混迷の東アジア海洋圏ー新たな海洋秩序構築に向けてー海洋政策研究財団 編混迷の東アジア海洋圏―新たな海洋秩序構築に向けて―海洋政策研究財団 編東アジア海洋圏南シナ海における沿岸各国の海洋境界の主張 (注:Military and Security Developments Involving the people’s Republic of China 2012, U.S. Department of Defense,May 2012, p.37 の地図より作製)画定された海洋境界:A . 中国・ベトナムのトンキン湾境界(2000 年)、B . インドネシア・マレーシア大陸棚境界(1969 年)、C . インドネシア・ベトナム大陸棚境界(2003 年)、D . ブルネイ・マレーシア海洋境界(1959 年)、E . ブルネイに割譲されたマレーシアの石油開発鉱区(2010 年)、F . タイ・ベトナムEEZ/ 大陸棚境界(1977 年)、G . マレーシア・シンガポール領海境界(1995 年)関係各国が宣言した境界:H . 中国/ 台湾の大まかな境界主張(11 段線/9 段線)(1947 年)、I . フィリピンのカラヤン諸島(南沙諸島)境界(1978 年)、J . マレーシアの大陸棚境界(1979 年)、K . ブルネイの大陸棚境界(1988 年)、L . マレーシア・ベトナムの大陸棚外縁部延伸合同申請(2009 年)、M . ベトナムの北部大陸棚外縁部延伸申請(2009 年)境界海域:N .(南シナ海の島嶼を無視して)各国が沿岸基点から200 カイリEEZ を主張した場合に生じるいずれの国のEEZ にも含まれない海域、O.マレーシア・ベトナム大陸棚境界画定海域(1992年)、P . マレーシア・タイ合同開発海域(1979 年)島 嶼:(1) 東沙諸島:台湾実効支配、(2) 西沙諸島:中国占拠、ベトナム領有権主張、(3) 南沙諸島:中国、台湾およびベトナムが全域の領有権主張、ブルネイ、マレーシアおよびフィリピンが一部について領有権主張、(4) スカボロー礁:フィリピン、中国および台湾が領有権主張、(5) 三沙市役所所在i発刊にあたっていま、世界の目は、東アジアの海に注がれている。東アジアの海、ことに、東シナ海と南シナ海では、日本と中国、東南アジア諸国と中国が、領有権や海洋権益をめぐって熾烈な対立を繰り広げており、いつ武力衝突が起きてもおかしくない状況にある。そのようななかで、アメリカが“航行の自由”と“再均衡化(rebalancing)”を掲げて“アジア太平洋への回帰”を進め、それが米中の軍事的な対峙構造も生じさせており、東アジアの海の安全保障環境は極めて不安定化する様相を示している。東アジアの海の安全保障環境を不安定化させた発端となる要因として、2 つを挙げることができる。1 つ目は、尖閣諸島や南沙・西沙諸島などの島嶼の領有権と排他的経済水域(EEZ)や大陸棚の境界画定をめぐる紛争であり、そこには、海洋資源の取得権が絡んでいる。東シナ海と南シナ海には豊富な漁場があり、加えて、石油・天然ガスの埋蔵が確認されていることから、資源に主権的な権利が及ぶEEZ や大陸棚と、その根拠となる島嶼をめぐっての紛争は、解決に糸口が見つからない現状において、国家間の武力紛争にエスカレートする危険性をはらんでいる。2 つ目は、中国による急激で不透明な海軍力の増強と、他国に対する高圧的な姿勢である。中国は、南シナ海のほぼ全域を含む「U 字型ライン」(中国では「9 段線」と呼称)の内側に特定の権利を有する旨を主張し、南沙諸島や西沙諸島の周辺海域に漁業監視船等を派遣して、ベトナムやフィリピンなどに威圧的な行動を繰り返している。東シナ海でも、2012 年9 月に日本が尖閣諸島の国有化を決定するとすぐに、中国は国家海洋局の海洋監視船「海監」や農業省に属する漁業監視船「漁政」を派遣して尖閣領海内に侵入させる等の事件を起こしている。尖閣諸島をめぐっては、2010 年9 月に尖閣諸島の日本の領海内で違法操業した中国漁船が取締りに当たった海上保安庁の巡視船に体当たりする事件が発生したことは記憶に新しい。この折、日本側が当該漁船の船長を逮捕すると、中国側はレアメタルの輸出制限や中国在留邦人を拘束するなどの国際常識を逸する行為をとっている。中国は近年、軍事費を増大させ続けており、なかでも、中国初となる空母の導入などその海軍力を大幅に増強させている。その一方で中国は、海軍艦艇のii 発刊にあたって行動も活発化させており、2008 年以降、西太平洋に定期的に艦隊を展開させるなど、その規模は年々増大し、アメリカの海洋戦略に基本的な修正を迫るほどになっている。中国による海軍力増強と周辺国に対する高圧的な姿勢は、日本を含む東アジア諸国、さらにはアメリカにとっては、それが覇権的な姿勢とも受けとれ、中国に対する脅威認識を高めさせている。この2 つ目の要因、つまり、中国の覇権的とも受け取れる海洋進出は、単に東アジアの海域における海洋利用と国防の問題に止まらず、世界の安全保障に影響を与えつつある。歴史上、新興のシーパワーの急激な台頭は、海洋のパワーバランスを崩し安全保障環境を激変させてきた。スペインとポルトガル、イギリス、そしてアメリカと続くシーパワーの台頭は、世界の海を支配する力関係を一変させた。シーパワーの攻防は、大規模な戦争を生起させてきた。いま、増大する中国の海軍力は、東シナ海と南シナ海のパワーバランスに大きな変化を与え、西太平洋、さらには南太平洋やインド洋の戦略環境にまで影響を及ぼしつつある。そのような状況において、オーストラリアが東アジアの海域の安全保障をめぐるアクターとして関与しつつあり、インドもまた東アジアの戦略環境の変化に大きな関心を寄せている。グローバル経済や国境を超える文化交流が深化し、それが多くの国にとって繁栄をもたらす共通の国益となっている現状において、東アジアの海に生じている紛争に国際社会はどのように対応していくのか、さらに、各国は、その対応において不可分のものとして考慮すべき軍事・安全保障に関しどのような戦略を展開していくのか、そのなかで、日本はいかなる外交・安全保障政策をとるべきであろうか。海洋政策研究財団では、2010 年から2012 年までの3 年間をかけ、国内外から海洋、軍事・安全保障、中国の政治・外交・軍事、国際法等に関わる専門家をコアメンバーとして招へいし、東アジアの海の安全保障環境を分析するとともに将来を展望するための研究を実施してきた。この間、尖閣諸島や南沙諸島と西沙諸島をめぐって日本と中国、東南アジア諸国と中国の間の紛争が頻発した。そのようななかで、アメリカが軍の前方展開基地の見直しを進め、日本では沖縄海兵隊基地をめぐって日米同盟が損なわれる状況が生じるなど、東アジアの海をめぐる安全保障環境は目まぐるしい変化を見せた。加えて、2012 年の夏には、韓国のイ・ミョンバク大統領による竹島上陸とそれに続く天皇陛下謝罪要求発言が加わって、いまこそ良好な関係を維持すべき日本と韓国の間で発刊にあたって iii深刻な対立が生じることもあった。3 年に及ぶ研究では、国内・海外のコアメンバーによる国際会議を3 回、国内のコアメンバーによる研究会を8 回ほど実施するとともに、同様の研究を実施している海外の研究所を訪問して意見を交換するなどして、目まぐるしく変化する情況を適切に分析して動向を展望するよう努めた。本書は、海洋政策研究財団における3 年間の研究の成果に基づいてまとめたものである。ここでは、東アジアの海で生じている事案を単なる時事問題として扱ってはいない。東アジアにおける国際社会の成り立ち、シーパワーの意味、航行自由がもたらしてきた繁栄、海と陸と半島と島嶼によって織りなされる地政学なども考察の対象とし、東アジアの海の安全保障環について、現状を分析するとともに動向を見極め、その安定化の方策を見出すことに努めた。本書は、東アジアの海の地理的範囲を、おおむね、日本海、黄海、東シナ海、南シナ海、西太平洋と東部インド洋と定め、それを東アジア海洋圏と名称している。執筆者はすべて海洋政策研究財団における研究に携わったコアメンバーであり、構成は以下のとおりである。第1 章 いま、東アジア海洋圏で何が起きているか (竹田純一) 東アジア海洋圏の紛争が凝縮した形で現れている南シナ海に焦点を当て、安全保障上の生起事象とその要因、今後の展望を追った。第2 章 東アジア海洋圏の戦略構造-その地政学的考察- (秋元一峰) 東アジアにおける諸国と海洋との結びつきの歴史、安全保障環境のパラダイムシフト、日本の地政戦略的価値、などを踏まえ、東アジア海洋圏の戦略構造を明らかにした。第3 章 東アジア海洋圏をめぐるパワーゲーム (上野英詞) 第1 章で示した生起事象と第2 章で明らかにした戦略構造を踏まえ、東アジア海洋圏における地域諸国と域外大国のパワーゲームの現状を分析した。第4 章 海洋をめぐる中国の戦略的構造―“天下”に抱かれる海洋―(川中敬一) 第2 章で明らかにした東アジア海洋圏の戦略構造に大きな影響を及ぼし、また第3 章で示したパワーゲームの主要なアクターである中国の行動の源iv 発刊にあたって泉を探った。第5 章 東アジア海洋圏の安全保障環境安定化のための羅針盤 (秋元一峰) 混迷の東アジア海洋圏に新たな海洋秩序を構築するための方策について、執筆者の考えを提示した。附章 古典地政学の理論と東アジア海洋圏の安全保障構造 (奥山真司) 本書で頻繁に登場する地政学について、理論を解説するとともに、その理論を適用した東アジア海洋圏の安全保障構造を解説した。なお、本書で登場する島嶼等の名称について、第1 章では、現地名、英文名、中国名などを併記した。その他の章では、その内容によって、併記せずに単一の名称で表記してあるが、これは当該島嶼に対する各執筆者の立場を示すものではないことをおことわりしておく。本書が、関係各位にとって、少しでも有意義な資料となりうれば、これに勝る喜びはない。2013 年3 月執筆者代表 秋元 一峰v執筆者一覧発刊にあたって、第2 章、第5 章 秋元 一峰(海洋政策研究財団主任研究員)第1 章 竹田 純一(外交・安全保障ジャーナリスト)第3 章 上野 英詞(海洋政策研究財団研究員)第4 章 川中 敬一(中国問題研究者)附 章 奥山 真司(国際地政学研究所上席研究員)vii目 次発刊にあたって第1 章 いま、東アジア海洋圏で何が起きているのか 1最大の焦点―南シナ海の係争 は じ め に………………………………………………………………… 11 地理的な特性… ………………………………………………………… 52 対立のマクロ的背景… ………………………………………………… 83 実効支配の状況… ……………………………………………………… 104 漁業資源の争奪… ……………………………………………………… 205 石油ガス資源の争奪… ………………………………………………… 266 海洋法令執行機関の“功罪”…………………………………………… 327 複雑化する安全保障要因… …………………………………………… 398 進まぬ協調体制づくり… ……………………………………………… 47第2 章 東アジア海洋圏の戦略構造 53―その地政学的考察―1 東アジア海洋圏とアジアの繁栄……………………………………… 532 シーレーンの力学……………………………………………………… 543 東アジア海洋圏の安全保障環境をめぐるパラダイム……………… 564 東アジア海洋圏のシーレーンが通航不能となった場合の経済的影響…………………………………………………………………… 605 日本の領有する島嶼の戦略的価値…………………………………… 64第3 章 東アジア海洋圏をめぐるパワーゲーム 71 は じ め に………………………………………………………………… 711 南シナ海におけるパワーゲーム……………………………………… 722 アメリカの関与に対する期待………………………………………… 903 東アジア海洋圏における米中間の地政学的抗争…………………… 954 東アジア海洋圏秩序の将来展望……………………………………… 102viii 目 次第4 章 海洋をめぐる中国の戦略的構造 105―“天下”に抱かれる海洋― は じ め に………………………………………………………………… 1051 中国の海軍建設と軍事戦略…………………………………………… 1052 中国という国家の理念、利益、目標、そして戦略という思考的枠組み…………………………………………………………………… 1173 “天下”観念と今日の戦略構造… …………………………………… 1274 台湾問題と東アジア海洋圏における問題…………………………… 1335 天下と中国の海洋問題………………………………………………… 154 むすびにかえて…………………………………………………………… 160第5 章 新たな海洋秩序に向けて 165―安全保障環境の安定化のための羅針盤―1 世界益と国防の狭間…………………………………………………… 1652 共有と共存:その限界………………………………………………… 1673 冷戦を終結させたもの………………………………………………… 1684 比較論:冷戦期のソ連とグローバル化時代の中国………………… 1705 “選択的対峙”とアメリカの“アクセス戦略”……………………… 1736 “ソフトシーパワー”による共存概念の創出… …………………… 1807 国際社会に求められる取組みと日本の役割………………………… 183 東アジアの海域をめぐる安全保障環境の安定化のために…………… 184附 章 古典地政学の理論と東アジアの安全保障構造 189 は じ め に………………………………………………………………… 1891 地政学の研究動向……………………………………………………… 1892 古典地政学の基礎要素:3 つの「地理」……………………………… 1913 古典地政学の5 つの「前提」… ……………………………………… 1934 東アジア地域への実際の適用………………………………………… 197 ま と め………………………………………………………………… 202索 引 ���������������������������� 2051第1 章 いま、東アジア海洋圏で何が起きているのか最大の焦点―南シナ海の係争は じ め に東アジア海洋圏では2012 年、わが国と中国との間で尖閣諸島、韓国との間で竹島、ロシアとの間で北方領土をめぐり激浪に洗われた。外交解決の道筋が描けないまま、対立は各分野に影響を与えている。ほかにも東アジア海洋圏では、島嶼主権や海洋管轄の問題を中心に関係国の主張が対立し国際社会の焦点になっている。その概要は表1-1 のとおり、多様かつ複雑である。要約すると、台湾は別として、東シナ海では日本と中国、中国と韓国、中国と北朝鮮の対立がある。南シナ海では、特に中国とベトナムやフィリピンの摩擦が拡大している。中国は、海を隔てて相対する8 か国(北朝鮮・韓国・日本・フィリピン・ベトナム・マレーシア・インドネシア・ブルネイ)のすべて表1-1 領土主権・海洋管轄をめぐる主要な係争海 域当事者係争の概要南シナ海台湾・中国台が実効支配する東沙諸島につき、中が主権主張中国・台湾・ベトナム中が実効支配する西沙群島につき、越が主権主張中国・台湾・フィリピン中沙諸島スカボロー礁につき、中・比が主権主張中国・台湾・ベトナム・フィリピン・マレーシア・ブルネイ・インドネシア南沙群島の全部につき、中・台・越が主権主張他(インドネシアを除く)は一部島礁の主権を主張島礁は6 国7 方が各個に実効支配東シナ海日本・中国・台湾日本が実効支配する尖閣諸島につき、中・台が主権主張日・中のEEZ が未画定、石油ガス田の共同開発が未定中国・韓国黄海南部~東シナ海北部のEEZ が未画定韓が施設を置く暗礁の離於島(イオド)につき、中が抗議黄 海中国・北朝鮮鴨緑江河口~黄海の管轄海域が未画定日 本 海日本・韓国日本の竹島を、韓が実効支配西太平洋日本・ロシア日本の北方領土を、露が実効支配日本・中国日本の沖ノ鳥島を、中は岩礁と主張同島基点のEEZ を中は認めず(各種資料より筆者が整理・作成。中=中国、韓=韓国、台=台湾、越=ベトナム、比=フィリピン、露=ロシア)2 第1 章 いま、東アジア海洋圏で何が起きているのかと海洋管轄の画定をめぐり争いがある、と政府の白書が認めている1。このほかにも、日本海では日本と韓国の竹島問題、西太平洋では日本とロシアの北方領土問題がある。西太平洋への海洋進出を強める中国は、日本の沖ノ鳥島は、海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約:UNCLOS)で定める島ではなく排他的経済水域(EEZ)の基点にはならないと主張している。インド洋の東部は主権や海洋管轄の問題とは性格が違うが、シーレーンの安全が長期的課題になりつつある。わが国にとって、もちろん自国の島嶼主権と海洋管轄が最大課題なのはいうまでもない。だが「海の火薬庫」や「海のバルカン」とも形容され、より大きな国際的焦点になっているのは南シナ海問題である。南シナ海は、豊富な漁業と石油ガス資源、世界貿易を支える海上交通の要路という要素に加え、周辺国の国防とアジア太平洋地域の安全保障上の戦略的要衝でもある。複数の周辺国が島嶼の実効支配を争い、これまで軍事力が実際に行使された経緯もある。力づくではなく、国際法に合致する平和的解決のルールを関係国が確立できるかどうかは、東アジア海洋圏の他の海域の問題処理の行方をも左右するという意味で重要である。本章で南シナ海に特に注目して詳しく分析する理由はこの点にある。南シナ海の6 国7 方(中国・台湾・ベトナム・フィリピン・マレーシア・ブルネイ・インドネシア)は、島嶼の全部または一部の領有権を主張する。ブルネイはマレーシアが占拠する島嶼ひとつの主権を主張するが対立を表面化させてはいない。インドネシアは領有権主張をしていないが、中国は「相対する位置にあるナツナ諸島の海洋管轄権が、中国の主張する南沙諸島の海洋管轄権と潜在的に重複する」2 としている。各国の対立は、石油ガス資源埋蔵の可能性が公表されこの海域の経済価値が高まった1970 年代からにわかに顕在化した。中国・南ベトナム(当時)の「西沙海戦」(1974 年)、中国・ベトナムの「南沙(赤瓜礁)海戦」(1988 年)、中国によるミスチーフ礁(美済礁)占拠(1995 年)と実力行使が続いた。米軍のベトナムやフィリピンからの撤退、冷戦終結などパワーバランスの変化もその背景にあった。1 国家海洋局海洋発展戦略研究所課題組『海洋発展報告(2012)』50-53 頁。2 前掲書53 頁。は じ め に 3東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国は、2002 年に「南シナ海関係諸国行動宣言」(DOC)に調印して自制と協調を約束した。2005 年には中国・フィリピン・ベトナムの3 か国が石油ガス資源の共同探査プロジェクトに合意し協調的ムードも流れた。だが対立は2007 年ごろから再燃して、烈度を増してきている。経済成長を持続させるべく各国とも海洋権益の獲得と維持にこだわりを強めてきたことが問題の背景にある。特に中国は、急速に整備した政府の監視船が海洋権益を守るとして、逆に周辺国や関係国に高圧的に対応する事案が目立っている。加えて軍事面で、中国は「近海積極防御」の戦略を掲げ、ハイペースで軍備増強を図っている。海洋正面の戦略縦深を広く確保するため国連海洋法条約の独自解釈をもとにEEZ 内での外国の軍艦や軍用機の調査活動を排除する主張を繰り返し、米海軍の音響調査艦などを妨害する“ハラスメント”事件も起こした。「海洋強国(Sea Power)」を自認するアメリカは2010 年夏以降、南シナ海問題に積極的に関与する姿勢に転じた。アメリカは、領土主権紛争はどの国の主張も支持しない立場だが、海洋コモンズ(国際公共財)の「航行の自由」は自国の国益にかかわる問題と強調して特に中国に自制を呼びかけている。他方でフィリピンやベトナムが中国へのバランサー役としてアメリカを引き込む外交的な駆け引きをしている側面もある。オバマ政権は、イラクとアフガニスタンの紛争後の安全保障情勢、ヨーロッパとアメリカの経済財政の長期低落化も見据え、「アジア回帰(pivot)」を鮮明にし、この地域での軍事力の「再均衡化(rebalancing)」を図っている。米軍の海外展開の見直し、日本・韓国・オーストラリア・フィリピンなどとの同盟強化に加え、ベトナムとの軍事交流や演習も拡大している。アジアのもうひとつの新興大国インドとも戦略関係を強めている。わが国もフィリピンやベトナムに巡視船艇の供与など海上保安能力を高めるための協力などの能力構築支援をする方針を示している。両国ともそれなりに局地的優勢を確保すべく、フリゲート、潜水艦、戦闘機など海空軍力の装備取得にも乗り出している。矢面に立たされた中国は、係争はあくまで2 国間の問題で、非当事国や域外国が関与して国際化すれば、問題の複雑化を招くだけであると主張している。同時に一連の動きはアメリカ主導の「対中包囲網」の強化と受け止め神経をとがらせている。情勢は安全保障面でのせめぎ合いの様相も強まっている。4 第1 章 いま、東アジア海洋圏で何が起きているのか南シナ海の対立では、2000 年に中国とベトナムがトンキン湾(北部湾)の「領海・EEZ・大陸棚の画定に関する協定」に調印した。だが当事国間のそれ以外の直接交渉に目立った結果は出ていない。中国は係争の棚上げと共同開発を唱えてきたが、海洋資源の共同利用や共同開発の動きは具体化していない。中国とASEAN は2011 年7 月に「DOC の履行に関する指針」(ガイドライン)に合意したが具体化は足踏みが続いている。さらに前へ向けDOC を法的拘束力がある「行動規範」(COC)に格上げする問題も進展はない。COC は、たとえ合意ができても当面の緊張緩和が目的で、係争そのものの根本的解決ではない。だがそのCOC すら合意への道筋が描けないのが実情である。ASEAN 側も国によって中国との関係に差があり“一枚岩”ではない。中国による“各個撃破”の経済援助が功を奏している面もある。また域内の各国とも“歴史問題”の経緯もあって、海洋主権をめぐるナショナリズムのハードルは高い。譲歩を許さない国内世論が外交的解決の手詰まりを増幅している面もある。残念ながら南シナ海問題の行方は、「解答よりも疑問の方がはるかに多い」といわざるを得ないのが現実である。南シナ海で現在の緊張関係が高まってきたのは、2007 年ごろからである。米国務省のスコット・マーシェル副次官補は、2009 年に米上院外交委員会で次のように証言した。「中国は2007 年の夏ごろから、アメリカなどの外国の石油ガス大手に対し、南シナ海でベトナムの資源探査や開発への協力を中止しなければ、中国国内でビジネスを続ける上で支障がでる、と警告してくるようになった」3この証言にある2007 年という年は中国の経済成長が軌道に乗ってそれなりの成果がみえてきた時期である。北京五輪の1 年前で台頭が本格化し、海洋に関連する分野でも、対外貿易、海運、造船などの躍進が続き、海洋進出の動きや海軍力拡張にも勢いがつきはじめていた。その3 年後の2010 年、中国はGDP で日本を追い抜き、アメリカに次いで世界第2 位の経済大国になった。つまり、南シナ海情勢が緊迫化してきたおもな要因は、中国が大国化に自信を3 Jason Folkmanis, “China Warns Some Oil Companies on Work with Vietnam, U.S. says,”Bloomberg, 16 July 2009, www.bloomberg.com/.1 地理的な特性 5深め、石油ガス資源など海洋権益をめぐって強硬姿勢を強めてきたことにあるという問題の本質を、この証言はシンボリックに示している。まさにこの時期以降、中国では鄧小平氏の箴しん言げんである「韜とう光こう養よう晦かい、有ゆう所しょ作さく為い」(能力を隠し、なすべきことをする)という臥薪嘗胆の時期を卒業して、いまや対外的に積極策に打って出るべきと攻勢への転換を主張する議論がエリート層内で登場しはじめた。ただ問題は中国が海洋に出ることの是非ではなく、その手法が恫喝や威圧ではなく国際的ルールに従った平和的なものかどうかという点にある。中国は2012 年11 月の第18 回共産党大会で、退任を目前にした胡錦濤総書記が党中央委員会報告(大会で正式採択)で「国家の主権、安全保障、発展の利益を守り、外部のいかなる圧力にも決して屈さない」、「海洋資源の開発力を高め、海洋権益を断固守り、海洋強国を建設する」と述べた。この方針は、新たに総書記と党中央軍事委員会主席に就任した直後の会見で「中華民族の偉大な復興」をくり返し強調した習近平氏の体制下でも引き継がれる。「偉大な復興」とは、世界の一極支配を認めず、中国が地域をリードした歴史的な威信を再確立することであると中国では理解されている。引き続き問われるのは、その戦略目標を実現するための方法論である。このポイントに留意しつつ南シナ海問題の経緯を整理して、今後を展望していこう。1 地理的な特性「南シナ海」(South China Sea)という名称は、ごく単純に中国大陸の南方にあるという地理的位置に由来している。中国では「南海」か「南中国海」と呼ぶが、中国の海という意味ではない。ベトナムでは地理的位置から南シナ海は「東海」になる。中国で「東海」は東シナ海、韓国での「東海」は日本海になる。フィリピンでは南なん沙さ諸島の対立が再燃した2011 年から一部を「西フィリピン海」(The West Philippine Sea)と呼びはじめ、2012 年9 月には地図や学校教育での公用化を大統領令で定めた。その海域は、北緯23 度27 分~南緯3 度、東経99 度10 分~122 度10 分。東西の幅1,500km、南北の縦2,700km、総面積350 万km2。国際水路機関(IHO)はベトナム・カンボジア・タイに囲まれるタイランド湾と南シナ海は別の海と区分している。世界最大の「半閉鎖海」で、アジア版の地中海やカリ6 第1 章 いま、東アジア海洋圏で何が起きているのかブ海と呼ばれることもある。中国では、南海の総面積は渤海・黄海・東海の合計の3 倍の広さとして戦略的価値を強調している。ちなみに、地中海に比べて総面積は約1.5 倍である。周辺の陸地は、北が台湾島と中国大陸、西がインドシナ半島、南西がマレー半島、南がスマトラ島、南東がカリマンタン島(ボルネオ島)、東がフィリピン諸島である。北東側は台湾海峡を抜けて東シナ海につながっている。東側はバシーとルソンの両海峡から西太平洋につながる。南側はマラッカ海峡およびスンダ、ロンボク、マカッサル(ジャワ海経由)の各海峡を経由してインド洋に続いている。つまり南シナ海は、太平洋とインド洋を最短ルートで結び、欧州・中東・アフリカと東アジア・北米との物流を保障しグローバル経済を支えるシーレーン(SLOCs)であり、海軍艦船の作戦展開にも不可欠の通路になっている。地政学的にみると、南シナ海と東シナ海はユーラシア大陸のランドパワーと日米などのシーパワーが交接する面である。また台湾本島-フィリピン諸島-カリマンタン島-スマトラ島のラインは、日本列島から南下して続く「第1 列島チェーン」を構成する。中国側からみると、南シナ海は中国南部(華南)の前哨や城壁であり、外洋(西太平洋とインド洋)への出口ということになる。フィリピンやベトナムなど周辺国にとっても南シナ海が自国の安全保障の盾になることはいうまでもない。南シナ海の海底地形は複雑で、平均深度が1,212m。西部と南部は水深が比較的浅く200m 未満である。中央部は深海平原で水深4,000m 以上、最深部は5,559m。海盆の平均水深は3,500m とされる4。中央の深海平原の四周には、250以上の島・洲・礁・灘・暗沙・暗灘がある。これらは大きく東沙・西沙・中沙・南沙の4 諸島に区分されている。基礎知識として、各諸島の地理的特徴をみていく5。おもな地名につけた英語名は国際的に広く使われている呼称である。4 陳鎮東『南海海洋学』(台北・渤海堂2001 年)1, 3-6, 19-24, 46 頁。5 以下、中国側資料としては、劉宝根編著『南沙群島 東沙群島 澎湖列島』(北京・海洋出版社1996 年)、張序三主編『海軍大辞典』(上海・上海辞書出版社1993 年)、韓振華主編『我国南海諸島史料淮編』(北京・東方出版社1988 年)などを参考にする。1 地理的な特性 7⑴ 東沙諸島(Pratas Islands)北緯20 度30 分~21 度31 分、東経116~117 度。南シナ海で最北にある。東沙島(面積1.8km2)と南衛灘・北衛灘の暗礁から構成する。中国の汕スワ頭トウの南140 カイリで、香港とマニラの中間点。台湾海峡の南側をチェックできる戦略的位置にある。⑵ 西沙諸島(Paracel Islands)ベトナム名はホアンサ(黄沙:Hoang Sa)諸島。32 の島嶼で構成する。東北部を宣徳群島、西南部を永楽群島と呼ぶ。宣徳群島の永興島(WoodyIsland)は面積が1.85km2 で、南シナ海の4 諸島中で最大の島だが、淡水はでない。海南島にある中国海軍南海艦隊の楡ゆ林りん基地から東南180 カイリ。中国にとっては中沙・南沙諸島への前進拠点である。⑶ 中沙諸島(Macclesfield Bank)20 あまりの暗沙と暗灘で構成されるが、東部のスカボロー礁(黄岩島:Scarborough Shoal)だけは唯一わずかに海面上に露出している。西沙諸島の永興島の東南330 カイリ、フィリピンのスービック湾の西120 カイリにある。⑷ 南沙諸島(Spratly Islands)中国では団沙群島と呼んだ時期もある。ベトナム名はチュオンサ(長沙:Truong Sa)諸島。230 の島嶼がある。中部と東部は海面下にサンゴ礁が多く航行危険地帯とされる。北から南に、双子・中業・道明・鄭和・九章・尹慶の6 群礁がある。このうち鄭和群礁の太平島(Itu Aba Island)は南沙では最大(平均潮位時の海面上の面積0.43km2)の島嶼で淡水がでる。太平島の位置は、北は海南島の楡林へ550 カイリ、西はベトナムのカムラン湾海軍基地へ487 カイリ、東はマニラへ487 カイリ、南はブルネイへ340 カイリ。フィリピンが石油ガス田の開発を進める、リード礁(Reed Bank、礼楽礁)は、南シナ海で最大の暗礁(面積8,866km2)である。南シナ海の天然資源は、水産資源と海底の石油・ガス資源が重要である。詳しくは対立の動向とあわせて後述する。8 第1 章 いま、東アジア海洋圏で何が起きているのか2 対立のマクロ的背景南シナ海の島嶼は、前述したように中国・台湾・ベトナム・フィリピン・マレーシア・ブルネイ・インドネシアの「6 国7 方」、とりわけ、後の2 か国を除く「4 国5 方」による島嶼領有権と海洋管轄の主張が重複している。中国と台湾は、東沙・西沙・中沙・南沙の4 諸島全部の主権を主張する。双方とも1947 年に国民党政権が『南海諸島位置図』に記したU 字形の“11 段線”を「海洋国界線」としたのを基本的に踏襲している。ただ中国は1953 年に社会主義の「兄弟国」としてのベトナム(北ベトナム)との関係に配慮して、トンキン湾(北部湾)の2 段線を取り消し、以後は“9 段線”になっている。だが“9 段線”に囲まれたU 字形(牛舌形)の海域が法的にいかなる意義をもつかを中国は国際社会に明確に説明していない。中国は1992 年2 月公布の国内法の「領海法」(中華人民共和国領海及び接続海域法)で改めて南シナ海の諸島を自国領と定めた。ベトナムは2012 年6 月に採択した「海洋法」で西沙と南沙諸島の全体を改めて主権範囲とした。フィリピンは中沙と南沙諸島の一部の主権を主張している。マレーシアとブルネイは南沙諸島の一部の主権を主張している。インドネシアは主権主張はしていないが領有するナツナ(Natsuna)諸島と相対する南沙諸島のEEZ が重複する潜在的可能性がある。ただ各方は主権主張のとおりには島嶼を実効支配していない。主張と現実のギャップが南シナ海の対立と緊張を高めている要因である。一連の問題が起きている歴史的背景には何があるのか。マクロ的に以下5 点をまずトリガーとして指摘しておきたい。⑴ 植民地・戦後清算の不徹底中国の国民党政府は1920 年代に西沙諸島を広東省に編入した。だがインドシナ半島のフランス植民地当局は1933 年に南海諸島の一部をフランス領に編入しベトナム人を移住させた。1938~45 年に日本が西沙諸島と新南諸島(南沙諸島)を支配し行政上は台湾の管轄に組み入れた。日本降伏後の1946 年、宗主国に戻ったフランスが軍艦を送り、国民党政権も軍艦を派遣し一部の島嶼を収復した。仏軍の撤退後は南ベトナムが当初は優位に立った。中国は国共内戦で大陸と台湾に政権が分かれ、南シナ海でのプレゼンスを一時的に失った。2 対立のマクロ的背景 9日本はサンフランシスコ平和条約(1951 年)で領有権を放棄したが、新たな帰属先は明記されなかった。周辺国は新興国家として独立する過程で、多くの島嶼を実効支配するには至らず、主権帰属が確定しないまま時が流れた。⑵ 石油ガス資源の魔力国連アジア極東経済委員会(ECAFE)は1969 年、地質構造の調査と検討の結果、黄海・東シナ海・南シナ海の大陸棚に石油ガス資源が豊富に埋蔵されている可能性が高いと公表した6。南シナ海の経済価値は明らかに上昇した。発表後から、島嶼の占領、EEZ の設定、鉱区の一方的な設定、国際入札の招致などの動きに急速に拍車がかかった。権益争いの場は陸から海に移った。ただ南シナ海南部での石油ガス開発は、中国・台湾以外の諸国が外国の資本と技術を積極的に導入して先行し優位に立つ。各国の経済成長による生活レベル向上で、海洋タンパク源への需要も高まり、エネルギー資源に加えて沿岸で枯渇している水産資源を補うための争奪も激化してきた。⑶ 国連海洋法条約の功罪伝統的に3 カイリだった領海の幅は12 カイリが普通になった。加えて1982年の国連海洋法条約(発効は1994 年)は、200 カイリEEZ と最大350 カイリまでの大陸棚延長を沿岸国に認めた。だが一方で相対する国との海洋管轄の画定交渉が複雑化し、対立が拡大した。島嶼を自国領にできれば、海すなわち資源を掌中にできる時代になったからである。19 世紀からの伝統的な海洋先進国の英・米・日本などの海洋寡占を打破し、新興国が権利を行使できる新海洋秩序を創る一方で、新興国同士の競合が激化することになったのである。「パンドラの箱」を開いてしまった側面があることは否定できない。⑷ パワーバランスの消長第二次世界大戦後、各国は相次いで独立し新政権が生まれたが、この地域ではアメリカが圧倒的なプレゼンスを誇った。冷戦体制下で、ソ連の進出を抑止、中国を大陸に封じ込め、インドシナ半島でも共産主義陣営に対抗した。だがア6 ECAFE, Committee for Coordination of Joint Prospecting for Mineral Resources in AsiaOff-shore Areas, Technical Bulletin, 1969, p.210 第1 章 いま、東アジア海洋圏で何が起きているのかメリカは1970 年代にベトナムを撤退、1990 年代にはフィリピンの海・空軍基地も閉鎖して「力の空白」が生じた。中ソ対立がピークに達してソ連はベトナムのカムラン湾に基地を構えたが、冷戦に敗れて力を失った。一方、中国が経済・軍事両面で台頭してバッファゾーンを拡大すべく影響力を拡大してきた。オバマ米政権は「アジア回帰」を鮮明にしてきたが、南シナ海情勢を安定化させる影響力を再び発揮できるかが焦点になっている。⑸ ナショナリズムの呪縛地域の各国は19 世紀に海から列強の侵略を受け植民地に転落した歴史から海洋問題に敏感である。西欧的な近代国家群とは異なる世界だったが、ASEAN 諸国には、過去の中国王朝が「版はん図と」を広げ周辺国家に「冊さっ封ぷう」を強いた屈辱的な歴史、「華僑」による経済支配との相克へのこだわりが歴史的DNA として残っている側面もある。冷戦期にフィリピンが中国やインドシナの共産主義陣営への防波堤とされたこと、ソ連陣営についたベトナムに中国が武力侵攻したことなど現代史の記憶が消えず、海洋摩擦のつど、それぞれナショナリズムが沸騰する面も否定できない。他方、中国では、石油ガス開発で周辺国が先行する現実について、極端な被害者意識や偏狭な愛国主義をあおるメディアやネット上の論調がことあるごとに、くり返し登場する。2012 年11月に就任した習近平総書記は「中華民族の偉大な復興」とナショナリズムを強調する表現を多用している。3 実効支配の状況南シナ海の各諸島の領有の経緯と動向を、わが国では紹介されることが少ない中国側の資料7 も参考にしてみていく。島嶼に各種の建造物を構築し守備部隊などが定期的に巡回することが実効支配とされる。このうち飛行場があり、守備隊が配置されて実効支配の拠点になっているのは6 島嶼。東沙諸島の東沙島(Pratas Island、台湾)、西沙諸島の永興島7 曹雲華・鞠海龍主編『南海地区形勢報告2011-2012』(北京・時事出版社2012)、呉士存『南沙争端起源与発展』(北京・中国経済出版社2010 年)、呉士存『縦論南海争端』(海南・海口出版社2005 年)、李金明『南海争端与国際海洋法』(北京・海洋出版社2003 年)、前掲『我国南海諸島史料淮編』などがある。本章では、読みやすさを考えて、詳細な脚注は省略している。3 実効支配の状況 11(Woody Island、中国)、南沙諸島の太平島(Itu Aba Island、台湾)・ThituIsland(中業島、フィリピン)・Sparatly Island(南威島、ベトナム)・Swallow Reef(弾丸礁、マレーシア)である。中国は南沙諸島には滑走路を確保できていない。⑴ 東沙諸島台湾当局が1947 年から実効支配している。行政上は高雄市の所属で2007 年に「東沙環礁国家公園」に指定されたが、一般には開放されていない。2000年から行政院の海岸巡防署が海軍陸戦隊にかわって東沙指揮部(2 個中隊規模)を置いている。補給は旧日本軍時代の滑走路を修復しC-130H 輸送機を使っている。主権は中国も主張している。⑵ 西沙諸島中国・台湾・ベトナムが領有権を主張している。実効支配は中国。2012 年7月には新設した海南省三さん沙さ市の管轄とした。ベトナムではダナン市に所属するホアンサ県としている。中国の国民党政府は1920 年代に西沙諸島を文書上で広東省に編入したが、インドシナ半島を植民地としたフランスが管轄を主張し、1932 年に永興島を占領した。1939 年から日本が軍事支配した。日本降伏後、宗主国として戻ったフランスと国民党政府との綱引きがあったが、1950 年に南ベトナム(旧サイゴン政権)が西半分にある永楽群島を占拠、1956 年に人民解放軍が東半分にある宣徳群島に進駐した。米軍が南ベトナムを撤退して「力の空白」が生まれた情勢下、中国は1974 年1 月の「西沙海戦」で西沙諸島全体の実効支配を確保した8。中国指導者として初めて1986 年1 月に当時の胡耀邦総書記が永興島を視察した。最大の永興島には行政組織として1959 年から広東省海南行政区(1988 年に海南省として分離)の弁事処が置かれてきた。2012 年現在の定住者は軍を除8 軍兵種歴史叢書編委『海軍史』(北京・解放軍出版社1989 年)161-166 頁。中国海軍は南海艦隊の駆潜艇と掃雷艦の合計6 隻が西沙諸島の永楽群島広金島沖などで南ベトナム海軍の護衛艦など4 隻を制圧し甘泉島など3 島に部隊を上陸させたとする。1979 年4 月に(統一後の)ベトナムが永楽群島の中建島に軍艦3 隻を偵察に派遣したが、中国の守備隊が捕獲したとしている。12 第1 章 いま、東アジア海洋圏で何が起きているのかき800 人あまり。半年交代で派遣の公的機関の職員がほとんどである。別に定期的に漁業に従事する600 人あまりがいるという。軍事面では、作戦部隊として海軍南海艦隊の楡林保障基地(海南省三さん亜あ市)の下部組織として「西沙水警区」(師級)が設置され、海軍陸戦隊と小型艦艇(駆潜艇など)が配置されている。滑走路が1980 年代末までに2,700m 級に大型化され、海軍航空兵部隊が海南島との旅客便を運航している。戦闘機など作戦機は常駐していないが、航空燃料貯蔵庫や通信施設が整備され、有事には南沙諸島方面への拠点になる。通信傍受SIGINT 施設も置かれているとされる。物資の大量輸送には、海南省文ぶんしょう昌市と結ぶ三代目の定期貨客船「瓊けい沙さ(Qiongsha)3 号」(2,500 トン)を使う。永興島には5,000 トン級の深水岸壁に加え、「漁政」と「海監」の専用岸壁も完成した。漁政船は3 隻が常駐するが500 トン未満と小型。2011 年5 月に海監南海総隊の西南中沙支隊が新設された。淡水は雨水を浄化して使い、電力は風力と太陽光発電で補う。中心街は北京路と命名され銀行や郵便局などの出先もあるが、一般観光は解禁されていない。観光開発を目指して海南省の民間海運公司が2012 年4 月に西沙諸島最北端の北礁までフェリーを試験運航したが接岸はしなかった。中国政府は2012 年6 月、「三沙市」の新設を宣言した。海南省の地区級市として西沙・中沙・南沙の全体を管理・開発する。市政府所在地は永興島。ベトナム国会が同日に西沙・南沙の主権と管轄を再確認する海洋法を採択したことに対抗した“法律戦”の一環とみられている。市人民代表大会が7 月に市長を選出した。「三沙警備区」(師級、司令員と政治委員は上級大佐)も併設された。ただ警備区を過大視するのは誤り。警備区は全国の地区・市レベルにも必ずある軍事行政組織で、前述の海軍水警区とは役割が違って作戦部隊ではない。三沙警備区は市政府と海南省軍区の二重指揮下で予備役と民兵の動員や警備などを担当する。三沙市の新設に抗議して、ベトナムのハノイとホーチミンでは4 週続きで日曜日に反中デモが起きた。米国務省は「三沙市の設置は地域の緊張を激化させる危険がある」と表明したが、中国外交部は「是非を混同している」とはねつけている。⑶ 中沙諸島フィリピン・中国・台湾がスカボロー礁(Scaborough Shoal、中国名:黄岩3 実効支配の状況 13島)の主権を主張する。中国と台湾は1947 年の『南海諸島位置図』以来、同礁を民主礁と呼んできたが、中国は1983 年から標準名を「黄岩島」に改めた。岩礁と違って島であれば、国連海洋法条約上はEEZ の設定が認められることになる(中国は日本の沖ノ鳥島は礁とする)。フィリピン名は「パナダグ礁(Panatag Shoal)」で1997 年5 月に国会議員が上陸し国旗を掲揚した。中国の報道は、1977 年に中国科学院南海海洋研究所が科学調査をして以来、数回の現地調査などをしているとする。また同礁では中国漁民がフィリピン海軍に拿捕されたり、漁船船長が銃撃されて死亡したりするなどの事案が1997年以降、少なくとも4 件起きているとしている。スカボロー礁では、2012 年4 月に中国の密漁船を検挙しようとしたフィリピン海軍フリゲートを中国の監視船が阻止し、その後、両国の公船がにらみ合ってきた。これについては次節で詳しく説明する。⑷ 南沙諸島ベトナム・中国・台湾が南沙諸島全体の主権を主張している。フィリピン・マレーシア・ブルネイは一部の領有権を主張している。ただ実効支配する島嶼の数は、細かくは公表されていない。各種資料を総合すると、いわゆる「みなし支配」も含め、ベトナム(28~31)、フィリピン(10~42)、マレーシア(7~10)、中国(7~15)、台湾(1~2)とみられる。ブルネイはマレーシアの灯台があるルイサ礁(Louisa Reef、南通礁)の主権を主張しているが実効支配はしていない。概要は表1-2。以下「4 国5 方」の領有状況をみていく。島嶼名は、中国・台湾以外が実効支配するものは、一部(主要なもの)を現地名とするほかは英名で括弧内に中国式呼称を補う。中国・台湾が支配するものには英名を後に補う。表1-2 南沙諸島の島嶼領有状況主権主張(島嶼数) 実効支配(島嶼数) 守備隊(人)ベトナム全部28~31 600フィリピン一部(53) 10~42 100+マレーシア一部(16) 7~10 120+ブルネイ一部(1) ― ―台湾全部1~2 110+中国全部7~15 600(各種資料から筆者が整理)14 第1 章 いま、東アジア海洋圏で何が起きているのか① ベトナムサンフランシスコ講和会議(1951 年)で、南ベトナム代表は西沙・南沙諸島の主権を主張する声明を発表した。軍艦を1956 年に送り領土標識を設置するとともに国土への編入を大統領令で決め、以後も断続的に軍艦を派遣した。南北統一(1975 年)の直後から、ベトナムは南沙諸島の実効支配を拡大する動きを強めてきた。1970 年代末までにSpratly Island(チュオンサ島、南威島)、Southwest Cay(南子島)、Sandy Cay(敦謙沙洲)、Sin Cowe Island(景宏島)など9 島嶼を占拠、1988 年の「南沙海戦」の前後にVanguard Bank(万安灘)など16 島嶼、1990 年代にもKingstone Shoal(金盾安沙)などを占拠した。南沙諸島の全体を南東部のカインホア省に所属するチュオンサ県としている。このうち、チュオンサ島(南威島)は、面積が南沙諸島で4 番目だが、ベトナムが領有する島嶼では最大。守備隊の指揮部があり、1988 年までに滑走路を完成させ2012 年に大補修し、実効支配する島嶼で次に大きいSouthwestCay(南子島)にも滑走路を建設した。Namyit Island(鴻こうきゅう庥島)に潜水艦用の施設を建設したとの未確認情報もある。ベトナム共産党の第10 期第4 回全体会議(2007 年)は「2020 年までの海洋戦略」を採択し、南シナ海戦略の強化を明確にした。2009 年5 月にベトナム単独およびマレーシアとの合同で大陸棚の限界延長を国連の大陸棚限界委員会(CLCS)に申請したが、中国とフィリピンがそれぞれ抗議した。ベトナムが2012 年6 月制定の海洋法で西沙・南沙を自国領と改めて主張したが、中国が法的対抗策として三沙市を設立したことは前項で先述した。ベトナムは初の国会議員選を2011 年5 月に南沙諸島でも実施した。近年は各界代表を慰問観光団として現地に派遣し実効支配ぶりを誇示している。2012年4 月には、チュオンサ島に修復した仏教寺院・大長沙寺を主持する僧侶5 人が船で赴任したと伝えられた。さらに2012 年6 月、ベトナム空軍のスホーイSu-27 戦闘機が南子島上空などを哨戒飛行したと報道され、その直後、中国国防部は南シナ海で中国軍は常態的パトロールをしていると発表した。② フィリピン南沙諸島の一部をフィリピンは「カラヤン(Kalayaan)諸島」と呼ぶ。タガログ語で「自由の島」の意味。1946 年の独立直後、フィリピン政府は南沙諸島を国防範囲に含めると発表した。1956 年5 月に領有権を宣言した。ただ3 実効支配の状況 151960 年代末に石油ガス埋蔵の可能性が報告されるまでは、中国大陸やインドシナ半島の共産主義陣営への防波堤としての意義が重視されていた。南沙諸島は米海軍スービック基地とインドシナ半島を結ぶ中間の位置にあたった。本格的な実効支配としては、1970 年8 月にNashan Island(馬歓島)、1971年にタガログ語でパグアサ(Pagasa)島と呼ぶ Thitu Island(中業島)、Loaita Island(南なん鑰やく島)などの4 島嶼をフィリピン海軍の海兵隊が占拠した。1979 年にEEZ を設定し、カラヤン諸島にも適用したと発表した。ミスチーフ礁(Mischief Reef、美済礁)に中国が1995 年に建造物を構築した後の1999 年、フィリピン軍は近くのSecond Thomas Reef(仁愛礁)に中古の揚陸艦を意図的に座礁させる方法で実効支配を示し、2012 年には監視哨を強化したという。2009 年3 月の領海基線法でカラヤン諸島と中沙諸島のスカボロー礁(黄岩礁)を改めて自国領と明示した。パグアサ島(中業島)は、南沙諸島で2 番目に大きくフィリピンが実効支配する最大の島。淡水が確保できる。1,500m 級の滑走路があり、海兵隊など30人以上が駐屯する。政府の入植政策で2002 年から約60 人の民間人も暮らし、簡易な1 棟造りの小学校もある。2012 年7 月に下院議員4 人がC-130 輸送機で上陸し視察した。滑走路や岸壁の改修計画があるが政府の予算難から実現していない。同島の主権を主張する中国政府はフィリピン側の新たな動向が伝えられるつど、逐一、抗議している。フィリピン海軍は2011 年8 月、パタグ島(Flat Island、費信島)に守備隊用シェルターを建造中と報道され、中国は2002 年の行動宣言(DOC)違反と抗議した。アキノ3 世大統領は2011 年6 月から南シナ海の一部を西フィリピン海と呼び、2012 年9 月には地図や学校での公用化を大統領令で義務付けた。③ マレーシア1960 年代後半からマレーシアは自国の東部海域で石油ガスの開発を意欲的に続けている。1979 年発行の領海と大陸棚の地図では、南沙海域の東南部にある12 島嶼を自国領としている。1980 年4 月には自国領のAmboyna Cay(安波沙洲)をベトナムが占拠していると抗議した。1983 年にスワロー礁(Swallow Reef、弾丸礁)、1986 年にはArdasier Reef(光星仔礁)とMarivelesReef(南海礁)および付属の5 岩礁、1999 年にInvestigator Shoal(楡亜暗沙)とErica Reef(簸ひ箕き礁)などを占拠した。マレーシアは南シナ海全体の主権主張はしていないが、中国、台湾、フィリ16 第1 章 いま、東アジア海洋圏で何が起きているのかピン、ベトナム、ブルネイと主張が部分的にオーバーラップする。ただ激しく対立しているわけではない。理由として、中国から距離が遠く、マレーシアの石油ガス開発に対し中国はフィリピンやベトナムに対するほどは強硬な姿勢をとっていないこと、マレーシアの漁業はフィリピンやベトナムに比べて小規模で、利害の衝突がそれほどは大きくないことを指摘できる。実際、マレーシアとベトナムは2009 年5 月に共同で大陸棚限界の延長申請を国連海洋法条約の大陸棚限界委員会(CLCS)に行った。ちなみに中国はこれに対抗して南シナ海の“9 段線”の地図をCLCS に提出した。フィリピンも抗議した。またマレーシアとブルネイは2009 年4 月に海上境界協定に調印して主張の対立を終息させ、翌年にはボルネオ島沖の鉱区で両国が石油ガスの共同開発をスタートさせている。スワロー礁はマレー語ではラヤンラヤン島。南沙で11 番目の面積だが人工島として拡張し、滑走路を建設した。軍人約70 人が常駐する。1993 年にダイビングや海島観察を売り物にリゾートホテル(15 室)を開設した。サバ州(カリマンタン島)の州都コタキナバルから小型機で1 時間弱の距離にある。そのコタキナバルにマレーシア海軍は2009 年にフランス/スペインから導入したスコルペヌ(Scorpene)級潜水艦(水中排水量1,559 トン)を2 隻配備した。ちなみにサバ州と国境を接するブルネイは、2011 年にドイツから哨戒艦3 隻を取得してムアラ海軍基地に配備している。2010 年4 月、スワロー礁(弾丸礁)付近までパトロールした中国の漁業監視船「漁政(Yuzheng)311」がマレーシア海軍の哨戒艇や航空機に17 時間にわたり追跡された、と中国側の同乗記者がルポ記事を書いている。④ 台 湾南沙諸島のなかで面積が最大の太平島(Itu Aba Island)は、20 世紀初めから日本人が燐鉱(グアノと呼ばれる鳥糞)の採掘のため進出していた。1933年にインドシナのフランス植民地当局がコーチシナに編入した。1939 年に日本軍が占領し長島の名称で台湾の高雄州の管轄下に置いた。日本の降伏後に復帰した仏軍が1946 年に軍艦を派遣、中国の国民党政府も巡防艦「太平(Tai-Ping)」や揚陸艦「中業(Chung-Yeh)」などを送り、艦名にちなんで太平島と改名した。国共内戦に敗れ国民党政府は台湾にこもったが、1956 年6 月に海軍艦隊を送って実効支配を回復した。海軍陸戦隊が常駐して1995 年からは近傍の中洲礁(Ban Than Reef)も実効支配してきた。2000 年からは守備が3 実効支配の状況 17新設の行政院海岸巡防署に移管された。大平島には、2006 年に新たにL 字形岸壁が完成した。2007 年には1,150mの滑走路も完成して空軍C-130H 輸送機が使えるようになった。行政上は高雄市旗き津しん区の所属で、海岸巡防署の100 人あまりと気象員(海軍)や飛行場勤務員(空軍)も常駐する。通信傍受施設もあるとされる。台湾は新規取得するP-3C 哨戒機の運用に太平島の滑走路を使う計画もあるとの未確認情報もあるが、仮に哨戒飛行をするにしても着陸させる必要はなく、この情報の信頼度は低い。海岸巡防署は2012 年4 月、前月に2 回にわたり太平島の領海を侵犯したベトナムの哨戒艇を巡視船が退去させたと発表した。太平島の主権は中国・ベトナム・フィリピンも主張する。2011 年に台湾当局は海軍陸戦隊の40 ミリ砲や120 ミリ迫撃砲、M-41 戦車、海軍の海かい鴎おう(Haiou)級ミサイル艇などを海岸巡防署に移管し、このうち火砲16 門を2012年8 月に現地に搬入したと発表した。中国は太平島を影響下に収めなければ南シナ海全域や付近の重要航路は確保できない。強力な空母攻撃群を保有しない限りは、太平島の滑走路は南沙諸島海域の航空優勢を確保するうえで不可欠の存在になる。南シナ海の島嶼主権の要求は中国・台湾の主張が実質的に同一だが、政策調整をしているわけではない。⑤ 中 国中国(中華人民共和国)政府は1951 年8 月、サンフランシスコ平和条約の草案に異を唱え、「東沙・西沙・中沙・南沙諸島は中国領土」との声明を発表した。外交的な主張のみにとどまる時期が長く続いたが、文化大革命の混乱を収拾して鄧小平体制になってからの1983 年に海軍編隊がJames Shoal(曽母暗沙)まで航行した。James Shoal はどの国も実効支配していないが海域はマレーシアがコントロールしている。中国は主権範囲の最南端としてシンボル視し、主権を示す石標を現場に沈めるパフォーマンスをくり返している。中国海軍は1987 年5 月、南沙諸島海域に16 隻を送り初の本格的な軍事演習をした。中国外交部は翌月「適当な時期に島嶼を取り戻す権利を留保している」との声明9 を出した。「取り戻す」との表現は初めてだった。翌1988 年3 月、9 「越南非法侵占我南沙群島部分島嶼、我外交発言人発表声明強烈譴責」、『人民日報』1987 年4 月16 日。18 第1 章 いま、東アジア海洋圏で何が起きているのか中国海軍はベトナム海軍との「南沙(赤瓜礁)海戦」10 で、南沙諸島に初めて実効支配する島礁を確保した。九章群礁の赤瓜礁(Johnson South Reef)、東門礁(Hughes Reef)、永暑礁(Fiery Cross Reef)、および鄭和群礁の南薫礁(Gaven Reef)、それに中業群礁の渚しょ碧へき礁(Subi Reef)、さらに尹慶群礁の華陽礁(Curteron Reef)の6 岩礁である。中国は信義礁(First Thomas Reef)などごく小さな2 岩礁を確保したとも伝えられるが、中国自身は何も言及していない。南沙諸島に出遅れた中国が獲得した岩礁は地形条件が極めて厳しい。国連海洋法条約第121 条「島の制度」に定める「島」の要件を満たさないとの見方が強い。だが最初は“高脚屋”という高床の掘っ立て小屋を組み、徐々に鉄筋コンクリートの恒久施設に拡充させ