海洋に関する情報発信

【Ocean Newsletter】最新号

第403号(2017.05.20 発行)

南極ロス海、世界最大の海洋保護区に─その本当の意味

[KEYWORDS]海洋生態系/南極海洋生物資源保存委員会(CCAMLR)/漁業禁止
東京海洋大学教授◆森下丈二

2016年10月、南極のロス海に世界最大の海洋保護区(MPA)を設立することが合意された。
漁業の永久全面的禁止というMPAをめぐるイメージが存在するが、ロス海MPAは漁業を通じた科学データの収集、MPA設立後の管理計画や調査モニタリング計画、その定期的なレビューなどを含む。ロス海MPAが本来のMPAの目的である科学的情報に基づく海洋生態系の保存と持続可能な利用のための管理を達成できるかが注目される。

2016年10月末、南極のロス海に世界最大の海洋保護区(MPA)が設立されたというニュースが、BBCをはじめ世界中のマスコミによって報じられた。これは10月28日に閉幕した南極海洋生物資源保存委員会(CCAMLR)による決定で、日本もそのメンバーである。マスコミの報道では、157万平方キロに及ぶ海域の中で漁業が35年にわたり禁止され、地球上に最後に残された手つかずの自然が保護されること、米国のケリー国務長官(当時)やニュージーランドのマカリー外相がこの決定を讃えたこと、などが専ら伝えられた。
他方、特に漁業関係者の間ではロス海MPA設立は警戒心をもって受け取られ、日本はなぜこの決定に反対しなかったのかという声も聞かれた。
海洋保護区(MPA)の設立をめぐっては、しばしば漁業を守るか海洋環境を守るかというコンテクストで議論が行われ、その結果としての対立を生みがちであるが、本稿では、ロス海MPA設立の内容を中心として、MPAをめぐる情勢を考えてみたい。

海洋保護区(MPA)とは何か?

MPAと聞くとき、それは漁業や他の人間活動を永久に禁止した漁獲禁止海域ととらえる向きは多い。事実、5年に及んだロス海MPA設立提案の交渉期間中、筆者を含むCCAMLR参加者は一般の方や非政府団体(NGO)関係者から毎年下記のようなメールによる訴えを多数受け取った。
「20XX年のCCAMLRで、南極のロス海と東南極海域において大規模で永久的な海洋保護区と漁獲全面禁止海域を設立することに合意して、人類のためのレガシーを築いてください。南極の海は野生生物の驚異的な棲家であり、世界の海洋の中で最も手つかずの海域を含みます。将来の世代のために、海を守るリーダーシップを示すことを期待します」
さらに、さまざまな国際機関の会合でMPA設立の目標が合意されてきている。例えば、2002年にヨハネスブルグで開催された持続可能な開発に関する世界首脳会議(WSSD:World Summit on Sustainable Development)は、2012年までにMPAの代表的ネットワ−ク(例えば複数のMPAで保護対象生物の回遊経路をカバーするもの、ただし合意された定義はない)を設立することを規定した。また、2010年に名古屋で開催された生物多様性条約(CBD)第10回締約国会議は、2020年までに、沿岸域および海域の10%、とくに生物多様性と生態系サービスに特別に重要な地域が保護されることを目標として掲げた。
これらから生まれるイメージは、MPAとは、海洋環境や海洋生態系を保護するために広大な海域を永久に漁獲禁止するもので、2020年や海域の10%などという数値目標が設定されているというものであろう。
しかし、さまざまな国際機関はMPAをどのように考え、定義しているのか。
絶滅危惧種のレッドリストで有名な国際自然保護連合(IUCN)は、1994年にMPAを「上部の水圏を含む、潮間帯(intertidal)と潮下帯(subtidal)における関連動植物、歴史、文化物で、法もしくはその他効果的な手段で区域全体あるいは一部の環境を保全するもの」と定義した。また、2004年に生物多様性条約(CBD)第7回締約国会議は「水体とそれに付随する動植物相及び歴史的文化的な性質を含む海洋環境又は隣接する区域であって、(法的)規制又は慣習を含む他の効果的な手法によって保護され、海洋又は沿岸の生物多様性が周辺よりも高度に保護されている区域」という定義に合意した。
複雑な表現であるが、注目すべきは、いずれも漁業の全面禁止などといった概念は含まず、「周辺よりも高度に保護」されるという表現で保護の度合いには柔軟性が存在するということである。この解釈を裏付けるものとして、やはりIUCNが分類したMPAのカテゴリー分けがある。これに従えば、科学目的または自然保護のための厳格な自然保護区から、国立公園などの生態系保護とレクリエーションのための保護区、自然生態系の持続可能な利用のための資源管理保護区まで、資源の利用を含む多様な形態がMPAの範疇として認識されているのである。

ロス海MPA

それでは今回設立が合意されたロス海MPAとはどのようなものか。図に示したように、ロス海MPAは目的と機能が異なる複数の海域の複雑な組み合わせから構成されており、単純に広い海域を漁業禁止としたわけではない。それぞれの境界線は科学的な情報に基づき設定されており、例えば保護が必要な海底の生態系などに対応している。特別調査海域(SRZ)では、メロ(マゼランアイナメなど)とオキアミを対象とした漁業が許され、その漁業を通じて科学データが収集される。オキアミ調査海域(KRZ)では、やはり漁業の実施を通じてデータの収集が図られる。一般禁止海域(図の(i),(ii),(iii))では漁業が禁止されるが、漁業から保護する必要がある海洋生態系などが明確に規定されるとともに、漁業禁止の代替措置としてMPAの外側の新たな漁場が解放された。
MPAの設立はその数値目標などからゴールであると位置付けられがちであるが、正当なMPAとは海洋生態系の保存と管理に向けてのスタートである。
ロス海MPAでは、設立されたMPAの下での管理計画と調査モニタリング計画が規定され、さらに、5年ごとのCCAMLR科学委員会でのMPAでの諸活動やMPAの効果に関する検討、10年ごとのCCAMLR年次会合によるMPAの内容の検討と必要に応じた修正、そして、35年後のMPA効力終了が規定されている。
これらの詳細は、冒頭の漁業禁止等の側面のみを発信する報道ぶりからは窺い難いと言える。

■南極ロス海で海洋保護区が設定された海域
SRZは特別調査海域、KRZはオキアミ調査海域、(i)~(iii)は一般禁止海域

目指すべき本来のMPAとは

CCAMLRは5年間をかけて科学的情報に裏付けられた海洋生態系の保全と利用管理のためのMPAを作り上げた。日本の漁業管理でも一定の海域や期間を設定して漁業を禁止する禁漁区や禁漁期の設定は古くから行われてきている。これらもMPAである。近年国際的に議論となっているMPAと日本の漁業管理の大きな違いは、前者のMPAは単一の魚種の保存管理ではなく、海洋生態系の保存と管理を目指すという点であろう。いわゆる生態系アプローチである。
残念ながら、MPAをめぐる国際的議論の中では、MPA設立自体が目的となり、設立後は管理や調査の面で何らフォローアップのない「ペーパーMPA」が存在する。MPAの本来の意義と有効性は、その設立後にいかに適切な管理と効果のモニタリングが行われ、必要に応じてMPAそのものの修正が行われていくかにかかっている。海洋生態系には科学的不確実性が存在することを前提として受け入れ、モニタリングを通じてその不確実性に対応していく順応的管理の考え方である。
ロス海MPAがペーパーMPAとなるか、海洋生態系の保全と利用管理を進める有効な手段として機能するかは、これからのMPA運営に依存する。その「レガシー」は始まったばかりなのである。(了)

ページトップ