はじめに本報告書は、当財団が、競艇交付金による日本財団の助成金を受けて平成14 年度から平成16 年度まで実施した「北極海航路の利用促進と寒冷海域安全航行体制に関する調査研究」事業の成果を取りまとめたものです。当財団では、日本財団のご支援の下に、1993年から99年までの間、ロシア、ノルウェーの研究機関と共同で国際北極海航路開発計画(INSROP:International Northern Sea Route Programme)を実施しました。INSROPは、北極海航路の国際商業航路としての利用が技術的に可能であることを示すと共に、その運用に関わる保険制度・法制度等についての評価・提言など、多くの成果を得て終了しました。しかしながら、INSROP以降ロシアの政治・社会は大きな変貌を遂げ、北極海航路を取り巻く環境も変化してきており、この点に鑑み、当財団では北極海航路を新たな側面から研究する新事業の立ち上げを目的として平成13年央よりロシア側との調整を行った結果、平成14年度より再び「北極海航路の利用促進と寒冷海域安全航行体制に関する調査研究」(JANSROP Phase Ⅱ)を3ヶ年計画で実施するに至りました。JANSROP Phase Ⅱにおいては、INSROP とは視点を変え、北極海航路の東側にオホーツク海を加えた東ユーラシア地域を対象として研究を実施しました。具体的には、東ユーラシアに存在するエネルギー・天然資源の開発・海上輸送システムの構築のため、資源分布の詳細調査・開発シナリオの検討を行い、「貴重な資源データの地理情報システム(GIS)化」(JANSROP-GIS)を行うとともに、これら資源等を海上輸送するための港湾等を含むインフラ整備の提案を行いました。一方、これらの開発・海上輸送に伴う海洋汚染の防止を目的として、寒冷・氷海域という対象海域での使用に耐え得る船舶の建造・航行支援・運航管理システムを柱とする「新たな海洋レジーム」の骨子案を提言しました。これらの研究には、ロシア、カナダ、ノルウェー等の諸外国及び国内の研究機関が参加し、国内の有識者によるワーキンググループにおいて成果の取りまとめを行いました。本事業により研究された、寒冷海域の新しい管理システムである「オホーツク海海洋レジーム」の必要性を世界的に発信し、国内外の関係機関へ働きかけ、海洋環境保全の提唱を行いたいと考えています。また、新たに構築された「JANSROP-GIS」を活用して、新たな海域を対象とした活動の場を設けることにより、エネルギー資源確保ルートの安全保障、経済産業界の発展、海運・造船業界等の振興に寄与できるものと確信しています。本事業は、元北海道大学北川弘光教授を委員長とする「北極海航路利用促進等に関する調査研究委員会」及びその作業部会の各委員の協力により実施されたものであり、これらの方々に対して厚くお礼申し上げます。平成17 年7 月海 洋 政 策 研 究 財 団((財)シップ・アンド・オーシャン財団)会 長 秋 山 昌 廣目 次はじめに第1章 事業の概要 ······················································· 11.1 事業の背景と概要 ················································ 11.2 実施計画 ························································· 4第2章 オホーツク海の自然環境 ·········································· 72.1 オホーツク海の地理 ·············································· 72.2 海氷 ·····························································82.3 海洋循環 ······················································· 122.4 北太平洋中層水(NPIW)の起源海域としてのオホーツク海 ········· 142.5 有機物循環と氷海生態系 ········································ 172.6 おわりに ······················································· 21第3章 ロシア北東部の地理情報システム ································· 223.1 はじめに ······················································· 223.2 JANSROP-GIS 基本構想 ········································ 223.3 基本構成 ······················································· 243.4 登録データ ····················································· 283.5 システム及びハードの構成について ······························ 363.6 画面表示例 ····················································· 39第4章 極東ロシアの資源の活用策 ······································ 444.1 総論 ··························································· 444.2 極東ロシアの鉱物資源 ·········································· 474.3 天然ガス ······················································· 584.4 石油 ··························································· 614.5 極東ロシアの木材資源 ·········································· 634.6 水産資源 ······················································· 654.7 極東ロシアの天然資源開発 ······································ 664.8 極東ロシアにおける資源開発シナリオ ···························· 69第5章 ヨーロッパ・ロシア域における資源開発と環境保全 ················ 755.1 ロシアにおける資源開発の推移 ·································· 755.2 ロシアの主要鉱物資源産出状況 ·································· 775.3 ヨーロッパ・ロシアにおける資源開発 ···························· 785.4 環境保護 ······················································· 84第6章 カナダ極域における資源開発と環境保全 ·························· 866.1 はじめに ······················································· 866.2 資源開発 ······················································· 876.3 北極海海洋環境保全 ············································ 916.4 おわりに ······················································· 96第7章 オホーツク海海洋レジームの提言 ································· 977.1 オホーツク海海洋環境保護の必要性 ······························ 977.2 基本原則 ······················································· 977.3 海洋環境保護とPSSA ··········································· 987.4 氷海航行安全性の確立 ········································· 1007.5 地域協力協定 ·················································· 1017.6 今後の課題 ···················································· 1027.7 オホーツク海海洋レジームの骨子 ······························· 103第8章 北極海航路の展望 ············································· 1078.1 輸送量の現状と展望 ··········································· 1078.2 NSR 支援砕氷船の現状と展望 ····································111第9章 まとめ ························································ 1139.1 概要 ·························································· 1139.2 オホーツク海の自然環境 ······································· 1139.3 ロシア北東部の地理情報システム、JANSROP-GIS ··············· 1149.4 極東ロシア資源の活用策 ······································· 1149.5 ヨーロッパ・ロシア域における資源開発と環境保全 ··············· 1149.6 カナダ極域における資源開発と環境保全 ························· 1159.7 オホーツク海海洋レジームの提言 ······························· 1159.8 北極海航路の展望 ············································· 1159.9 ロシアの資源開発動向:エネルギー産業主導型資源開発 ··········· 116参考文献 ······························································ 118研究報告書一覧 ························································ 125附録 北極航路の利用促進と寒冷海域安全航行体制に関する調査研究事業の概要 ··· 129Key Wordsオホーツク海、ベーリング海、北極海航路、オホーツク海の自然、ベーリング海の自然、極東ロシア資源、オホーツク海の水産資源、ベーリング海の水産資源、極東ロシア資源開発、極東ロシアの輸送インフラ、極東ロシアの港湾設備、海洋環境保全、海洋レジームOkhotsk Sea, Bering Sea, Northern Sea Route, marine environment in the OkhotskSea, marine environment in Bering Sea, natural resources in Russian Far East,marine products in the Okhotsk Sea, marine products in the Bering Sea, developmentof natural resources in Russian Far East, transport infrastructure in Russian FarEast, port and harbor infrastructure in Russian Far East, preservation of marineenvironment in the Okhotsk Sea, marine regime for the Okhotsk Sea-1-第1章 事業の概要1.1 事業の背景と概要資源豊かな北方海域は、冷戦構造の消滅後、開発の様々な可能性が打診、検討されるようになり、当財団においても日本財団のご支援の下、歴史的な北極海航路の国際商業航路としての将来像を検討するため、ロシア、ノルウェーと共に国際北極海航路開発計画;International Northern Sea Route Programme(INSROP)を実施した。この国際事業により、北極海航路の効用、利便性が評価されると共に、国際商業航路啓開に立ちはだかる具体的な問題点が明らかにされ、国際的にも高い評価を得た。しかし、INSROP 以後、ロシアの政治・社会は大きな変貌を遂げ、北極海航路西端域、バレンツ海周辺におけるエネルギー資源開発の急速な進展と呼応して、その東端域に位置するサハリン周辺での石油・天然ガス開発が一段と進み第一期生産段階に入っている。日本市場へのサハリン・エネルギー資源の参入が具体化し、巨大な中国需要が駆動力となって、東シベリアからのパイプライン敷設、タンカー及びLNG 船の建造計画が進みつつある。このような極東ロシアにおけるエネルギー産業の動向は、北方海域を取り巻くロシア経済社会に大きな影響を与え、エネルギー産業絡みの社会基盤整備と引き換えに、環境問題、先住民生活権、漁業問題等、新たな地域社会問題を惹起している。極東ロシアの資源開発が当面、サハリン島周辺域に限られているのに対して、バレンツ海周辺では、資源開発は白海近傍からヤマル半島、オビ湾周辺にまで開発の手が広がる気配を見せ、海上輸送路整備についても、EU プロジェクトとしての北域地域間海上輸送路計画(Northern Maritime Corridor:NMC)が2002 年夏から始まっている。これは、北は白海、アルハンゲル地方から南はオランダ沿岸都市間の効率的海上輸送と関係地域の活性化を目途とし、さらには、これを既存の主要航路と連結させてその効果を東西南北に波及させる計画である。残念ながらオホーツク海周辺には、広域での実効ある資源開発計画もなく、海外投資を含め、具体的な輸送路整備に対する財政支援の動きも見られない。北極海航路東西端領域での開発状況には量的な差異ばかりでなく質的な相違が見られる。その一方、地球温暖化防止及び海洋汚染防止に対する国際世論の高揚があり、地球自然環境変化に対する極域および亜極域の敏感性・予兆機能が認識されると共に、海域の詳細調査の必要性と継続的なモニタリングの重要性が厳しく指摘されている。特に、北極海及びその接続周辺海域は、厳しい自然条件に加えて政治的及び技術的な障害から、資料・情報の不十分な海域である。オホーツク海は、全海洋面積の僅か1%を占める亜極海であるが、その潮汐逸散量は全海洋の10%にも達する特異な海域でもある。オホーツク海は、排他的経済水域(EEZ)に囲まれた内奥に公海が存在する半ば閉鎖的な特異な海域でありながら、深層水循環等に関わる活動的な海域である。急速に展開しつつある北方資源開発のシナリオ、プロセスは、地球環境保護の観点から、地球・海洋環境に優しいものに調えねばならず、先ずは生態系を含めた自然環境の把握とそこにあるべき社会活動の規範を構築することが急務となっている。-2-確認資源及び未知の資源が豊富に賦存する東ユーラシアの資源開発には、永久凍土に代表される厳しく回復力に乏しい自然環境が立ちはだかり、資源・資材輸送のための陸路の確保が難しく、北極海航路の活用が必須である。また、サハリンを端緒として北へ、西へと広がりつつある開発の波を受けて、北極海航路には、既存の南方航路の代替航路としての通航機能検討以前に、周辺海域における資源輸送路としての現実的なシナリオがある。このためには、地球環境と調和した資源開発のシナリオを前提とした海上輸送の関係インフラ整備や船舶建造、航法及び航行支援等に関わる総合的運航管理システムの確立が肝要である。とりわけ、北極海航路東域に位置するホーツク海等の亜極域流氷海域での運航については、過去の流氷域海難事例に鑑み、十分な安全対策が講じられねばならない。現在国際的にも然るべき規範、規則のない流氷域における運航の安全性確立は、運航に関わるハード、ソフト両面での新たな技術開発を必要とし、またこのような技術開発は海上輸送システム全般のレベル・アップへと発展的な波及効果も期待できる。オホーツク海域は、地球レベルでの視座は欠かせないにせよ、地勢的にはより限定した地域的仕組みを効果的に検討することができる海域であると言える。同時に、この海域では問題解決に要する資金や能力などの資源の動員と合意達成も形式的には比較的容易で、効率的な意思決定が可能である。さらには、オホーツク海海域レジームを雛型として、新たな海洋レジーム構想を構築し、世界に発信、提言することも可能である。ヴァイキングの時代に拓かれた歴史的なバレンツ海域における資源開発と海洋環境保護に腐心するノルウェー環境政策、カナダ北極海域運航船舶に対する先駆的な諸規定、長年の運航経験に基づくロシア・アイス・パスポート、そのいずれもが、当該海域及び周辺地域における資源開発と海洋環境保護の調和を図るべく生まれたシステムであると言え、過去の苦い経験、教訓の積み重ねによる妥協の産物との謗りはあっても、その趣意と策定経緯は、オホーツク海の海洋環境保護策を検討する上で極めて有用な参考施策、規定である。本調査研究事業の遂行には、ロシア関係機関の他、バレンツ・プロジェクト及び国際海洋法に精通したノルウェー研究者の協力、氷海域における海域レジームの先駆者であるカナダ研究機関の協力が必要かつ効果的である。ロシア、ノルウェー及びカナダ、3ケ国の研究者の積極的な協力を得ることができたことは幸いであった。このような背景から、本事業においては、地理情報システム(Geographic InformationSystem:GIS)によるオビ・エニセイ川以東におけるユーラシア及びオホーツク海沿岸資源マップの作成と開発シナリオ案、資源海上輸送のための港湾施設等関連インフラ整備計画案の策定、オホーツク海の自然環境及び生態系データの整備、沿岸域及び沖合域における海洋環境保護策の検討、環境脆弱性マップ案の提案、船舶の運航等に関わる総合的な海-3-域レジーム案の構築、必要あれば実証実船試験を行うものとし、次のような課題(サブプログラムSP)に取り組むこととした。SP‐1 東ユーラシア及びオホーツク沿岸地域の資源開発のシナリオ策定オビ、エニセイ川以東のユーラシア大陸及びオホーツク海沿岸地域の資源マップを作成し、この資源マップに基づく開発、輸送シナリオを策定する。SP‐2 北極海航路主要港湾の整備の方策ツンドラ地域での現地工期と陸上資材輸送には厳しい制約があり、水位変動の大きな寒冷港湾整備に対して、これらの条件を克服すると考えられるモジュール・ユニットによるインフラ整備のあり方を検討し、その適用性、設計、製作、現地設置組み立て、輸送等に関わる問題点を調査し、その解決策を検討する。また、モデル港湾を想定し、当該港湾の自然・社会条件を具体的に考慮した港湾整備シミュレーションを行う。SP‐3 オホーツク海自然環境データの収集整理オホーツク海に関して、気象、海象、氷況、生態系等、様々な分野における利用可能なデータを調査収集し、データ・ベース構築の視点から概略評価を行う。不足のものについては、データ入手、収集の方策を検討し、データ補填に関する提言を行う。SP‐4 極域における海洋環境保全策の策定極域の特殊性を念頭に置き、海洋自然及び生態系環境に強い影響を与える事項、因子を検討し、その影響緩和及び防止策を開発・提案すると供に、環境インパクト・アセスメントを行う。SP‐5 北方寒冷海域周辺における資源開発及び海上輸送の現状調査と将来予測当該海域における様々な資源開発、港湾整備等(海底パイプラインの敷設を含む)の現状調査と将来予測を行う。また、日本、ロシア等関係各国による海上輸送量の現状調査と将来予測を行う。SP‐6 国際海域レジームに関する調査と評価海洋環境に関する国際会議、条約・規範、IMO 等の動向を調査し、併せてカナダ、ロシア等海外における海域レジーム構想を分析し、各国関係者との意見交換を行い、問題点等の洗い出しを行う。SP‐7 海洋レジーム案の策定と提言:上記、SP‐1~SP‐6の成果を活用して、北方寒冷海域における社会活動の規範となるリジョナル・ガヴァナンスを検討し、沿岸構築物、船舶、大型観測機器等の設計、建造・製作、運用、維持保守・管理に関わる北方寒冷海域の海洋環境保全レジーム構想-4-などを取りまとめ、海洋レジームの雛形として提言する。SP‐8 実船による実証試験の計画本事業による成果が所定の域に達し、かつその時点での国際情勢・海運造船市況等から試験の実施が必要と判断される場合は、実船運航による事業成果の検証を試みる。1.2 実施計画(1)概要当財団が実施した国際北極海航路開発計画(INSROP, 1993~1999 年)以後、ロシアの政治・社会は大きな変貌を遂げ、北極海航路西端域のバレンツ海、東端域の東ユーラシア・極東ロシア地域においてもエネルギー開発を契機として、地域社会・経済情勢に大きな変化が見られる。また一方で、地球規模の視点から極域および亜極域海域の調査と海洋環境の保全が緊急の課題と認識され、学術的調査研究活動が次第に活発化している。これらの海域でのエネルギー資源開発が急速に進む中で、世界有数の漁場でもある海域の合理的かつ効果的な海洋環境管理システム構築が急務となっている。よって本事業では、北方寒冷海域を対象にカナダ、ノルウェー、ロシア等の研究機関の協力を得て3ケ年計画の国際プロジェクトとして実施し、我が国に不可欠なエネルギー・天然資源を確保するシステム、地球環境と調和した資源開発のシナリオ、天然資源等の海上輸送に関連したインフラの整備、北方寒冷海域において航行の安全を保証し得る船舶の設計建造、航法及び航行支援等に係わる総合的な運航管理シシテムを柱とした同海域の海洋レジームを構築するものとした。成果として得られた新しい海洋レジーム構想を世界に発信し、国内外の関係機関へ働きかけ、海洋環境の保全を図りながら新たな活動海域を提案することにより、海運・造船業界の振興に寄与することを意図した。なお、本事業は通称をJANSROP Phase IIと定め、3ヶ年計画で実施することとした。JANSROPとは、INSROP(3ヶ国による国際共同研究事業)に並行して過去に実施された北極海航路関連の国内事業の通称であり、今回本事業を海外の研究機関の協力を得ながら実施するものの、当財団独自の国際事業として実施することから、INSROPとは区別してこのように通称することとした。当該事業の実施に当たっては、事業開始時に3ヶ年の実施計画を立案して推進してきたが、事業の進捗状況に応じて全体の実施計画を見直し、より良い事業成果が得られるように、同計画の一部の見直を行いながら実施した。概要は次のとおりである。(2)研究協力機関等前記研究課題であるサブプログラムSP-1~SP-8に基づき、業務委託先を選定し研究を行った。本事業への研究協力機関は次のとおりである。なお、海外への研究委託の内、ロシアからの各種資源データの内容に関して、信頼性な-5-どを確認するため、資源の専門的機関である独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構に研究業務の一部を依頼することとした。機 関 名ロシア中央船舶海洋設計研究所を窓口とするロシア研究機関・ロシア中央船舶海洋設計研究所;Central Marine Research & Design Institute,Russia: [CNIIMF]・極東ロシア海洋気象研究所;Far Eastern Regional Hydrometeorological ResearchInstitute:[FERHRI]・ロシア石油研究・地質学調査研究所;All-Russia Petroleum Research GeologicalExploration Institute: [VNIGRI]ナンセン研究所を中心とするバレンツ・プログラム関連機関・フリチョフ・ナンセン研究所;The Fridtjof Nansen Institute, Norway : [FNI]カナダ運輸省を窓口とするカナダ研究機関・カナダ運輸省;Transport Canada:[TC]・カナダ調査評議会;National Research Council Canada:[NRCC]東京大学:[UT]北海道大学低温科学研究所:[HU]独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構:[JOGMEC]独立行政法人 海上技術安全研究所:[NMRI]ユニバーサル造船(株)津研究所:[USC]北日本港湾コンサルタント(株):[NJPC]当財団事務局、ワーキンググループ:[WG](3)国際フォーラムの開催2004 年11 月6 日、東京において、本事業の中間報告を兼ねて、内外の関係分野研究者の参加を得て,「拓けゆく北の海;そして守るべきもの」~北の海では今何が起こっているか?新たな資源確保のルート~を開催し、併せて開催した事業担当研究者会議により研究深度を深め、本事業成果の充実を図った。(4)国際会議2005 年6 月30 日及び7 月 1 日、東京において、本事業成果を公表し、広く成果の活用を図ると共に、最終成果物としての出版物への内外関係者の見解、意見を盛り込むため、「時代を拓く北の海-その資源・輸送・環境保全」と題して、北極海航路関連の下記国際会議を開催した。・ 国際専門家会議・ 国際シンポジウム-6-出典:FNI.ブルベーカー氏のものを一部改訂地図1-7-第2章 オホーツク海の自然環境2.1 オホーツク海の地理オホーツク海は、北と西をユーラシア大陸とサハリン島に、東をカムチャッカ半島により囲まれ、南は千島列島を挟んで北太平洋に面する海域である。その南限は北緯45 度近傍の北海道沿岸域であり、北東に位置するShelikof 湾の北部は北緯60 度を超える。ユーラシア大陸に面する北西から北東部沿岸域には大陸棚が張り出し、サハリン島及びカムチャッカ半島沿岸域に続く(図2.1)。これらの大陸棚は沖に向かって落ち込み、水深1,000m程度の中央海盆を形作る。中央海盆と北部大陸棚との間には最浅部水深は100m を僅かに上回る程度のKashevarov 堆が存在する。中央海盆の南側では北緯50 度を過ぎる辺りから海底は急激に落ち込み、水深3,000m を超えるKuril 海盆に至る。Kuril 海盆の南には千島列島がオホーツク海と北太平洋の境界を成す。図2.1 オホーツク海の地理一方、北西部のShantarskiy 湾の南にはアムール川河口が開けている。アムール川は、モンゴル高原北東部のヘンテイ山脈に源を発し、中国とロシアの国境(中国名は黒龍江)を流れてTartar 海峡北部に注ぐ河川であり、全長4,350km と流域面積205 万km2 は、それぞれ世界第8 位・10 位にあたる大河である。アムール川河口の南にありサハリン島と大陸とを分けるTartar 海峡は狭隘で水深も浅く、アムール川からの河川水はShantarskiy湾を経てオホーツク海へと流入するが、後述のように、これは、オホーツク海の海洋・自然環境に大きな影響を与える。-8-2.2 海氷わが国を取り囲む海域の中で、オホーツク海を際立って特徴付ける点は、冬季における海氷の生成である。海氷の生成は様々な面においてオホーツク海の自然環境に影響を与え、この海域のユニークな自然環境を造り出すとともに、海水の沈み込みの一因となってオホーツク海内ばかりではなく北太平洋の海洋循環にも影響を与える。この一方、オホーツク海は北半球において海氷の生成する南限海域であり、ここにおける海氷の消長は極めて微妙なバランスに支配されることが指摘されている。このためオホーツク海の海氷は、地球温暖化などの全地球的な気候変動に対して敏感に反応するセンサーとしても注目も集めている。(1) 海氷の生成比較的低緯度の海域にもかかわらず、オホーツク海で海氷生成が起こる原因の一つが、アムール河からの淡水流入である。アムール川から供給される大量の淡水は、オホーツク海北西部の表層に低塩分・低密度の混合層を形成する。このため、秋季以降の気温の低下に伴う海水の対流はこの表層に限定され、海表面の温度低下が促進されて海氷の生成をもたらす。図2.2 は中層フロートにより計測されたオホーツク海の水温と塩分濃度の鉛直分布の季節変動を示している。このフロートはサハリン島北東沖に2000年6月に投入され、翌年3月に同島南端の東方沖に到達するまでの漂流中のデータを計測した。同図より、フロート投入直後の海表面に塩分濃度の低い混合層が存在することが分かる。アムール川からの流出量は上流山岳地帯における雪解け水の流入等の影響を受けて5 月に急激な立ち上がりを示すが、この低塩分層はこれにより形成されたものと考えられる。その後季節の進行とフロートの南方への漂流に伴ってこの層は厚みを増すとともに水温が低下が進み、12 月中旬以降海氷で覆われることが示されている。図2.2 中層フロートにより計測された水温(上図)と塩分濃度(下図)の季節変動オホーツク海における海氷生成のもう一方の要因は、シベリア上空の高気圧とアリューシャン低気圧によって冬季に卓越する西高東低の気圧配置による、ユーラシア大陸からオホーツク海への寒気の吹き込みである。この結果、冬季オホーツク海の海面上の気温は、北西部を中心に極めて寒冷なものとなる(図2.3)。風の卓越方向は、オホーツク海北東では北東方向、南部では北西方向となる。このような卓越風は、沿岸域にポリニアを形成する。ポリニアは氷海域にあって比較的安定して存在する開水面あるいは疎氷域であり、冷たい強風による効率の良い海氷生成と沖への吹き流しが絶えず繰り返されることにより形成・維持される。-9-海氷の発生・生成は、海面から大気へ急速に熱が奪われることにより起こるが、海氷は両者の間の断熱材として働く。しかしながらポリニアでは、恒常的に開水面・疎氷域が維持されることから海と大気との間の熱交換が盛んであり、この結果、高率の良い海氷生産工場となっている。図2.4 は、衛星画像から計算された海氷の密接度(海面上において海氷の存在する面積率)と海氷の漂流速度の解析結果から収束・発散を求め、海氷の生成(面積の増大)と集積(見かけ上の面積の減少)の程度を推定した結果である。図2.4 左図においてNS・SK・TR と表示された3海域においては海氷の生成量が他の海域に比べて格段に高いことが分かる。これらの海域は沿岸ポリニアの出現域と一致する。また、このようなポリニアにおける海氷の成長は、海洋と大気との間の熱収支から計算される海氷生成量の分布(図2.5)とも良く一致する。特にオホーツク海北西部の大陸沿岸域が最も主要な海氷生成域であることが分かる。一方、図2.4 右図では海氷生成域に隣接する海域において海氷域収束が盛んに起こっていることが示されている。このような海氷収束による見かけ上の面積の減少機構としては、海氷の融解と海氷相互の重なり合いの2種類が考えられる。しかしながら、海面における熱収支解析結果によれば、図2.4 の解析対象期間(10 月から3 月)の熱収支は正(海洋が大気に熱を与える)であり、これはサハリン北部海域で海氷の重なり合いが活発に起こっていることを示唆している。図2.5 では、北西部大陸沿岸域で正味4 m を超える厚みに相当する海氷の生成を推定しているが実際には開水面・疎氷域が形成されていて、この海域において生成した海氷は東と南に輸送され、特にサハリン北方海域重なり合うプロセスが顕著であることを示唆している。熱収支計算によれば南部オホーツク海における平均海氷成長量は0.5 cm/day 以下であり、このような海氷の重なり合いはオホーツク海における海氷の厚さの増大を考える上で重要である。図2.3 オホーツク海の気温(左)と風速(右)の分布図2.4 海氷の生成域(左)と集積域(右)図2.5 熱収支から計算される氷生成量-10-(2) 海氷の運動と拡がり図2.6 は、衛星搭載のマイクロ波センサーにより得られたデータに基づいて計算された海氷の密接度の分布を月毎に示したものである。北西部大陸沿岸ポリニア域を中心に生成する海氷は、時間の経過と共に南と東へ拡大して行く。1月から2月に北海道沿岸にまで到達し、いわゆる「流氷」として海を埋める。海氷域面積は2月後半から3月にかけて最大になりその後縮小し、6月上旬には完全に消滅する。図2.6 オホーツク海における海氷分布の変化図2.7 海氷面積の変動図2.6に示した海氷分布は、1987年から2001年までの間の平均的分布であるが、年毎に比べたときの海氷面積の変動は大きい。図2.7 は衛星画像から海氷の面積を計算した結果であるが、2001年と1997 年では最大面積が約2倍程度も違うことが分かる。海氷面積と気温との相関解析によれば、海氷の勢力の年々変動は、海氷発生前の秋季における海洋の冷却度合い、特に北西部大陸沿岸域の冷却度合いの影響が大きいと考えられる。一方、日単位の海氷の運動は、ほぼ風に支配されると言うことができる。海氷の漂流速度と風速の相関解析の結果、北半球の広い範囲で両者の間に良い相関が見られ、特にオホーツク海を含む季節海氷域において相関が高い。図2.8 は風力係数(海氷の運動速度と風速との比)の解析結果である。氷縁部では風速の2%程度の速さで海氷が漂流することが分かる。図2.8 氷の運動の風力係数-11-(3) 海氷の厚さ以上に見られるように、海氷研究には衛星情報の利用が進んでいる。特にマイクロ波帯のセンサーは、雲・太陽光の有無等に影響されないことから、海氷観測のツールとして今後の更なる利用拡大が期待されている。この一方、船舶等による海氷の現場観測も、衛星情報からは得られない詳細データを得る手法として重要である。特に海氷の厚さについては、衛星情報からの推定手法が発展しつつはあるものの、理論的・技術的にまだ解決すべき点が多く、今のところ現場での直接計測しかない。海氷は地球温暖化などの気候の変化に最も敏感に反応するセンサーとしての役割を果たす。この場合の海氷量としては海氷体積による評価が必要であり、このためには海氷の面積だけではなく厚さの情報が不可欠である。また、船舶の航行等を考える場合においても海氷厚は最も重要な量である。オホーツク海においては、海上技術安全研究所、北海道大学低温科学研究所などの機関により、海上保安庁の砕氷パトロール船「そうや」を用いた海氷観測が継続的に実施されている。この観測は、同船の行動可能な北海道沿岸海域、すなわちオホーツク海の中では最南端部海域に限られるが、この海域の海氷について様々な貴重なデータが得られている。この観測では、「そうや」が砕氷した海氷の断面のVTR 画像から海氷厚を解析し、このデータがここ15 年近くにわたって蓄積されている。図2.9 に海氷厚計測結果の例を示す。また、近年では電磁誘導センサーによる海氷厚計測の試みも始まっている。図2.9 海氷厚計測結果の例図2.9 のような海氷厚の計測に加えて、海氷サンプルを船上に引き上げて、その構造の詳細観察も行われている。この観察結果から、海氷サンプルのほとんどが5 から10 cm 程度の厚さの氷板が重なり合った構造であるとともに、その結晶構造は柱状構造ではなく粒状構造のものが主体となっていることが示された。ここで、粒状構造の氷は、氷板上の冠雪に起因することも考えられるが、酸素同位対比の計測結果から、これらの氷のほとんどは海水起因であることも示された。以上の結果は、採取した海氷の多くは、成長の初期段階の粒状構造が卓越した比較的薄い氷板が波浪・風等の擾乱により重なり合う(rafting、図2.10)プロセスを経て厚みを増してきたことを示唆しており、図2.4 に示された解析結果に基づく推論を裏付けるものとなっている。また、rafting現象に対して立てられた確率モデルによる計算結果も、図2.9 のような氷厚のヒストグラムを説明するものとなった。図2.10 海氷のrafting-12-一方、海氷の厚み増加のプロセスとしては、rafting が比較的薄い氷板同士の衝突により起きるのに対し、ある程度以上厚い氷板の場合は、衝突により破壊された氷片が線状に堆積するridging(図2.11)、あるいはこのような状態が面状に広がるhummocking が起こることも指摘されている。このような状態の氷の厚さは上記の船上VTR 観測では計測ができない。これに代わる手法として、海底に設置したソナーにより海氷の水面下の厚みを計測した例を図2.12 に示す。水面下の厚みは氷の厚さと一対一に対応するものではないが、アイソスタシーを仮定すると、海氷厚に対応する良い指標と言うことができる。この図では、一様の厚さを有するlevel ice(rafting により生じたものも含むと考えられる)だけを抜き出して解析した結果も示されているが、これを超えて分布の裾が広がっていることが分かる。上述のrafting のモデルに続き、今後、ridging・hummocking の形成メカニズムとその発生の定量的評価モデルについての研究により、オホーツク海の海氷厚さの分布についてのより深い理解が可能となろう。図2.11 海氷のridging図2.12 海氷の水面下の厚みの計測例(●はlevel ice のデータ)2.3 海洋循環オホーツク海における海洋循環については、サハリン島東沿岸を南に向かう強い海流(東樺太海流、East Sakhalin Current: ESC)や、Kuril 海盆における直径100 km 程度の高気圧性渦群の存在が指摘されてきたが、これらのほとんどは海氷の動きや水温・塩分観測データに基づいた地衡流計算による推論に留まり、定量的な把握は全くなされていなかった。近年、漂流ブイ・フロートの投入や流速計係留観測の実施などにより、オホーツク海の海洋循環の様子が解明されてきている。(1) 表層循環1999 年8 月から9 月にオホーツク海の各所に合計20 基のARGOS ブイが投入され、それらの漂流跡が最長翌年2 月まで(最終的には海氷により破壊されたと考えられる)の間計測された。図2.13 はそれらのARGOS ブイ全ての流跡パターンを示している。この観測により、これまで「まぼろしの海流」としてのその実態が明らかではなかった、東樺太海流(ESC)の存在が初めて明らかにされた。この海流はサハリン沿岸と沖合いの2本のコアから成る。これらの流れはサハリン島Terpenia 岬までは同島東側に沿って南へ流れるが、両者の方向はここで分かれる。沿岸近くの流れはそのままサハリン島に沿って北海道沖まで南下するのに対し、沖側の流れは東進してKuril 海盆方向へ向う。Kuril 海盆に-13-おいては、これまでの推論通り、幾つかの高気圧性の渦の存在が示され、ESC からの分流とともにKuril 海盆全体として高気圧性の循環パターンを形成していることが示唆された。図2.13 表層ブイの軌跡(左)とオホーツク海の表層循環(右)(2) 東樺太海流(ESC)ブイによる観測に並行して、東樺太海流の空間構造と流量の季節変動を明らかにする目的で流速計や水温・塩分計からなる係留系観測がサハリン東岸沖を中心とした海域で実施された。係留系観測というのは、大陸棚などの水深200m より浅い海域では海底設置型流速計を設置するだけだが、それより深い陸棚斜面上では、錘とブイで真っ直ぐ垂直に立ったロープに数台の流速計をいろいろな深さの層で取り付けた系を設置し、それぞれの観測点における流向・流速の鉛直プロファイルを1~2 年間を通しての連続データを取得するものである。観測は東樺太海流の南下流路に直交する三測線(サハリン北東および東岸沖の北緯55 度、53 度、49.5 度)で行われた。それぞれの測線上には数ケ所の観測点が設けられたので、それぞれの測線を横切る東樺太海流の流速鉛直断面が1~2 ケ年にわたって取得され、流量の季節変動を実測することができた。これらの観測結果から、図2.13 に示されたESC 表層流のうち、より沖側の流れは、陸棚斜面上の表層から最深1,500 m にまで達するものであり、これがESC の流量の大部分を占めていることが分かった。この東樺太海流の主流部分の駆動機構については、風成循環の西岸境界流として説明されることが理論研究によって明らかにされた。このモデル研究結果から、北部陸棚域と南の千島海盆を除くオホーツク海中央部には反時計回りの低気圧性循環が卓越していることも分かった。従って、図2.13 で点線で示されたオホーツク海東部域の北上流はおそらく存在するであろう。一方、サハリン島沿岸の流れは、陸棚上の表層に卓越した流れで、アムール川からの淡水の混入した低塩分の軽い海水(East Sakhalin Current Water: ESCW)を運ぶ。前述のようにアムール川の流量は5月に急激な増大を示すが、この流れの流速と経路についての仮定に基づく試算によれば、この時発生したESCW は、夏から秋にかけてサハリン島沖-14-を通り、11 月に北海道に到達することとなる。この試算結果は、サハリン島沖の各計測点及び北海道における塩分濃度計測による推定と良い一致を示している。これらに加えて、さらに陸棚斜面肩部に第3の流れの存在も確認された。この流れは海底に沿って発達した流れで、後述する冬季大陸棚上で生成する高密度水(DSW)を運ぶ流れである。このような流速分布の3次元的な計測結果に基づき、北緯53 度を横切るESC の流量を求めた結果が図2.14 に示されている。図中、実線は観測結果から、破線は観測結果から沖合い部分を外挿して、それぞれ得られたESC の流量である。また×と○はそれぞれ、北緯53 度の2 個所の計測地点における計測結果に基づく単位幅流量(右縦軸)である。ESCの流量は、冬季に12 Sv(Sv は106 m3/s)程度に達する最大値を示した後に夏季に向けて低下し、秋季には1 Sv 程度まで減少するという非常に大きな季節変化を示すことが明らかになった。図2.14 に示された結果は、幻の海流とも言われ、その実態が不明であった東樺太海流の存在を初めて定量的に示したものである。図2.14 ESC の流量推定結果2.4 太平洋中層水(NPIW)の起源海域としてのオホーツク海オホーツク海は、隣接する北太平洋及び日本海とは狭隘な海峡で連結するのみの、地理的には閉鎖性の高い海域である。しかしながら、北太平洋とはKuril 諸島の間の海峡を通じて海水交換があり、この海水交換を通じて、オホーツク海は北太平洋中層水(NorthPacific Intermediate Water: NPIW)起源海域としての可能性が指摘されてきた。NPIWはポテンシャル密度 26.8 σθ 1近傍の密度を有する中層水であり、この密度を有する海水が表層に現われている海域は近隣にはオホーツク海以外には無いことから、オホーツク海1 海洋学では海水の密度は純水の密度1,000 kg/m3 を引いた値のポテンシャル密度で扱うことが一般的であり、これをσθ で表す。-15-がNPIW の起源水の生成海域ではないかと推測されてきたが、このNPIW 起源水生成の確認やその生成量について、現場観測を含む各種研究により、その実態が明らかにされつつある。中層水は、大気冷却等の作用によって高密度化した海水が中層へ沈み込む(ventilation)ことによって生成する。冬季のオホーツク海において最も寒冷となる海域は、北西部大陸沿岸域である(図2.3)。この海域はまた前章で述べたように、オホーツク海における海氷の主要な生成海域であり、海氷の成長時には海水の凍結に伴って濃縮された海水(ブライン)の排出が起きる。このような海水の冷却とブラインの排出の効果により海水は高密度化され、DenseShelf Water(DSW)が生成される。図2.15 は北西部大陸棚域におけるDSW の計測結果の例である。これらは1999 年9月の計測結果であり、大陸側と表層には混合層の発達が見られるが、大陸棚斜面上には低温・高密度のDSW の存在が確認できる。DSW の生成量の計測結果からは、これの年による違いが大きいことが示されている。前項において述べたように、DSW はサハリン島の東側大陸棚斜面上におけるESC の第3の流れとして南下する。しかしながらこのコアの存在は南下に伴って不明瞭なものとなることが計測により示されている。これはDSW と周囲の海水との混合及び沖合い方向への拡散によるものと考えられるが、このプロセスには中央海盆に存在する低気圧性の循環による影響も指摘されている。一方、オホーツク海には宗谷海峡を通じて宗谷暖流の流入があり、春季には低温でOSIW と同程度の密度を有するForerunner of Soya Warm Current Water(FSWCW)がオホーツク海へ運ばれる。北西部大陸沿岸域で海氷の生成に伴って生成されたDSW はESC により南方に輸送され、周囲の海水との混合過程を経た後に、さらにFSWCWと混合して、Kuril 海盆を中心にオホーツク海中層水( Okhotsk Sea Intermediate Water:OSIW)を形成する。図2.15 DSW 計測(上:計測線 [△は海底設置型流速計の位置]、中:密度、下:水温)図2.16 26.8 σθ における酸素濃度-16-OSIW のオホーツク海から北太平洋への主要な流出は、Kuril 列島において最深の深度を有するBussol’海峡を通じて為される。北太平洋ではKuril 列島に沿ってNPIW の南西への流れが存在し、Bussol’海峡より流出したOSIW はこれに合流して、親潮(OyashioIntermediate Water: OYIW)として日本沿岸へ向かう。OSIW との混合以前のNPIW は長期間の循環を経た酸素濃度の低い海水であるのに対し、OSIW のオホーツク海における滞留時間は7年程度と短く、酸素濃度も高い。図2.16 はポテンシャル密度26.8 の面における酸素濃度の解析結果であるが、OSIW との混合によりNPIW の酸素濃度が急激に上昇している状況が分かる。オホーツク海は、OSIW を北太平洋に与える一方、同量のNPIW を取り込んでおり、NPIW をリフレッシュさせる機能を有する海域であると言うことができよう。一方、Bussol’海峡における流速の現地計測が実施され(図2.17)、強い潮汐流の存在が確認された。この結果から、Bussol’海峡における海水の鉛直混合の可能性が指摘されている。また、CFC 分布の計測結果もBussol’海峡における潮汐混合の可能性を示唆するものとなっている。今後このような点を含むモデル・理論により、OSIW のNPIWへの寄与量がさらに解明されて行くこととなろう。図2.17 Bussol’海峡における平均流速計測結果(北太平洋への流出を正、左:大潮時、右:小潮時)海水の沈み込みとこれに伴う海洋循環(熱塩循環)については、同様の現象が幾つかの海域において起こることが知られている。この中で最も典型的な例がグリーンランド東沖の海域における海水の沈み込みである。ここではオホーツク海と同様の寒冷な大気による海面の冷却と海氷成長に伴うブラインの排出に加えてその他の幾つかのメカニズムにより海水の沈み込みが起きている。これにより生成された深層水・中層水は世界的な規模における熱塩循環を引き起こし、地球規模の気候に深く関わっていることから、地球温暖化等の影響がこの循環にどのような影響を及ぼすかについて大きな関心が寄せられている。オホーツク海を起源海域とするNPIW の循環はこれほど大規模なものではない。しかしながら、オホーツク海が海氷発生の北半球での南限海域であり、また、海氷の消滅が海洋の熱吸収を促してさらなる海氷の融解を誘うという、いわゆる正のフィード・バック効果を考慮すると、オホーツク海と北太平洋との海水交換は、より微妙なバランスの上に成り立つ循環であると言えよう。一方、もしオホーツク海におけるDSW 生成に変化が起きた場合、上記のメカニズムにより、親潮の量的・質的変化をもたらすこととなる。これは日本への直接的影響を及ぼす可能性を示唆するものであり、オホーツク海におけるNPIW の起源水の生成は、わが国独自の観点からも重要な問題と言うことができよう。θ σ-17-2.5 有機物循環と氷海生態系これまで述べてきたようなオホーツク海の物理・自然は、当然のことながらそこに存在する生態系の生息環境にも影響を与える。オホーツク海は世界でも屈指の生産性の高い海域として知られ、これに支えられた豊富な漁業資源を我々は享受している。このような豊かな生態系が形作られる要因の第一は、アムール川からの栄養物質の流入である。その流域に広大な針葉樹林帯を有するアムール川は、オホーツク海に膨大な量の有機物・栄養塩類等を供給する。これらの物質はオホーツク海内部へと循環し、活発な一次生産を育む源となる。このような物質の循環にはオホーツク海の特長である海氷形成とそれに基づく高密度水生成とそれの東樺太海流による南への輸送などの海洋循環が直接的に重要な役割を果たしている。さらに、海氷の存在は冬季に特異な生態系を作り出すとともに、春の海氷の融解期には植物プランクトンによる一次生産の急激な高まりである春季ブルーム(Spring Bloom)が引き起こされる。(1) 有機物の流入と循環図2.18 は、サハリン島北部陸棚域表層水において計測された、溶解有機炭素(DissolvedOrganic Carbon: DOC)と粒状有機炭素(Particulate Organic Carbon: POC)の濃度と塩分濃度との関係を示したものである。水中のDOC 濃度と塩分濃度との間には非常に明瞭な逆相関関係があり、DOC がアムール川から供給されたものであることを示唆している。この相関関係を淡水側に外挿して得られるアムール河川水中のDOC 濃度は、温帯河川によるものに比べて極めて高く、北シベリアを流れて北極海に注ぐ大河と同程度の値である。この値とアムール川の流量から、年間のDOC 流入量は2.5 Tg 程度と推定される。一方、POC についてはDOC ほどの明瞭な相関は認められず、高塩分濃度領域においてもピークが見られる。また、アムール川河口近傍における計測結果では、POC の鉛直分布とクロロフィル-a(Chl-a)の分布との間に良い相関関係が見られた。これらのことは、この海域におけるPOC は、アムール川からの流入による陸域起源のものと言うよりは、河口域における一次生産に起因するものであると言うことを示唆するものである。事実、北西部大陸棚域は、オホーツク海の中においても特に一次生産の高い海域であることが知られている。図2.18 サハリン島北部陸棚域表層水におけるDOC とPOC の塩分濃度との関係-18-それでは、このような有機物質はオホーツク海の中でその後どのように輸送されて行くのだろうか。これについては図2.19 に示した水中の濁度の計測結果が一つの手がかりを与える。これらのデータは北西部大陸棚(右図)とサハリン島沖合い(左図)において計測されたものであるが、それぞれ、海底及び水深300 m 近傍の層(グレーで示された領域)に濁度の極値が現れている。また水温データを見るとこれらの層が水温‐1 ℃以下の冷水層であることも分かる。図2.19 濁度と水温の鉛直分布(実線:濁度、破線:水温)また、図2.20 はサハリン島沖合いにおいて連続的に計測された懸濁物質(黒)と水温(青:水深280 m、緑:370 m、赤:480 m)のデータである。高懸濁物質層が低温層に対応していることが分かる。以上のデータは、懸濁物質を含む高濁度で低水温の海水が北西部大陸棚域から沖の中層水へ輸送される過程を示すものである。この流れは、前節に述べたDSW の流れに一致するものであり、従って、大陸棚域に流入・生成された有機物質がDSWに伴ってOSIWへと輸送される過程と考えることができる。図2.20 懸濁質濃度と水温の経時変化一方、図2.19 より大陸棚の海底近くに存在する高濁度層は、均質な水温分布を有することが分かる。このような水温の特徴は、一般に浅海域における大きな潮汐混合により生じることが知られている。このような潮汐作用は海底に堆積した粒子の再懸濁を引き起こし、大陸棚海底部の濁度を著しく増大させる。この潮汐作用と上記のDSW に伴う輸送を併せて、大陸棚域からOSIW への有機物の輸送モデルとして、図2.21 に示されるような「潮汐-ブラインポンプ」とでも呼ぶべきモデルが考えられる。ここでは、①冬季の冷却と海氷の形成によるDSW の生成、②潮汐作用による粒子の再懸濁、③DSW の輸送に伴う有機物の輸送、というプロセスにより有機物が大陸棚から広くオホーツク海全域の中層へと輸送される。この潮汐-ブラインポンプによる輸送量について、26.8 σθ の等密度面におけるDOC、POC 濃度とDSW の流量から見積もられた結果によると、年間あたりそれぞれ、13.6 TgC と0.9 TgC のDOC、POC が中層水に輸送されることとなる。-19-図2.21 潮汐-ブラインポンプ以上の観測の結果から、通常の海では栄養物は大陸棚に留まるが、オホーツク海ではこの海特有の海洋循環システムにより栄養物が広く全体に行き渡り、それがオホーツク海を世界有数の高生物生産域にしていることが明らかにされた。我々が享受するオホーツク海の海産資源も、このような海洋循環システムに支えられているものと言えよう。(2) 海氷生態系海氷の形成する海域における生態系は、通常の海域におけるものと様々な点で異なる。海氷水中に届く光を大きく低下させ、低温とともに生物にとって過酷な環境を形成する。一方、海氷は一部の生物にとっての生活空間となり、氷の中にしばしば生物の繁殖が見られる。この海氷中に繁殖する生物はアイス・アルジー(ice algae)と総称される珪藻類を中心とする植物プランクトンであり、海氷存在下の生態系を特徴づけるものとなっている。図2.22 は、船舶より観測された海氷中のアイス・アルジー繁殖の例である。砕氷された海氷の断面にアイス・アルジーの繁殖した褐色の層を見ることができる。海水の凍結により生成する海氷は、その内部に高塩分濃度の海水であるブラインを閉じ込めた無数の間隙を有する構造を有している。アイス・アルジーは、海水中に存在するプランクトンが、海氷生成時の氷の結晶への付着、氷の成長過程における取り込み、海氷の破壊時の侵入といったようなプロセスを経て海氷中への取り込まれ、このような間隙の中で増殖したものであるが、海氷中という特殊な環境に適合するものだけが選択的に繁殖する。海氷中環境の中でアイス・アルジーの生息に最も影響を与えるものは太陽光の量である。海氷のアルベド(太陽光の反射率)は高く、乾いた冠雪がある場合には0.9 にも及ぶ。このため、海氷内部における光の減衰もあり、海氷底部にまで届く光量は極めて限られる。このような環境において生存するために、アイス・アルジーは弱光領域においてピークを有するような光合成特性を有する。カナダ・レゾリュートの2 m 以上の厚さを有する海氷におけるアイス・アルジーは入射光量の1%に満たない光量域に光合成生産ピークを有し、南極昭和基地周辺の春季の海氷(最も氷が厚くなった時)に発生するアイス・アルジーも同様の特性を示す。図2.22 海氷の断面に観察されるアイス・アルジー-20-この一方、オホーツク海沿岸のサロマ湖の氷中に繁殖するアイス・アルジーは、これよりも高い光量域に光合成ピークを有するが、その生産効率はレゾリュートのものと比較して低い。同様の特性は、南極昭和基地周辺の海氷に秋季に発生するアイス・アルジー及び北極海に夏に増殖する植物プランクトンにおいても発見された。高緯度領域では紫外線量が多く、また海氷による光の透過では光量との相対的な意味で紫外線が増加する。サロマ湖のアイス・アルジー等に見られるある意味「効率の悪い」光合成特性は、このような強い光及び低温環境によるストレスに対する防御特性ではないかと考えられている。春季の海氷の融解に伴って発生するブルームには、栄養塩の上層への供給メカニズムという観点からは、海氷融解時の塩分成層化によるもの(Ice Edge Bloom)と日射量増加に伴う昇温による成層化によるもの(Open Water Bloom)の2種類のメカニズムがある。これら2種類のブルームのメカニズムについて、衛星画像によるChl-a 濃度と海氷密接度に関するデータに基づいて、北海道沿岸のオホーツク海におけるこれらの発生頻度を解析した結果が図2.23 である。この解析においては、Ice Edge Bloom は海氷の消滅から8日以内に、Open Water Bloom はそれ以降にChl-a 濃度が最大になるケースとして定義している。図2.23 は、Ice Edge Bloom が卓越したと考えられる海域を黒く示したものであるが、年によってこの海域面積が大きく変化することが分かる。この解析では、同様に衛星情報から光合成有効放射(Photosynthetically Active Radiation: PAR)を計算し、海氷密接度と両ブルーム・メカニズムの発生面積とともにこれらの経時変化を求めた。この結果、海氷の融解時期とPAR の増加タイミングの相対的な関係により二つのメカニズムの卓越性が決定されるという結論が得られている。また、Ice Edge Bloom の発生が大きい年の方がブルーム時のChl-a 濃度が高く、これは海氷中のアイス・アルジーがブルームに重要な役割を果たしていることを示唆す

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