1905年~

竹島漁猟合資会社の経営状況

1905年(明治38年)、竹島漁猟合資会社の経営がはじまり、同年の海驢漁業成績が記録として残されている。明治38年は、出捐額2996円57銭9厘に対し、収益額は753円18銭5厘で、残負債額が2243円39銭4厘であった。営業開始前に既に多数の漁業者により濫獲が行われていたことや、全体的に振るわなかったことが示され、製品の販路開拓が今後の会社の運命に関わるとしている。(Ref.1)

また、明治38年の経営成績については、牡、牝、仔ごとに、6月10日(着業)から9月8日(終業)までの捕獲頭数の推移がグラフで描かれている。牡の捕獲頭数は534頭、牝の捕獲頭数は339頭、仔の捕獲頭数は130頭で、合計1003頭であった。(Ref.2)

1906年(明治39年)の経営も依然厳しかったことが別の記録に残されている(Ref.3)。

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Ref.1:「明治38年分 竹島海驢漁業成績(1905年10月30日)」『竹嶋』(島根県公文書センター所蔵)
Ref.2:「竹島海驢漁猟成績図 明治38年」『竹嶋』(島根県公文書センター所蔵)
Ref.3:「明治39年度業務執行顛末」『竹島貸下海驢漁業書類』(島根県公文書センター所蔵)


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