シップ・アンド・オーシャン財団大阪大学名誉教授 田中一朗琉球大学教授 永井 實水棲動物の高速遊泳能力に学ぶ抵抗と推進の流体力学抵抗と推進の流体力学 水棲動物の高速遊泳能力に学ぶ大阪大学名誉教授田中一朗琉球大学教授永井 實1前、.一{遍1・受嘩弱鼠』,F、・・硬一、r♪・慧整穽i麟轟蜘蝉酢㌔噸監I諺ドL遊泳するキハダ(国営沖縄記念公園,水族館大水槽,1996.4、9撮影)冒’,,一㎎ 二-i一 “ ・ゐ ~嘱 ’ ヌ、 卜 、㌔曹 ㌧.勢」、2.イルカスタジオのミナミバンドウイルカ,クロとムク(手前)(国営沖縄記念公園、1996.4,9撮影)凝繭甲’ヂニ為走3.ジャンプするカマイルカのトッポ(オキちゃん劇場,1996.4.9)4.テイルウォーク(立ち泳ぎ〉を行うカマイルカのトッポとミナミバンドウイルカのダン(手前)とポイ,尾びれ運動のみでその体重を支えている(オキちゃん劇場,1996.4.9)5.ミナミバンドウイルカのダン(右,右下写真も)とポイ(左〉(オキちゃん劇場,1996.4.9)6.ジャンプするコビレゴンドウクジラのゴン(オキちゃん劇場,1996.4.9) -’儀.一今>~7.流れに平行に置かれた2円柱後方のカルマン渦列(東京大学小林敏雄教授提供1・)尺〔ノ=1〔)コムT=3.5×10一;G,1‘は;0,i2 y+、3×Io一礼尺〔仁lo4 △T=1.67×1〔)一3C“1‘“=0.37 ぎ?~2×1〔)一1Rε=3×lo5 △T=1.67×10糟ミc“~ぐ,し=0.86)一 2 (a〉流線 /bl対流項 〔c、圧力項8,数値計算による円柱まわりの流れ(機械技研,松宮氏ら2の好意による〉、象 r 2■■「 ■ じ 轡じ ’P 恥 ~ , . 鋤 ㌧ 」 為艦騨.、鑑ン9.コイの泳運動の観察(琉球大学小型回流水槽,下は45。傾斜鏡による下面図,16mmフィルム,1979年)『5一〇.510,0一10,010.GFDによる魚体モデルまわりの流れκθ=104(圧力場は赤が正圧,青が負圧.渦度は赤が反時計回り,青が時計回け神戸商船大学戸田保幸助教授提供3)11.東海大学のメカニマル達4(海洋科学博物館,1995.5.19撮影)ススメダイ(全長45cm〉オオウデウミバシリフタヒレイルカ(全長60cm)イ贋、讃甑・』驚 」,幽7P 『必二IJ醤》i』、,へ 却∫謎型鍵-認ン, 、ぜ’泌.馨難・ 12,小型自動機械魚の遊泳実験(体長39cm,琉球大学,1979年)環磁13,大型自動機械魚(体長232cm,琉球大学, 1983年)阿廼● 白で ∫ q・』繭晦IIフタヒレウミバシリ1馬‘し .醒.虹』・西14.RoboTunaチャーリー…(体長132cm、M,庶トリアンタフィロ教授とサイアンティフィック・アメリカン社の好意による)〕15.振動翼推進船の実験風景(琉球大学,1995年)理計11 一魚」16.振動翼推進船3号機(琉球大学,1996年)’,}/〆 ノ’ 鷲爆講繋驚後流“ごあいさつ 本書はモーターボート競走公益資金による日本財団の平成7年度補助事業として実施しました「基礎発想力高揚のための魚類運動メカニズムの研究」の結果をとりまとめたものです. 今日まで,自然界に存在する水中移動体である魚類などの生物学的動作,又,運動メカニズム等の造船技術等への適応については,数多くの研究が行われてきました.本書は,これら個々に存在している内外の研究論文等を収集,解析,評価し,この情報を盛り込みながら,水中における生物の運動メカニズム等について,技術的に体系だった記述で,学生及び若手研究者が今後学習・研究を進めて行く上での基本書となることを目的に刊行したものです. 刊行にあたっては,大阪大学田中一朗名誉教授と琉球大学永井實教授に具体的な検討と執筆をお願いしました.本書はこれら両氏のご尽力によるほか,関係各位のご協力により刊行されたのもであり,これらの方々に対し心から感謝の意を表する次第です. 本書が,これからの造船業を担う学生・研究者をはじめとする多くの方々にとって,技術開発に対する新鮮な発懇力への喚起となれぱ幸いに、思います.1996年8月財団法人シップ アンド・会長 今オーシャン財団 市 憲作まえがき主要記号単位系と単位の換算第1章1.11.21.31.41.51.61.7目 次 緒論一…………一一『一一一『はじめに本書で扱う魚及び水棲動物の種類とその泳ぎ方魚の遊泳速度…………一一一一…一抵抗と推力の意味=船の場合,魚の場合周期運動を含む現象の無次元量魚の泳ぎの研究の歴史…………一一・一一・グレイのパラドックス一第2章 2.1 2.2 2,3 2,4 2.4.1 2.4,2 2.4.3 2.4.4 2.4.5 2.4,6 2.4.7 流体運動と抵抗の力学 力の認識の歴史ニュートンの流体力学とその限界理想流体の力学とそのパラドックス実在流体の力学ナビエ・ストークスの方程式小さな粘性の効果レイノルズの相似則・一一境界層理論…一……………・……一層流と乱流数値実験と物理実験実在流体中の翼の運動第3章 推進の力学 3.1推力発生の原理一』 3,2 運動量理論 3,3 細長物体理論(Slenderbodytheory) 3,4 振動翼推進理論 3.5 振動翼の特性計算 3.5.1 特異点分布法に基づく弾性翼の計算例15799101420232936393940455354565860636568 75 75 76 80 86・101・101 3,5.2 粘性流体における剛体翼の計算例3.6 魚体まわりの流場と流体力の計算105・107第4章 4,1 4,2 4.2.1 4,2.2 4.2.3 4,2.4 4.3 4.3,1 4.3.2 4.3.3 4.3.4 4.4 4.4.1 4.4.2 4.4,3 4.4.4 4.5高速遊泳能力の解明次元解析抵抗低減の可能性トムズ効果微小突起による抵抗低減:リブレットの場合リブレットの実用例(アメリカ杯ヨットレース)我国における最近の研究・淡水魚の抵抗測定と遊泳能力の観察回流型整流水槽供試魚の体形……抵抗係数の比較一『映画による泳運動の観察イルカの泳運動の観察国営沖縄記念公園水族館イルカの体形イルカの泳運動イルカの最高速度淡水魚およびイルカのパワーの推定117117122124130134・135・137137139143・144148148150151154159第5章 船舶推進への応用と展望 5.1ヘルテルらの研究 5,2 わが国における研究 5,3 琉球大学における研究… 5.3.1 自動機械魚… 5.3.2 振動翼推進船 5.4MITの研究 5.5 5.5.1 5.5,2あとがき参考文献索引 水棲動物に学ぶ船舶設計 水棲動物の形状と船の抵抗 振動翼実船設計の試み169169173178178187195・197・・197200205209214まえがき 近年の科学技術の進歩は目を見張るものがあり,正に20世紀科学技術文明の樟尾をかざるにふさわしい感がある.工学,産業技術の分野でも過去には想像することさえできなかった高性能の機械,新しい装置等が出現し,我々は豊かで快適な生活を楽しむようになった、周りにはコンピュータなど文明の利器があふれ,自動車,電車,船,飛行機等の高速交通機関が日常生活に不可欠のものとなっている. しかし,しばし自然の中にたたずみ,鳥や魚を眺めるとき我々は何を思うであろうか.鳥のように空を飛びたいと思い飛行機を実現させたのは人間の叡知であった.しかし,音もなく自由自在に空を飛ぶ鳥を見ると,人工物の世界と自然との問にはなお歴然とした差を感ぜざるを得ない.一方魚は正に船のお手本である.もっとも魚のように海の中を思いのままに泳ぎたいと憧れて船を作ったという表現は,船の数千年の歴史を考えると,鳥と飛行機の関係の話とは若干感覚が異なることは否めない.しかし,素朴な意味ではやはり魚は船の一つの理想像であったのであろう.以後長い船の歴史の中で,現在ではタンカー,コンテナ船等が世界の経済を支え,更に近年はTSL(T㏄hnかSuper Liner)が新しい船舶輸送の担い手として開発されるなど,船は人間の生活に欠くことのできないものになっている.しかし,身近な自然にもどり,鯉の池を泳ぐ悠然とした姿,イルカの想像を絶する高速並びに瞬発遊泳能力,クラゲの優雅な泳ぎ等を見ると,人工の船をはるかに超越する水棲動物の遊泳にただ驚嘆する他はない.これだけ科学技術が発達,進歩した時代にあっても,我々は自然に接し,動物の運動を観察すれば,常に人工物とは異一1一なる,人智の及ばぬ生物の動きに感動するのである.我々は常に自然に学び,生物を手本にしなければならない.我々はもっと動物の動きを知らなけれはビならない. 本書執筆の動機は正にこのような思いからである.著者らは,それぞれ船舶海洋工学及び機械工学の分野で流体力学の教育と研究にたずさわっているので,このような水棲動物の遊泳の秘密を流体力学の立場からあらためて考察するとともに,その工学的応用についてもまとめることを計画した.具体的には魚及びイルカ,クジラ等の哺乳動物を含む水棲動物の泳ぎについて,直進運動に焦点を絞りその抵抗,推進法,推進力発生機構等を考察してみたい.また動物の泳ぎに学び,工学的応用をさぐる第一歩として研究が進められている人工魚ないしは振動翼推進装置についても述べる. 生物は恐らく何万年,何億年も前から生息,進化し,環境に最もよく適合する形で今日生きているのであろう.従って運動効率は高く,消費エネルギーは小さい状態の下に自然と共生して生きているに違いない.それ故,水棲動物の運動をあらためて考察し,生態学的,物理学的原理を確認ないし発見することができれば,今後の造船技術,流体機械工学等に生かすことができ,将来に向けて大変有益であると考えられる. シップ・アンド・オーシャン財団では,造船界の発展のためにはこのような考え方を具体化することが必須であるとの認識の下に,水棲動物の泳ぎの流体力学の現状と船舶を中心とする工学分野への応用について調査研究を行うことを計画・決定し,今市憲作大阪大学名誉教授を委員長とし,著者ら二人が加わった委員会が発足した.ちなみに委員会名は「基礎的発想力高揚のための魚類運動メカニズムの研究委員会」と称した.その後今市委員長の財団会長就任に伴い,作業は二人で進められ,執筆2一一に至ったものである. 読者対象としては,大学,学部学生及び大学院生を中心に考えたが,高校生にも,また第一線の研究者の参考にもなるよう内容と記述に配慮した.流体力学の教科書ではないので,極力数式の使用は控えたが,内容は流体力学の部類に勿論属するものである.従って必要に応じ流体力学の成書も参考にしていただきたい。 本書の内容は,上記研究委員会の討論,この分野における従来の研究のサーベイとレビュー,著者の一人永井の研究等を柱とし,それに種々肉付けをしてまとめたものになっている,まとめに際し,多数の研究者の著書,論文を参考にした.これらは巻末に一括して参考文献として掲げてあり,各著者に深い敬意と感謝を捧げる.特に今世紀この分野の学問進展の原動力となった,Sk Gray,Pro£Bainbridge,Sir Lighthil1,Pro£Herte1,Prof Wu,Pro£Webb,谷一郎教授,東昭教授,田古里哲夫教授,一色尚次教授の著書,論文には大きな感銘を受けたことを記して謝意を表したい. 著者らの執筆分担は次の通りである.すなわち,まえがきおよび第1章は田中,第2章と第3章から第5章の過半を永井,ただし3,5節,3.6節,4.2節および5.5節は田中,あとがきを永井が執筆した.なお,著者らは互いの語り口を尊重して,できれば著者の顔が見えるような親しみやすい文章にすることを申し合わせてあったが,恐らく読者諸氏には執筆者の違いを感じられない程に,両者は原稿を交換し,相互に推敲を行ったことはいうまでもない。 執筆にあたり多くの研究者の方々からご援助,ご助言をいただいた.マサチューセッツ工科大学トリアンタフィロ教授,機械技術研究所松宮輝主席研究官,東京大学谷口伸行助教授,東京大学加藤洋治教授,同じく3宮田秀明教授,東海大学加藤直三教授,大阪府立大学奥野武俊教授,神戸商船大学戸田保幸助教授,大阪大学鈴木博善助手の方々には,貴重な写真をはじめ多くの資料並びに情報を快くご提供いただいた.また国営沖縄記念公園水族館内田詮三館長にはイルカの運動の観察,撮影等で大変な便宜をはかっていただいた.ここに厚く御礼申し上げる次第である. また文献調査,資料の整理および原稿の清書に大変助力をいただいた,大阪大学工学部船舶海洋工学科福田朋子氏,琉球大学工学部機械システム工学科大学院学生喜納芳洋君,同研究生関紅旭君に感謝する次第である、 最後に末筆ながら,本書の執筆・出版が呵能になったのはすべてシップ・アンド・オーシャン財団のご高配によるものであることをここに記し,あらためて深甚なる感謝の意を表させていただく.また財団の方々の終始変らぬご援助に対し厚く御礼申し上げる次第である. 本書が,水棲動物の流体力学の理解のため,またそれからの発想による造船技術・海洋開発の新たな進展に向けていささかでも貢献するところがあれば,それは著者らのこの上なき喜びである. 平成8年(1996年〉8月 田中一朗一4一主要記号AααBbcOPOLCMOPCTCT/1c∫CpP4deFFMノ∫か9Hん」κTκ9=面積または振幅 κ1軸流干渉係数または無次元 乙速度 1:加速度(ベクトル) 砿肌=幅 mα=振幅または回転方向干渉係数ノV,η=翼弦長または波の伝播速度 P:抗力係数(抵抗係数) p,pα=揚力係数=仮想慣性モーメント係数=動力係数推力係数:周期平均推力係数=摩擦抵抗係数1圧力係数=抵抗,抗力または直径1直径:水力等価直径1力=仮想質量力周波数,振幅または管摩擦係数:力(ベクトル)=無次元振動数(換算周波数〉:重力の加速度=ベルヌーイ関数=変位:前進係数(または前進常数)推力係数=トルク係数QgRResSオSε3初S”5ωR丁古u,レ鋤十秘艦””’『ω1バネ定数揚力または代表長さ:体長,代表長さ1質量1仮想質量=回転数,周波数働力,仕事率=圧力,大気圧流量またはトルク1速度または動圧1半径,アーム長または抵抗1レイノルズ数;面積流線に沿う座標1ストローハル数1泳動ストローハル数1泳動数:アーム長Rを代表長さとする泳動数:力または周期:時間1速度:速度または速度のx方向成分:無次元速度(;u/u*):摩擦速度〔=〉研):速度または速度のy方向成分:速度の増加量:重量:速度のz方向成分または相対速度皿,写,Z 距離(座標軸)ず =壁からの無次元距離 (=Ψ宜ソレ)α,αα =角度または変位β =角度ω,ωQ ;渦度,角速度または 角振動数(円周波数)入 :前進率または波長7 :応力,摩擦応力r,ツ ;循環ε :揚抗比(硫/σρ)η =効率,推進効率δ :境界層厚さまたは角度μレρ粘性係数動粘性係数(動粘度)密度添字0,D。 :標準,プロペラ単独, 壁面または基準状態A,α =平均または大気b =物体,固体∫ 摩擦力冊αコ, ;最大OP孟 :最適ω =水6単位系と単位の換算 物理学および工学の分野の事象に関与する物理量を表現するには,その次元と単位系が重要である,単位系としては工学関係では昔から重力単位系(工業単位系,工学単位系ともいう)が用いられてきたが,1960年に国際単位系(Le Sys惚me Intemationωd’Unit6s.世界共通の略称としてSIと表記する)が採択され,船舶海洋工学,機械工学その他多くの工学の分野でSIが使用されるようになった.従って本書でも基本的にはSIを使用することにする.ただ,従来から慣用的に使われているSI以外の単位で今も頻繁に使用される単位が船舶海洋工学にも機械工学にも存在する。例えば海里,ノットなどがそうであるが,他にも本書ではイルカの体重をいう場合,やはりSIのニュートンではなく日常用語としてのキログラムが分かり易い.また,昔の文献はほとんど重力単位系またはCGS単位系で書かれている.このようなことから,基本的にはSIを用いるが,適宜他の単位系も使用することにする.使用上の便利のために主要な物理量について比較・換算表を表1.1から表1.3に示す.一7表L1単位系と単位(物理量)長さ(L)質量(M)時間(T)力(F)圧力(P)SI単位 皿メートル kgキログラムs NニュートンPa,N/m2ノミスカル重力単位(MKS系) mメートルkgf・s2〆m s kgf重量キログラムkgf/m2CGS単位 cmセンチメートル 9グラムs dyーダインdyn/c皿2 仕事(エネルギ) 仕事率(パワー・動力・馬力)粘度,粘性係数動粘度,動粘性係数SI単位」ジュール(N・m)Wワツト (J/s) Pa・sパスカル秒m2/s重力単位(MKS系) kgf・m ㎏f・m/sメートル制馬力〔仏馬力)ps㎏f・m2 m2/sCGS単位e「gエルグ erg/sエルグ毎秒鵠難 cm2/sストークス,St換算法1N=愈kgf IPa-IN/m2=磁kgσm21J一磁kgf・m-lo7erg lw-9.§。7kgf・m/s一歳PslPa・s=10P=磁kgf・s/m2 1St=10-4m2/slcSt=10 2St=10 6m2/s 表1.2速度の換算表 kt,kn,ノットm/s km/hr(メートル制〉 1 3.6 1,9440.2778 1 0、54000.5144 1.852 1表1,3動力の換算表kW kgf・m/8 PS 10.0098070.7355101.97 1 751.35960.01333 1一8第1章緒論1.1 はじめに 池の鯉を見ていると,鯉はただだまって,しかし自由自在に水の中を泳いでいる.時には悠々と,時にはす一っと驚くほどの早さで,また時には水面上に勢いよくはね,体の全体が空中に飛び出すことさえある.このような鯉の動きに代表される魚の運動は一体どのようなメカニズムから生まれるものであろうか.あのスマートでシンプルな鯉の体からどのようにしてこのような色々な,思いのままの遊泳が呵能なのであろうか。 このような素朴な,しかし自然な疑問は昔から多くの人々が抱いてきたもので,その解明のため様々な物理学あるいは生物学的研究がなされてきた.しかし,一見簡単そうにみえる事柄でありながら,科学的理解は必ずしも十分ではなく,今世紀に入ってようやく動物生態・生理学以外の分野として,流体力学的研究が進むようになった.現在では魚の運動の流体力学についてかなりの知見が得られ,体系化への努力が続けられており,その成果を基礎に工学的応用も次第に試みられるようになってきた.魚の動きを模擬したロボット魚の出現も問近いことと考えられている. 本書は,このような興味深い魚の運動とその工学的応用を紹介するもので,前半部では流体力学的見地から基本原理を説明する.原理が分かれば実際に応用し,出来れば物まで作りたいと思うのは自然の成り行きであるので,後半部で具体的に船あるいは水中機械を設計,製作する試みについて紹介する.ただ,魚の動き一つ考えても,それには多くの形9一態があり,直進,旋回,停止,上昇,下降などたえず種々異なる運動をしている.これらは勿論体自体の他に尾びれ,胸びれなど多くのひれの複雑な運動によりなされるものであるが,本書では最も基本的な直進運動に焦点をしぼって考えることにする. 直進運動を取り扱う際に,直ちに考えられるのは抵抗と推進力の概念である.魚が泳ぐのをみて思うことは,魚は何故あれ程スムーズに,あるいは何故あれ程速く泳ぐことができるのかということである・換言すれば,魚の抵抗は一体どの位なのか,通常の物体に比べて大変小さいのではなかろうか,あるいは魚の推進力は想像以上に大きいのではなかろうか,もしそうだとすれば,魚の推進法のどういう所が優れているのだろうか,などの疑問である.そこで,本書では抵抗と推進という二つの問題を主題として考える.1.2 本書で扱う魚及び水棲動物の種類とその泳ぎ方簡単に魚と言ってもこれには勿論大変な種類がある.これからその泳ぎ方,抵抗,推進等を考えるにあたって,まず本書で対象とする魚の種類と類似の水棲動物について述べるとともに,その泳ぎ方について説明しておきたい.魚には観賞用として身近な金魚から,アジ,サバ等中問的な大きさの速い魚,体長のもっと大きいマグロ,サメのような高速回遊魚等々あげ出すときりがない位に多くの種類,形態がある.また,魚類ではなく哺乳(Pウナギ型 推進1 2〉 アジ 型 推 進 型推進図L1 魚の泳ぎ方の3種類 (Breder,1928)(1)10第1章.緒論類であるがクジラ目に属するクジラ(体長5m以上),イルカ(同5m以下〉も魚と同様の水中遊泳を行う.一方ウナギは他の魚類とは形状が非常に異なり,全身をくねらせて上手に泳ぐ.軟体動物にはイカ,タコがあり,クラゲも優美に泳ぐ. さて、魚の泳ぎ方は大別して次のように考えるのが普通である.(1)ウナギ型(Anguilhform)推進 細長い体全体をくねらせて泳ぐ(2)アジ型(C肛angiform)推進 尾びれと体の後半部を使用して 泳ぐ(3)ハコフグ型(Ostraciiform)推進 体はほとんど使わず尾びれだけ を動かして泳ぐこの分類と命名はBrederに依るものである〔11.図1.1はこれを図示したもので,流体力学者が勤物の運動に深くかかわる契機を作ったグレイ(Gray,J,1891.1975)の名著AnimalLocomotion〔21の中の図を基に描いたものである。勿論実際には極めて多種多様の魚,水棲動物がいるので,中間的な場合も存在することはいうまでもない.参考のため,ウナギと,最も数の多いアジ型の代表としてアジとカツオ,それにハコフグの写真を図1.2に示す・魚ではなく哺乳動物のイルカ,クジラの泳ぎは(2)の型である.水棲動物の泳ぎで他の代表的な型としては,水を後方に噴出して泳ぐイカ型推進もあるが,以下本書では通常の魚の推進法である(2)を中心に流体力学的考察を行うことにする. 普通の魚の代表的な泳ぎ方を連続写真で示したものが皮献(2)に種々示してある.図L3はその一つで,コダラの泳ぎの各瞬間の形と位置を示している.その特徴として次のような点が指摘できる.(1)体の前半分は余り左右に動かない.(2)左右に振るのは体の後半部で尾びれ端が最も大きい.11一 (C) カッオ(1i48cm〉図L2 ウナギ,マアジ(クロアジ),カツオ, 1・体長(日本産魚類大図鑑⑥より) 噸 騰唱P 勢《 固葺(b) マアジ(1ニ25cm)(d) ハコフグ(1-20c皿〉ハコフグの側面写真1 3 4 5 尾呑れは右ヘ レ 6 7←尾びれは左乍 9 10 11 12 13 14 15 16 4 尾びれは左へ 尾びれは右へ レ 図1,3 コダラの遊泳形態(Gray,L968)〔2112一第1章.緒論〔3〉尾びれは左右へ振れるが,各々の運動の変わり目にすばやく方向を 変え,常に後方へ水を押すような姿勢になるようにしている.(尾 びれの動く方向を左,あるいは右と著者が記入した〉(4)コダラの場合少しわかりにくいが,注意して動きを眺めると,体を 左右にくねらせる動きは波動となって頭部から尾部の方へ伝わって いるのが認められる.つまり体の各部分を左右に動かす場合に前 方の部分の左右動より位相が若干おくれて後方の部分が勤き,こ れが順次後方へ伝わり,頭部から尾部への進行波を形成する.目 印として最大曲率と思われる場所を●及び○印で示した.これら の点は写真のコマの横枠より下方に動いているので,波速は魚の 前進速度より大きいことがわかる. 尾びれを左右(または上下)に振る振動数は早い場合は10~20Hz(ヘルツ)にも達するので,肉眼では詳細な運動はわからないが,カメラ撮影により調べられた結果魚はこのような実に見事な運動を行っていることがわかった訳である.ウナギの場合は全長にわたりほぼ同じ振幅で体を左右に振って泳ぎ,体が細長いので進行波を前方から後方に送りながら泳ぐ様子はもっとはっきりしている、そのためその泳法が(1)のウナギ型と呼ばれるわけである.一方(3)の泳ぎは体本体は動かず尾びれだけが扇子のように左右に動くもので,尾柄のところが回転軸になって扇ぐように運動する.従って一見(2)の推進法の尾びれだけ取り出したようにも思われるが,そうではない.(2)では尾びれの付け根の尾柄も前方の体の左右動により左右に動くため,回転軸部自体が左右振動を行うという構造になっている.換言すれば,(3)の方法はバネのある一つのヒンジ(関節)の回りの可携翼のピッチングであるが,(2)は体の後半部を表現する二つあるいはもっと多く多ヒンジのシステムになっており,その先一13端についている翼がピッチングをするということになる.本書の後半で,魚の推進法をとりいれた機械魚を作る試みを紹介するが,それにはこのような推進法のモデル化が基本になっているということができる.図L4に多関節モデルの模式図を示す. 後端推進要素(尾びれ) ◇延拳堅 図1.4 多関節魚体モデル1.3 魚の遊泳速度 普通の魚及びイルカ類を対象に直進運動を考えるとすれば,まず注目すべき基本量は勿論遊泳速度である.これについては観測の他に実験室での実験もあり,データ量は多いが,何しろ魚は生物であり,定常状態で計測することは中々大変である.また,計測状況も千差万別であり,工学的計測値のような精度は最初から期待する訳にはいかない.しかし多くのデータを整理すると興味ある結果が得られる.その一例を図1.5に示す(4).図は永井によるもので,観測値,実験値等とともに,次元解析と抵抗相似則から得られた表面境界層が層流の場合のU収β及び胤流の場合のU飯浮の2種の理論線と,参考として引いたU(x Jの直線が示されている.ただしUは魚の速度,‘は体長である.理論線の導出については若干の説明が必要であるが,これは後述する,この図からわかることは,(1)魚の遊泳速度は体長が大きい程一般に速い,ただし,体長の例え ば何乗に比例するのかなどの法則性については確定していない.一14一第1章.緒論。,1L」_一」」ユ_… 001 0,1 1 10 100 体長以ω 図1.5 種々の遊泳体の速度(流体力学ハンドブック,1987)(4)(2)瞬発速度と (遊泳)持続速度とは2~3倍程度の差がある,(3)カジキ(マグロ),イルカ,シャチ,クジラ等の水棲動物は40ノッ ト程度の極めて高速で泳いだというデータがある.これは水中翼 船あるいは最近の高速船の速度に匹敵する.(4)レイノルズ数から考えて魚の表面境界層は乱流と考えられるが,そ の前提で計算した理論線U〔x酋より速度はかなり速く,層流とし ての線Uα:‘書さえ超えて参考線U帽に近いデータが多い.U面 の線は単なる参考線であって簡明な理論的裏付けのない関係式で あるが,水棲動物,特にイルカ,カジキ等は流体力学の常識から 考えられる速度よりなお速く泳ぐということを示すデータになっ ている.なおレイノルズ数はU,♂,水(海水あるいは淡水〉の動 粘性係数μから作られる無次元量であり,Rεと書き,Re=Ulル で与えられる.これについては読者諸氏は既に熟知されていると一15 思うが,詳しくは流体力学の成書を見られたい.第2章でも説明 する.層流,乱流についても同様に第2章で述べてある.上記の内,特に(3),(4)については,現象が顕著であるにもかかわらず未だ詳細が不明で,種々の説が提示されているが定説は得られていない.魚の推進において最大の未知問題となっている。これは提起者の名を冠してグレイのパラドックス(背理)と呼ばれているが,これについては節をあらためて更に論じる. 魚,イルカ等が泳ぐ際には尾びれ及び体の後半部を振る速さ,つまり振動周波数が遊泳速度に大きくかかわってくると思われるが,図1.5にはそれが入っていない.そこでこの点について資料を示しておきたい.Balnbridgeはケンブリッジ大学動物学教室において多くの丁寧な魚の遊泳の観察,実験を行い,種々のデータを発表している.1g58年の論文〔5)ではウグイ,マス,金魚について詳細な実験を行い,その結果を様々な角度から分析している.その中で尾びれの周波数∫(ヘルツ,Hz)と対体長比速度(毎秒体長の何倍進むか)u/z(1/sec)の関係を調べ,u/εはほぼ∫に比例するというデータを得ている.永井(6)はやはり回流水槽においてティラピア(図4.18に体形図),ギンブナ,コイについて遊泳状態を側面及ぴ丁面から撮影し,その分析結果をBainbridgeのデータを含め整理した.その結果を図1.6に示す・これによると尾びれの振動数∫に比例して対体長比速度が増加することが分かる.また興味深いのは魚の種類が異なるにもかかわらず,データ点がほぼ直線上に並んでいることで,これから永井はこの線は普遍的法則を与えるとしてUμとノの比をSωと書き,泳動数(swimming number)と名付けた.すなわち u S切i一 (1,1) ガ16一第1章緒論)10塾製國嘱茸蕊Q 5硬95L七= 孟置=06 ∫〆迭一‘一 xx泌x▲ O T【1ψ ロCarp △Gln- x Dac巳0 5 10尾びれ振動1「ld波数∫(Hz)15図1.6 尾びれの振動周波数と対体長比速度の関係(永井,1979)〔6)図中5ω=0.6の線が示してあるが,これが魚の種類を問わずほぼ平均値になっていることがわかる圧1.3ωの意味を別の言葉で表現すれば,尾びれ一振り(1ビート〉当たり何体長進むかを表す.つまりこの表現は相似則を前提にした表現であり,感覚的にも分かり易い.造船学でも船長をスケールの単位とすることは時々使われる. 魚の種類,大きさにより∫の範囲が異なっていることも図から知られる.生物である以上けだしこれは当然のことであろう.また,通常の定常的に遊泳する状態の∫の値と瞬発的に動く場合の値は魚の種類,大きさでほぼ決まっており,それがそれぞれその魚の,その大きさの場合の持続速度と最高速度に対応していると考えられる.ノの上限については魚により異なるが毎秒10とか20のオーダーであるとされている.従っ注1図1,6は永井の初期の論文のものである.第4章で見るように,彼はその後種毎の 泳動数の違いについて論じている.一17一て例えば20とすると5冠,i O.6としてU/‘=0.6×20=12つまりこの場合は1秒間に12体長進むということになる.Bainbridgeによると〔5}最高速度は大体10体長/秒位であるということである。ただし,これは持続時間が1秒程度で,10秒程度持続時間をとる時には速度はほぼ半減するという. 速度に関する量としてもう一つ尾びれの振幅はどうであろうか.これについてもBainbridgeは貴重なデータを示している.図1.7はBI殖nbridgeが3種の大きさ(9.Ocm,17.5cm,24.Ocm)のウグイについて調べたもので,振幅にほぼ比例して1ビート当たりの前進距離が増加する様子が分かる.ところがデータ点でわかるように振幅はほぼ体長によって決まり,体長の1/5程度になっている・他の魚でもほぼ同様の関係が成り立つということが同じ論文中で示されており,それも尾びれ振動数に無関係に成立することが明らかにされている.つまり振動数が変わっても振幅対体長比はほぼ一定の0,2であるという結果が得られている.このようなこと253 20謎躍製15淀箭 1QL†包 5- 1 0’鍵 ’♂鯨. 、 騨 ● 。 ’クウグィ, ●24,0cm, 0 175cm, x 9.Ocm1 」L ⊥ 」1 2 3 4 5 6 尾びれ振幅監c皿)図1.7 尾びれ振幅と1ピート当たり前進距離(Bainbridge,1958)(5)18一・第1章.緒論から,結局図1.5には見かけ上尾びれの振動数及び振幅がなく,体長zが基本量として使用されている訳である. 最後に観察装置について述べておきたい.先に永井の観察は回流水槽で行われたと記述したが,この水槽は後章の図4.llに示してある.Bainbridgeらがケンブリッジで行った魚の観察は,後にFish Whee1と呼ばれるようになった大小二つの回転水槽で実施された.この内,大きい方の水槽の図を図1.8に示すω.昔のヨーロッパの香りのただよう絵であるが,図から知られるように水槽はモ~ターで中心回りに回転し,水路の中の魚が対水速度で泳ぐ様子を外から観察,写真撮影を行うようになっている.分かりにくいが水路の中には魚が泳いでおり,また速度を求めるための回転計なども描かれている. 鉾、.・筆ξ斗2繋熟 鰭難蓼萱豊薄紮、騰[『一』ぐ懲L蟻墾縷蒸拶黛嘱一葱 一図L8 Bainbridgeらが使った大回転水槽(Gray,1957)(71一191.4 抵抗と推力の意味=船の場合,魚の場合 さて,ここまで抵抗及び推力という言葉を自明のように使用してきた.しかしあらためて魚の場合を考えると,この用語には不明確なところがあることに気付く.それは一つは魚は自分の体を動かしてたえず体を変形させながら泳ぐので,対象とすべき一定の形状がないこと,もう一つは例えば一定速度で泳いでいるときには抵抗と推力は釣り合っている筈であるが,言えるのはそれだけで,抵抗と推力を分離してそれぞれの値がいくらであるかを述べるのは,魚のように体全体が抵抗を受けながら推力を出しているような場合は困難のように思われるという点である.そこで,このような疑問点についてまず考察しておく. 代表的な水上及び水中航行物体として船の場合を考えてみると,船では推進器を装備していない船体のみをまず考え,これを所望の速度で航行させるには,船体抵抗に打ち勝って前進させるために推力を与える必要があるので,推進器を船尾に装備し抵抗に等しい逆方向の推力を発生させ,船を前進させるという論法になっている.船の抵抗と何気なくいっているが,船体と推進器を分離して考えると抵抗の定義が明確であるので,造船学ではこのように抵抗を定めている訳である.従って船型の研究ではプロペラを外した船体だけの状態で試験水槽における実験あるいはコンピュータによる計算を行って抵抗を調べている.一方推力の方は推進器のみ取り出して考えれば良いので話が簡明で,船尾でプロペラを回転して推力を発生させ,その値が抵抗と同じになるという条件で最適プロペラを設計している.(船体の後端部にプロペラが密着して装備されている関係上種々の流体力学的相互干渉が船体とプロペラとの間に発生する.船の設計にはこれらについても詳細な検討が必要であるが,ここ一20第1章、緒論では立ち入らない.) しかし魚の場合はどうであろうか,魚は船のように船体に相当する固定形状の本体がある訳ではない.またプロペラに相当する推力発生部分が画然と存在するわけでもない.もちろん,アジ,マグロなど高速の魚は主に尾びれが推進器に相当するが,これは一番推進器と本体が分かれている例であり,その上,1.2節で述べたようにこのような高速魚でも尾びれの前方の本体の一部もくねらせて泳ぐので,どこが本体でどこが推進器か区別するのは大変難しい.また,ウナギのように体全体をくねらせて泳ぐものは,本体全体が推進器にもなっており,推進器だけを分離することが外可能である.従って,一般的にいうならば,体の各部分は抵抗にもなっているが推力も発生しているということができる、更にこれが時問的に変動する訳であるから,船のように抵抗と推力を明確に定めるということは困難であることが直ちに理解できる.人の水泳でも同じことがいえ,泳いでいるときの抵抗と推力を別々に取り出して論じるのは極めて困難である. それにもかかわらず,ここで魚の抵抗,推力を考えるのはどういう意味があるのであろうか.それには次のように考えれば理解できるのではなかろうか.まず抵抗であるが,例えば簡単のため魚が対称の状態で体もひれも全く動かさないとすると,推力はゼロで抵抗のみ出てくる.次に,その魚の仮に前半部が動かず,後半部のみが振動し推進器として振る舞うとすると,前半の固定部は明らかに抵抗のみ発生し,後半部の運動によって,後半部自身のもつ抵抗成分と前半部の抵抗の和に等しい大きさの推力を発生すれば前進することになる.従って,もし後半部の出す推力が一定とすると,抵抗値が大きいか小さいかにより魚の速さは異なる筈であるから,抵抗値の大小を考察する意味は確かに存在すること21になる.もっとも,魚体全体として両者の絶対値自体を論じることは先述のとおり難しい.しかしそれには余りこだわる必要はない.さしあたり,一つの考え方としては,前進を妨げようとする方向に働く力の成分の和を抵抗,前進方向に作用する力成分の和を推力と思えば良い.ただ,魚体は常に運動しているため,抵抗も推力も時間の関数として変動しているのが難しいところである.魚の表皮の各部分には摩擦力と圧力とが作用するがそれぞれの力の前後方向成分を取り,これを全表面上で積分すればそれが魚全体にかかる力の総和になる.定常遊泳中ならこの和はゼロになる. さて,摩擦力は余程魚の形状が曲がりくねったものにならない限り,常に後方へ向かう成分をもつので抵抗になる.一方圧力については,圧力の大きさと,その方向すなわち圧力が働く面の勾配の2要素を考えなければならない.今図1.9のように魚体表面に摩擦力と圧力が働くとする.その点の静水圧をPoとすると,動いているときも体の各部分で圧力pがどこでもPoなら圧力抵抗はない.しかしその筈はなくpは各部でPoとは異なる.そこでpとPoの差すなわちp Poを考える,魚を前方から見て見える面に働くp-Poがプラスなら,この部分は抵抗発生部分で,この面の勾配をかけると抵抗成分が出 ρρ・レ( の場合: る.マイナスなら推力成分になる.後方から見て見える面で,p-Poがプラスなら推力成分,マイナスなら抵抗となる.抵抗発生部分のみを積分すると抵抗成分総発生量,推力成分のみの積分が推力成分総発生量になる。図1.9 魚体表面に作用する力22一第1章.緒論 結局全体としては,その瞬間に魚体に作用する力は摩擦分が作り出す摩擦抵抗と圧力分布から出てくる抵抗成分の和が魚の前進を妨げる方向に働き,圧力分布から出てくる推力成分が魚を前進させる方向に働くことになる.従って両者の差し引きを考え,前進方向の力が残ればこのとき魚は加速される.逆に前進を妨げる力が磯ると魚は減速する.差し引きゼロであれば魚は定常運動をする. 以上のように,抵抗と推進という二つの用語は概念的には自明でも船と魚とでは差異があるので注意しなければならない。造船学では試験水槽における実験の際,プロペラのない船体のみの実験を抵抗実験(試験),またそのような状態を抵抗状態,プロペラを装着して回転させ前進させる実,験を自航試験,その状態を自航状態といっている.魚に対しては適当な用語はないが,九州大学の種子田定俊名誉教授は自己推進体という用語を提案している⑥.1.5 周期運動を含む現象の無次元量 (1)水棲動物は,体をくねらせつつ前進するもの,体の後半部の主として尾びれを左右,または上下に動かして前進するもの,それに尾びれのみ動かすものの3種類に大別されることは1,2節で述べた.すなわち,体は前進直進運動の他に周期運動を行っている.このような運動はどのような量で整理すればよいのであろうか. 次元解析で知られているように,物理現象はそれにかかわる多くの有次元量から形成される幾組かの無次元量で整理するのが適当である.以下水棲動物の推進にかかわる無次元量について述べよう. 周期運動と直進運動とが含まれる現象は両者の速度の比をとるのが最も基本的である.速度の次元は長さ/時問であることを考えると,周期一23一運動の速度は周期運動の周波数(回数/sec)に長さの次元を掛ければよい.周波数をノ,代表長さをεと書くと周期運動の速度は∫」,もし円周波数を考え,それをωと書けば∫の代わりにロニ2がとなるので,ω碑πが速度になる.周期丁を用いると2π/丁二ωであるからε/Tと書いてもよい.直進運動の方はUと書けば,求める無次元量は両者の比をとったものになる.この量は無次元振動数あるいは換算周波数(reduced丘equency)などと呼ばれる.これをかと書くと,ノ7≡周期運動速度/直進運動速度二〃u=」/UT=ω」/2πu.2πをやめてω言/uとする場合もある。直進運動と周期運動とどちらを基本運動と見るかで分子と分母が入れかわる.通常基本運動を分母にとるのが考えやすい. 水棲動物の運動を記述する場合,どういう泳ぎ方をすると,つまり例えば尾びれをどの位動かすと,どれ位速度が出るかという見方をするなら,代表長碕体長として分母に刀,分子にUをとるとよい.そうすると無次元量u/ガとなるが,これは1.3節で述べた泳動数5!〃にほかならない、すなわちSωは直進運動の速度と周期運動の比であり,無次元振動数の逆数になっている. (2)上では代表長として体長をとった,しかし,∫によって示される前進方向に直角な方向の周期運動の速度成分を表す代表長は,体長‘ではなくて尾びれの振幅ではないのだろうかという考えも起こる.おそらく現象的にはその方がより妥当であろう.そこで振幅をbとすれば,ノδが振動速度を代表するのであるから,二つの比はu/∫わとなる.前の3ωと比べると U b 匹9卿二x /b Jとなるので,3ωとは尾びれ振幅体長比わμが入ってくるだけ差が出てく一24一第1章、緒論る.ただ,通常の魚の運動の場合,1,3節で述べたように魚の大小,∫の大小を問わず尾びれの振幅は体長のほぼ2割,すなわちわπ=0.2で与えられるというデータが得られている.従って,魚の遊泳に関する限り現象の整理には5ωだけで十分であるということが出来る. (3)無次元量U/飾についてもう少し考える.この量は形式的にはいわゆるストローハル(Strouha1)数の逆数の形になっている.これは大変興味深いことでしばらくこの辺の関係を考察してみよう.流れの中にずんぐりした形状の物体,つまり後半部がゆるやかな傾斜の流線形にはなっていない物体があるときには,ある範囲のRθで明瞭な,いわゆるK盆m血渦が観察される.グラビアの図7には東大小林敏雄教授提供のカラー写真を示した.また第2章図2.14にはBatchelorの著書に出ている写真を引用掲載させていただいた.これを模式的に描いたのが図1.10(a)である.一般に,流れの中にある物体から渦対が放出されるとき,渦対の毎秒発生数Nと代表長(通常流れに直角方向の寸法)Pと流速Uとから作られ 円柱@』◎)⊃ぐ÷ 毎秒N対の渦 δ 魚 ρ 伴流○(わ〉わ 加速流r・\ 一、ノ1 ㌧・ 船 u 伴流(の一《誹力日速流図L10 (a),(b),(c)カルマン渦(列),魚の後流渦(列〉,船の後流の模式図25る無次元数5オ;ノvp/u (L2)をストローハル数と称し,ずんぐりした物体の周りの流れの特性量になっている.実験によると3オはほぼ0,2である. 一方,魚の後流を観察すると,後流は尾びれの運動によりK盆man渦と逆回転の渦列になることが知られている.グラビアの図17にはこの渦が観れているのが見られる.図1.10(b)には模式図を示した・渦の回転方向がK血man渦と逆になる理由は次のように考えると明かである.すなわち,(a)の場合は物体を大きい抵抗にさからってUで動かしている図であるが,抵抗の原因である物体に発生した大きい剥離渦の向きが剥離現象により図のように定まるため,それが次々と放出されて渦列になったときの渦の回転方向になっている.一方(b)の場合は,魚が尾びれを振って推力を出して前進しておれば,水に運動量を与えて後方に押し出している筈である.これが後流でみられる加速流であり,この流れを起こすためには渦列の向きは(a)の場合とは逆向きでなければならない・すなわち魚は尾びれを振ってこのような回転の渦列を作りだしているのである.勿論,魚は尾びれの振り方一つで前進だけでなく後進,旋回,停止を行うことができるという誠に素晴らしい能力を備えている訳であるが,それぞれの運動に対応する魚の周りの流場は渦の出方,並び方で説明することカごできる。 さて,この二つの渦列は,ともに静止流体中に作り出されたもので,渦の回転方向がちがうだけであるから,その安定不安定は同じように定まると考えられる.そうすると(a)で考えたストローハル数の概念が(b)でもそのまま成り立つように思われるが,必ずしもそうではない.(a)では一26一第1章.緒論速度成分は前進速度のUだけで,振動数は与えているわけではない.たまたまストローハル数の分子1〉0が速度の次元をもつだけであって,1Vは流れの性質として現れてくる量である.これに対し(b)では振動速度成分頚は与える量であるところが異なる. このように考えるとu/頚は形式的にはストローハル数の逆数になっているが,それは次元的なことであって,内容からいえばむしろ泳動の特性を物理的に別の視点から表現しているといえよう.ただ,カルマン渦と魚の渦という二つの流場を見れば類似のものになっているということである.そこで仮に泳動ストローハル数翫勘として, ∫b 翫s切= (13) uと定めると,翫画とδμ,3切の関係は わ 1 8亡5卿=一・一 (1.4) ‘ 5ω これが仮称泳動ストローハル数,尾びれ振幅体長比,泳動数3者の関係である.簡単のため仮にわ/」=0.2,Sωi O.6とするとSオ5w=0.33となる. なお,(a)と(b)の場合の後流渦構造の比較を行ったので参考のため(c〉として船の場合について模式図を示しておく,船は魚と同様自航しているが,抵抗に打ち勝って進むための推力はスクリュープロペラが水を後方へ加速して押し出すことにより与えられる.従ってプロペラ後方には加速流が図のように存在し,簡単な渦理論ではこの流れはプロペラが作る渦輪の列で起こされることになるのである. 〔4)船のプロペラの場合 プロペラは通常後から見て右回りに回転する。プロペラが回っている一27一付近の流場はすぐ前方にある船体のため流場は一様ではなく,流速流向が3次元的に場所により異なっている.従ってプロペラは1回転中に異なる流場の中を通過し,1回転後同一状態に戻る.このことからプロペラも周期運動を行っており,その周りの流場は非定常である.この作動状態のプロペラの特陸を定める基本特性量は二つの代表速度の比できまる無次元量で定められる.すなわち前進運動を表す前進速度(speed ofadv&nce)と回転運動の比をとり,これを前進係数(又は前進常数〉」としている。前進速度はγと書き,プロペラ円へ流入する水の流速を表す.プロペラの前方に船体がなく,プロペラが単独で平(静)水中を前進する場合はプロペラ円内では流入速度は一様であるから問題はないが,実際は上述のとおり流入速度の大きさと方向はブロペラ円内の各場所で異なる.そこで通常船の前進方向の流速のプロペラ円内平均をとってyとしている。また通常πをプロペラの毎秒回転数,Pをプロペラ直径とし, v J=一 (L4) ηPがこの無次元量となる. α8 η。効率 07 κ7推力係数 プロペラが単独で静水中を前進す 「スラ・ト酬る場合は流入速度は一様であるから1::程 ク係数砺 含これはもはや周期運動という訳には η。 o・8 誉巳4一 麗いかないが,上の無次元量は二つの ゼα3,/iを規定する最も重要な基本量である 002α4α6C8LO12 前進係数ノということができる.このことから, 図1,11 船のスクリュープロペラの特性,すなわちプロペラ プロペラ性能図28第1章.緒論の推力係(常)数,トルク係(常)数,効率等はすべてこの」の関数として求められるのが普通である.図に描くには」を横軸に,他の量を縦軸にとればよい.図1.11にはプロペラ性能を表す図の一例を示した.1.6 魚の泳ぎの研究の歴史 魚は身近な生物であるから魚の泳ぎは古くから多くの人々の関心の対象であったに違いない.ただ,そのような関心,興味が記録の形で残されている訳でもないので,研究の歴史をきちんとした形でまとめるのは不可能である.水の流れや鳥の飛翔の研究でも大きな天才ぶりを発揮したレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-151g)も残念ながら魚についてはほとんど見るべき記録を残していないようである.しかし調べてみると例の彪大な12巻,1200葉に及ぶアトランティコ手稿の中に1箇所・‘水中での泳ぎの様子を記述せよ.鳥が空中を飛行する様子がわかるだろう”と述べている(9)ことを知った注1.現代可視化技術流にいえば,鳥の回りの空気の流れは目で見えないが,同じような流体力学的現象である魚のまわりの流れは水の流れであるため渦など目で見ることが出来るのでそれを研究せよということであろう.流体力学観をもったレオナルド・ダ・ヴィンチらしい言葉ということができる. その後18世紀に入り粘性のない理想流体の流体力学が誕生し,19世紀中期に至って実際の粘性をもつ流体を取り扱う粘性流体力学が提案され,今世紀前半にいわゆる近代流体力学が体系化された.それを受けて,それまでほとんど動物学者の研究領域であった魚の泳ぎに流体力学者も急速に関心を持つようになったということができる.注1この調査には大阪大学附属図書館事務部長湯浅冨士夫氏の多大の協力を得た,記 して謝意を表する,29 このような動きに決定的な動機を与えたのは既に述べたグレイである.彼はケンブリッジ大学の動物学科の教授であったが詳細緻密な動物生態観察に加えて新しく力学的考察を動物学に持ち込み,動物生態学と力学とを包含した研究を展開し,魚のみならず鳥,陸上の動物,人間まで含め生物の運動について研究した.その成果は前に述べたAnimal Locomotion〔2)となって刊行されているが,彼の業績の中で何よりも大きなインパクトを与えたのは,イルカの,想像を超えた高速能力に対する流体力学,動物学の両方の立場からの解析であり(10),以後グレイのパラドックスと呼ばれ,今日までまだ完全な解明には至っていない.しかし,以後イルカあるいは魚の推進の研究が急速に進展したのは実にこのパラドックスの発表によるものということができ,この意味でも,今日生物物理学,生物工学,あるいはバイオ・メカニックスと呼ばれる学問領域の先駆者といえるであろう。なおグレイはSirの称号を与えられている. 恐らくグレイの感化を受けたと想像されるが,その頃若いケンブリッジの学徒,今はイギリスのみならず正に世界の流体力学の泰斗ライトヒル(J.Lighthi11)は,多くの流体力学的考察を魚の泳ぎ,抵抗,推進について発表し(11)’(12},魚の推進法の流体力学的体系化の立役者となった.現在魚類及びイルカ類の泳ぎの効率等が具体的に論じられるようになっているのは彼の研究によるところが大きい.彼は他に鳥をはじめ多くの生物の流体力学について研究し,ケンブリッジに不滅の伝統を築いている.彼もSirを与えられ,その業績をたたえられている. ベインブリッジ(Rich冴d Bainbridge)はケンブリッジ大学動物学研究所において1960年前後に多くの実験的研究を行い,貴重なデータを発表している.魚をはじめとする水棲動物の運動を流体力学的に考察しようとする場合,動物の運動の正確な情報が不可欠であることはいうまで一30一第1章,緒論もないことである.しかし,すぐ想像されるように,水棲動物の運動状況を正確に把握することは大変困難なことである.これは勿論動物の行動であるところに一番の理由があり,古くから多くの人々によって記録が残されてはいるが,種々細かい条件も含めると,数理解析のデータとして使用できるようなものはそう多くはないようである.Bainbridgeはこのような状況を認識し,自分自身で回転水槽を作り実験的に魚の運動を調べたことは1.3節ですでに述べた通りである.これにより彼は実験動物生態学を発展させると同時に,流体力学的検討に対して重要な情報を提供した. その他多くの動物学者を中心とする研究者が重要な貢献をしているようであるが,著者らは動物学は専門ではないので,この面からの研究史を述べることはできない.ここでは流体力学的側面から主だったその後の研究を指摘しておくにとどめる.ケンブリッジの研究からやや遅れて,アメリカでも水棲動物の研究が盛んになってきた.カリフォルニア工科大学(Calt㏄h)のT.Y.Wu(ウー)教授は,1961年Lighthillの論文とほぼ同時に魚が体をくねらせて泳ぐ推進の原理を2次元ポテンシャル流間題として流体力学の面から研究し〔13),アメリカ学派のさきがけになった.1974年にはCaltechにおいて魚,鳥その他生物の運動の流体力学に関するシンポジウム(Swimming and Flying in Nature)を主宰し,生物の運動の流体力学の急速な進歩に大いに貢献した.このシンポジウムには世界中からLighthil1