行機で旅行する国民はあまり意識しない。キラキラ輝く宇宙と違って海は暗くマイナーな旋律を奏でる。国際法的思考の訓練の場でもある海洋法の研究を志す若手研究者も減る傾向にある。40数年前に高坂正堯は『海洋国家日本の構想』を書いて「総合安全保障」を説いたが、海を基盤とした海洋国家日本の将来展望は未だ開かれていない。
現代の日本周辺の海洋で生じている拉致問題、ナホトカ号事故、大型クラゲ、不審船などは、ときどき、海が外の世界へ繋がっていることを国民に意識させるが、それに対する対応は沿岸の守りを固めることに留まりがちである。世界の物流の大部分が海上運輸によることは、飛行機で旅行する国民はあまり意識しない。キラキラ輝く宇宙と違って海は暗くマイナーな旋律を奏でる。国際法的思考の訓練の場でもある海洋法の研究を志す若手研究者も減る傾向にある。40数年前に高坂正堯は『海洋国家日本の構想』を書いて「総合安全保障」を説いたが、海を基盤とした海洋国家日本の将来展望は未だ開かれていない。
2.海洋基本法成立の意義

昨年5月に行われた海上保安庁観閲式。洋上訓練の様子が一般にも公開された。(写真:丸山 直)
昨年7月20日の「海の日」に海洋基本法が施行された。同法はこれまで海底資源、水産、海運、環境、海洋科学というように個別に対応してきた海洋問題について、総合的・一元的な政策立案を促し、「国際協調の下に海洋の平和的かつ積極的な開発及び利用と海洋環境の保全との調和を図る新たな海洋立国を実現すること」を目的としている。
海洋立国
―海洋基本法には、「海洋立国」と「海洋の総合管理」という二つの大きな理念が示されている。しかしこの二つはどのように結びついているのだろうか。海洋立国とは海の守りを堅くして日本の安全保障を確立するということだけではない。海を守り、国民の生命・身体・財産を守ることは国の重要な任務である。しかし直接には日本の利益を確保するためだけの安全保障は、世界に対して海洋立国を宣言する根拠にはならない。日本が自らの利益を基盤に何を世界に提供できるかを考えなければ、海洋立国という理念は成就しない。たとえば、東南アジアの「海賊」について、日本が沿岸国に能力構築のための援助を行いまた沿岸経済開発への援助を進めて、海賊の根を断つための協力を行って相応の成果を上げてきたように、海洋基本法の下でとられる政策が同時に世界の役に立つものであり、さらには世界に公共財を提供できるものであることを示す必要がある。またそのことが長い目で見て日本の利益にも繋がることを国民に説得的に情報発信していく必要がある。海洋環境保全、生物資源保護、海洋科学調査などについて、国が長期にわたって資金を拠出し知識を集積していく強い政治意思を形成し、また日本が得意とする先端技術の恩恵に外国の沿岸国民が広く浴していることを実感できるような仕組みを打ち立てていく必要がある。国際貢献の努力の積み上げが結果として日本の安全保障を高めていく仕組みである。
海洋の統合管理
―海洋の総合管理という理念も大きな問題を抱える。現在、すでに米豪加などの国で「海洋の統合管理」のための立法がなされ、政府機構の権限の見直しが行われている。その方向は、200海里水域の時代に適しいものである。グロティウスが公海の自由を唱えた根拠は、資源の無尽蔵性、海域の管理不可能性ということにあった。その前提が崩れ、かつての公海自由の下では海洋資源の保存管理も海洋環境の保全も不可能であることは今や世界の共通の認識である。本来、200海里制度は地球の海洋系を保護するために沿岸国が諸措置を分担して実施する国際協力の海であったはずである。その意味で、海洋の統合管理という考え方は200海里制度から当然に出てくる。
ただ実際には海洋の統合管理は困難な問題に逢着する。第1に、海の利用には様々な陸の利害関係者がすでに存在する。第2に、従来、海の管理が分野ごとに個別に実施されてきたため、海洋管理の技術も情報もノウ・ハウも、さらに利害調整の仕組みも、それら細分化された縦割りの組織の中に蓄積されている。第3に、沿岸国としての利益と海洋利用国としての利益は時に相反し、内で沿岸国権益を過度に保護すれば、外では海洋利用国として厳しい規制にあう。海洋利用国としての法令遵守が徹底されなければ、沿岸国としての規制にも限界が出る。海はその意味で相互主義的な空間であり、共通利益を少しずつ積み上げて合意を形成していく必要がある。第4に、海は世界に繋がっている。海の問題は常に国際問題である。統合管理のための措置は、経済的、社会的、文化的な発展段階の異なる近隣諸国との間の利害衝突を避けながら進める必要がある。海洋法によって認められた沿岸国としての権限行使であっても、個別の場合において何が合理的な権限行使であるか、その範囲を慎重に見定め、国際関係を不安定化しないための裁量を確保しておく必要がある。
海洋立国
―海洋基本法には、「海洋立国」と「海洋の総合管理」という二つの大きな理念が示されている。しかしこの二つはどのように結びついているのだろうか。海洋立国とは海の守りを堅くして日本の安全保障を確立するということだけではない。海を守り、国民の生命・身体・財産を守ることは国の重要な任務である。しかし直接には日本の利益を確保するためだけの安全保障は、世界に対して海洋立国を宣言する根拠にはならない。日本が自らの利益を基盤に何を世界に提供できるかを考えなければ、海洋立国という理念は成就しない。たとえば、東南アジアの「海賊」について、日本が沿岸国に能力構築のための援助を行いまた沿岸経済開発への援助を進めて、海賊の根を断つための協力を行って相応の成果を上げてきたように、海洋基本法の下でとられる政策が同時に世界の役に立つものであり、さらには世界に公共財を提供できるものであることを示す必要がある。またそのことが長い目で見て日本の利益にも繋がることを国民に説得的に情報発信していく必要がある。海洋環境保全、生物資源保護、海洋科学調査などについて、国が長期にわたって資金を拠出し知識を集積していく強い政治意思を形成し、また日本が得意とする先端技術の恩恵に外国の沿岸国民が広く浴していることを実感できるような仕組みを打ち立てていく必要がある。国際貢献の努力の積み上げが結果として日本の安全保障を高めていく仕組みである。
海洋の統合管理
―海洋の総合管理という理念も大きな問題を抱える。現在、すでに米豪加などの国で「海洋の統合管理」のための立法がなされ、政府機構の権限の見直しが行われている。その方向は、200海里水域の時代に適しいものである。グロティウスが公海の自由を唱えた根拠は、資源の無尽蔵性、海域の管理不可能性ということにあった。その前提が崩れ、かつての公海自由の下では海洋資源の保存管理も海洋環境の保全も不可能であることは今や世界の共通の認識である。本来、200海里制度は地球の海洋系を保護するために沿岸国が諸措置を分担して実施する国際協力の海であったはずである。その意味で、海洋の統合管理という考え方は200海里制度から当然に出てくる。
ただ実際には海洋の統合管理は困難な問題に逢着する。第1に、海の利用には様々な陸の利害関係者がすでに存在する。第2に、従来、海の管理が分野ごとに個別に実施されてきたため、海洋管理の技術も情報もノウ・ハウも、さらに利害調整の仕組みも、それら細分化された縦割りの組織の中に蓄積されている。第3に、沿岸国としての利益と海洋利用国としての利益は時に相反し、内で沿岸国権益を過度に保護すれば、外では海洋利用国として厳しい規制にあう。海洋利用国としての法令遵守が徹底されなければ、沿岸国としての規制にも限界が出る。海はその意味で相互主義的な空間であり、共通利益を少しずつ積み上げて合意を形成していく必要がある。第4に、海は世界に繋がっている。海の問題は常に国際問題である。統合管理のための措置は、経済的、社会的、文化的な発展段階の異なる近隣諸国との間の利害衝突を避けながら進める必要がある。海洋法によって認められた沿岸国としての権限行使であっても、個別の場合において何が合理的な権限行使であるか、その範囲を慎重に見定め、国際関係を不安定化しないための裁量を確保しておく必要がある。
3.むすびに
海洋の統合管理とgood governanceがかけ声倒れに終わらないためには、日本が海洋立国として国際社会に何をどのように貢献できるかを提案していく必要がある。またそのような広い視野に立って海洋をよく知る専門的な人材の育成が重要である。海洋基本法の下で現在策定中の海洋基本計画は、憲法が宣言する国際社会において「名誉ある地位を占め」る日本を建設するための第一歩である。(了)
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- 編集後記 ニューズレター編集代表(総合地球環境学研究所副所長・教授)◆秋道智彌