1903年頃

竹島への渡海・出漁状況

明治36年度に、橋岡友次郎、井口龍太郎ら7名が竹島に渡航し(5月)、小屋を作って居住し、それぞれ海驢の捕獲と製造に分かれて活動した。海驢は小舟2艘に乗って捕獲し、皮・肉・油などを製造していた。製造したものは大阪へ売りさばき、その価格の総数は1960円であったとの記録がある。(Ref.1)

明治37年度も、橋岡友次郎、池田北次郎ら11名が竹島に渡航し(4月)、前年同様の活動を行ったことが記録されている。価格の総数は4235円であったとされている。(Ref.1)

また、これらの活動を行うにあたって、資本金の支出内訳や、事業者・従事者の詳細な記録が島根県への報告として残されている。(Ref.2)

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Ref.1:「収第906号(1905年4月18日)」『竹島貸下海驢漁業書類』(島根県公文書センター所蔵)
Ref.2:「36年度資本金支出」『竹島貸下海驢漁業書類』(島根県公文書センター所蔵)


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