1972年~

沖縄復帰後の海上保安庁による領海警備

沖縄の施政権返還に伴い、1972年5月15日、海上保安庁に第十一管区海上保安本部が設置された。同時に、巡視船・航空機が重点的に配備され、尖閣諸島周辺海域の哨戒が開始された。1972年(5月15日~12月31日)は、延べ106隻の領海侵入があり、そのほとんどが台湾漁船によるもので、尖閣諸島周辺が好漁場であることから、領海内で操業したり、飲料水補給などの目的で上陸している、その都度、第十一管区海上保安本部は都度退去勧告を行い、台湾漁船の乗組員は、素直にそれに応じている、との報告がある。(Ref.1・Ref.3)

以降も、継続的に領海警備を実施し、領海侵犯の船舶に対して位置確認書・宣誓書を書かせるなどして退去を命じている。1972年から1985年までの尖閣諸島周辺領海警備の結果は下表のとおり。

表:第十一管区海上保安本部による尖閣諸島周辺領海警備

領海侵犯数不法上陸者数内容・典拠
1972年10615尖閣諸島周辺が好漁場であることから、台湾漁船が領海内で操業したり、飲料水補給などの目的で上陸する。都度退去勧告を行い、素直に応じている。(Ref.1) ※不法上陸者数はRef.2
1973年2711尖閣諸島周辺の領海警備は、第11管区の巡視船のほか、他管区から巡視船の派遣を受けて実施。侵犯船等に対しては、誓約書等を徴して退去を命じるなど厳重な指導を行なっている。結果、警備開始2年目(1973年)から領海侵犯は急激に減少。領海侵犯や不法上陸は、漁業や薬草採取を目的としている。(Ref.2)
1974年3917他管区の巡視船の派遣を受けて取締りにあたり、侵犯船等に対しては、誓約書を徴して退去を命じ、厳重な指導を行なった。領海侵犯はいずれも漁業目的によるもので、不法上陸は鳥の卵の採取(8名)と魚釣り(9名)を目的としたものであった。(Ref.3)
1975年430他管区から12隻の派遣を受けて領海侵犯及び不法上陸の取締りにあたっている。なお、台湾漁船による領海侵犯は領土意識に基づくものではなく、いずれも漁業目的によるものであった。(Ref.4)
1976年9221他管区から巡視船13隻の派遣を受けて警戒にあたり、はえ縄漁業等のため侵犯する台湾船に対しては立入検査を行い、位置確認書、誓約書を徴して退去させている。不法上陸の目的は、薬草や鳥の卵等の採取であった。(Ref.5)
1977年1320"領海侵犯の内訳は、不法操業90、停泊徘徊等42。
昭和52年7月1日、領海法施行。領海警備の範囲が拡大。巡視船や航空機の配備を強化して、尖閣諸島及び八重山列島を重点的に台湾漁船の領海侵犯や不法操業の取締りを実施。(Ref.6)
1978年5163領海侵犯の内訳は、不法操業214、停泊徘徊等302。領海法の施行により領海が大幅に拡充されたことから、外国漁船の領海侵犯操業は急激に増加した。また、これまでの領海侵犯はそのすべてが台湾漁船で占められていたが、1978年4月、中国漁船団の尖閣諸島領海侵入事件(※リンク)が発生したことにより様相は一変した。台湾漁船はさんごの採取も行っている。(Ref.7)
1979年1940領海侵犯の内訳は、不法操業142、停泊徘徊等52。(Ref.8)
1980年1500領海侵犯の内訳は、不法操業65、停泊徘徊等85。中国漁船団は、1979年と同時期の1980年3月末から5月中旬まで、魚釣島北西海域で操業したが、領海侵犯等の事犯は発生しなかった。(Ref.8)
1981年1050領海侵犯の内訳は、不法操業52、停泊徘徊等53。尖閣諸島周辺海域における領海侵犯は、すべて台湾漁船によるものであり、これらに対しては警告のうえ領海外に退去させている。(Ref.9)
1982年1090領海侵犯の内訳は、不法操業48、停泊徘徊等61。
航空機による監視を強化。領海侵犯は、ほとんどが台湾漁船によるものであり、これらに対しては警告のうえ領海外に退去させている。(Ref.10)
1983年1110領海侵犯の内訳は、不法操業32、停泊徘徊等79。
3月末から5月中旬にかけては、多数の中国底びき漁船等が領海すれすれに接近してくる時期で、1983年も多い時で、いち時に約300隻の操業を確認。領海侵犯船は6隻が中国船で、その他はすべて台湾漁船。これらは領海外に退去させている。(Ref.11)
1984年810領海侵犯の内訳は、不法操業20、停泊徘徊等61。これらは領海外に退去させている。領海侵犯船のうち、3隻は韓国漁船で、その他はすべて台湾漁船。(Ref.12)
1985年1060領海侵犯の内訳は、不法操業44、停泊徘徊等62。1隻は韓国貨物船で、その他すべては台湾漁船。これらは領海外に退去させている。(Ref.13)


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Ref.1 :海上保安庁『海上保安の現況 昭和48年版』p.102

Ref.2 :海上保安庁第十一管区海上保安本部『沖縄における海上保安の現況 1974年』(1974年7月)pp.19-20

Ref.3 :海上保安庁第十一管区海上保安本部『沖縄における海上保安の現況 1975年』(1975年7月)pp.27-28

Ref.4 :海上保安庁第十一管区海上保安本部『沖縄における海上保安の現況 1976年』(1976年7月)pp.22-23

Ref.5 :海上保安庁第十一管区海上保安本部『海上保安の現況』(1977年7月)p.16

Ref.6 :海上保安庁第十一管区海上保安本部『海上保安の現況』(1978年7月)p.16

Ref.7 :海上保安庁第十一管区海上保安本部『海上保安の現況』(1979年7月)pp.9-10

Ref.8 :海上保安庁第十一管区海上保安本部『海上保安の現況』(1981年7月)pp.7-8

Ref.9 :海上保安庁第十一管区海上保安本部『海上保安の現況』(1982年10月)p.7

Ref.10 :海上保安庁第十一管区海上保安本部『海上保安の現況 昭和58年7月』[1983年7月] pp.9-10

Ref.11 :海上保安庁第十一管区海上保安本部『沖縄における海上保安の現況 昭和59年7月』[1984年7月序] pp.2-3

Ref.12 :海上保安庁第十一管区海上保安本部『沖縄における海上保安の現況 昭和60年8月』[1985年8月序] pp.6-7

Ref.13 :海上保安庁第十一管区海上保安本部『沖縄における海上保安の現況 昭和61年8月』[1986年8月序] pp.7-8

※全て沖縄県立図書館所蔵

関連情報
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→ 1978年4月12日~ 中国漁船による領海侵入