1849年

西洋でリアンクール岩と命名、鬱陵島を含め島名の混乱が起こる

1849年にフランスの捕鯨船Liancourt(リアンクール)号が現在の竹島を"発見"した。その後、竹島は、Liancourt Rocks(リアンクール岩)と呼ばれるようになった。1787年にフランスの探検家ラ・ペルーズの艦隊が鬱陵島を"発見"し、Dagelet(ダジュレー島)と命名、1789年、イギリスの探検家コルネットは鬱陵島をArgonaut(アルゴノート島)と命名した。両島はどちらも鬱陵島をさすものであったが、異なる緯度経度とされたため、西洋の地図では二つの島として描かれることとなった。一方、長崎・出島に滞在したシーボルトは、1840年に「日本図」を作製したが、日本から持ち帰った地図(長久保赤水の改正日本輿地路程全図)に"竹島"(鬱陵島)・松島(現在の竹島)が描かれていたため、アルゴノート島を「竹島」に、ダジュレー島を「松島」にあてはめた(この時、現在の竹島は"発見"前で、西洋の地図になかった)。その後、アルゴノート島は計測された位置に存在しないとして地図上から消え、結果的に、日本で「竹島」と呼ばれた鬱陵島(ダジュレー島)が「松島」と呼ばれることになり、以後、島名の混乱が生じる。(Ref.1)

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Ref.1:China pilot(英国海軍編の水路誌)第4版(1864年) 第15章「日本海」

参考資料
川上健三著『竹島の歴史地理学的研究』古今書院(1966年)


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