隠岐島在住実業家の中井養三郎は、1903年以前から、現在の鬱陵島との往復の途中、現在の竹島にアシカが多く生息していることを確認していた。中井養三郎は、同島の領有権が明確ではなく外国との問題など不測の事態が生じる可能性や、資源保護の必要性を訴え、1904年9月29日付で、内務大臣(芳川顕正)、外務大臣(小村寿太郎)、農商務大臣(清浦圭吾)宛てに「りゃんこ島」(現在の竹島)の日本への編入、および向こう10年の貸下げを願い出た。(Ref.1)
補足:「りゃんこ島」は、現在の竹島の西洋名Liancourt Rocksに由来する俗称。
Ref.1:「りやんこ島領土編入幷ニ貸下願」『帝国版図関係雑件』(外交史料館所蔵外交記録1.4.1.7)
参考資料
島根県『島根県所蔵行政文書1』(2011年) pp.50-67(竹島関係資料集第2集)
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