1905年5月

海驢漁業の許可願いの提出

中井養三郎・加藤重蔵・井口龍太・橋岡友次郎は共同で(※当初は他にも出願者がいた)、明治38年5月20日付で、明治38年6月から明治41年5月までの、竹島ならびにその周辺における海驢漁業の許可を島根県知事に願い出た(Ref.1)。以降、明治41~44年、明治44~大正5年、大正5~10年の記録が残されている。明治41年からと明治44年からの分の出願者は中井養三郎・加藤重蔵・橋岡友次郎で、大正5~10年の記録では、中井養一・橋岡忠重・加藤重蔵となっている(Ref.2・Ref.3・Ref.4)。

tit
Ref.1:「海驢漁業許可願(1905年5月20日)」『竹嶋』(島根県公文書センター所蔵)
Ref.2:「海驢漁業許可願(1907年6月28日)」『竹島貸下海驢漁業書類』(島根県公文書センター所蔵)
Ref.3:「海驢漁業許可願(1910年6月25日)」『昭和二十八年度竹島関係綴』(島根県公文書センター所蔵)
Ref.4:「海驢漁業許可願(1915年4月30日)」『昭和二十八年度竹島関係綴』(島根県公文書センター所蔵)


←5. 産業に戻る