海と熱帯低気圧

[KEYWORDS] 台風/海面水温/数値シミュレーション
気象庁気象研究所予報研究部長◆斉藤和雄

台風をはじめとする熱帯低気圧の発生発達における海の重要性と台風による海面水温の低下、スーパーコンピュータ「京」を用いた海面水温の変化を考慮する台風の数値シミュレーション、2008年にミャンマー南部に高潮による大きな被害をもたらしたサイクロン・ナルギスの高精度シミュレーションについて紹介する。


熱帯低気圧について

■図1:サイクロン・ナルギスによる高潮被害域

熱帯低気圧(tropical cyclone)は熱帯の海上で発生する低気圧の総称で、気象庁では東経180度より西の太平洋または南シナ海にあり最大風速が34ノット(17.2m/s)以上のものを「台風」と呼んでいる。インド洋とその周辺および南半球に存在するものはサイクロン、西経180度から大西洋までの北半球に存在する強い(最大風速64ノット以上)熱帯低気圧はハリケーンと呼ばれるが、気象擾乱(じょうらん)としてはどれも同じ性質を持っている。
熱帯低気圧は温帯低気圧と成因や構造に大きな違いがある。熱帯低気圧は、海上の水蒸気が凝結するときの熱(潜熱)をエネルギー源とするのに対し、温帯低気圧は、南北の気温の差による位置のエネルギーがその発生・発達に重要な役割を果たし、通常前線を伴っている。熱帯低気圧は北半球では反時計回りに回転する大きな渦で、ほぼ同心円状の気圧分布を持ち中心の周囲を積乱雲が取り囲んでいる。一方、温帯低気圧は上層では波(気圧の谷)になっており、気圧の谷の前面(東側)で暖気が上昇して雲を作り雨を降らせる。台風などの強い熱帯低気圧は、暴風や大雨などの顕著な現象を伴っており、しばしば大きな災害を引き起こす。また湾や河口に近い低地では高潮が非常に大きな災害をもたらすことがある。日本では1959年に死者・行方不明者5千名を超える伊勢湾台風の大災害があり、それを契機に気象研究所に台風研究部が設置された。また2008年にはサイクロン・ナルギス※1(以下、ナルギス)がミャンマー南部に高潮(図1)を引き起こし死者13万人ともいわれる同国では未曾有の大災害をもたらしている。

熱帯低気圧と海水温

■図2:2008年4月30日の気象庁海面水温解析

熱帯低気圧のエネルギー源は海面から蒸発した水蒸気の潜熱であるため、熱帯低気圧は海上でしか発生せず、その発生・発達には海面の水温が非常に重要である。一般には熱帯低気圧の発生条件は海面水温が26~27度以上あることとされるが、強い台風に発達するためにはより高い海面水温が必要である。図2は、ナルギスが急発達した時の2008年4月30日の海面水温分布である。ベンガル湾には、30度を超える高い海面水温の領域が存在し、この高い海水温がナルギスの急発達をもたらしたと考えられる。数値シミュレーションでは、水平格子間隔10kmの数値モデルを使うことにより、ナルギスの上陸2日前の初期値からの計算で、サイクロンの急発達がある程度表現されたが、海面水温の最大値を29度に制限してこの高い海面水温域を取り除く実験をおこなってみるとナルギスの発達は弱いものにとどまった。

熱帯低気圧による海水温の低下

台風など熱帯低気圧の発生・発達には海面水温が重要であると述べたが、熱帯低気圧のある場所では海面水温が低下する。これは、熱帯低気圧に伴う強い風により海面付近の温かい海水とその下の冷たい海水とが攪拌されること、風の回転によって海面より下にある冷たい海水が海面付近に湧き昇る現象が起きること、海面での蒸発が盛んになり海面から熱が奪われること、などのためである。台風が移動していく場合は、台風の通過後にその経路に沿って帯状に海面水温が低下した領域が現れる。
上記の海面水温低下の大きさは、海洋内部の水温がどのような分布となっているかに依存するため、台風がどれだけ発達できるかは海面水温だけでなく海洋内部の水温(海洋貯熱量)も重要な要素になると考えられるようになってきた。

京コンピュータによる熱帯低気圧の予測

■図3:京コンピュータによる2012年台風第15号の通過に伴う海面水温の低下

■図4:京コンピュータによるサイクロン・ナルギスのシミュレーションによる雲画像と海面水位

神戸に設置されたスーパーコンピュータ「京」の計算資源を防災・減災に関する研究に利用する研究プロジェクトが平成23年度から行われている。この研究(文部科学省HPCI戦略プログラム分野3)の研究開発課題の一つ「超高精度メソスケール気象予測の実証」※2では、京コンピュータを用いた台風や集中豪雨のシミュレーションが行われている。
図3は京コンピュータによる台風強度予測研究による2012年台風第15号の通過に伴う海面水温の低下をシミュレーションした例である。この研究では、数値モデルで台風による海面水温の低下の効果を考慮するために、大気の計算と海面水温の計算を結び付けたモデル(高解像度大気海洋結合モデル)を開発し、それを多数例(2009年4月から2012年9月に日本近傍を通過した全ての台風を対象とする合計281個の初期値)のシミュレーションに適用し、海面水温が変化する影響を考慮することで台風強度予測が大きく向上することを示している。
図4は、京コンピュータによるナルギスの数値シミュレーションによる雲画像と、海面水位である。このシミュレーションでは、地球観測衛星の散乱計※3が観測したベンガル湾の海上の波の状態から推定した風の情報などを数値モデルに取り込むことによって、計算の精度をより高めている。実験では観測された海上のデータを正しく取り込むためには、海面水温の推定誤差がどの程度あるかを知っておくことも有用であることも示した。また、京コンピュータによる計算で得られた海上の風や気圧を、プリンストン大学海洋モデルの入力値に用いて、ミャンマー南部に最大5mを超える高潮が発生するリスクがあることの予測に成功している。(了)

※1 サイクロン・ナルギス(Cyclone Nargis)=2008年4月27日にベンガル湾中央部で発生。ナルギスは、ウルドゥー語で「水仙」(英語名narcissus)を意味し、女性名。
※3 散乱計=衛星に搭載されマイクロ波を海面に向けて照射し、海面の風浪に散乱されて、戻ってくる散乱波の強さ(散乱断面積)を観測するもの。

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