1836年

浜田の八右衛門が、竹島へ行く名目で鬱陵島に渡海

浜田藩(島根県西部)の町人八右衛門は、藩の財政に貢献することを企図し、1833年に"竹島"(鬱陵島)へ渡り、木材や海産物を持ち帰った。このことが1836年に幕府に知られ、八右衛門は逮捕され、処刑された。この渡海にあたっては、浜田藩の家老岡田頼母や江戸屋敷も関与した(藩主松平周防守康任は当時幕府筆頭老中であった)。八右衛門の供述によれば、渡海の可否に関する江戸屋敷の判断は、"竹島"(鬱陵島)は日本の地とはっきり決められないので(日出之地共難差極候付)渡海の目論見をやめるべきであるとするもの、岡田の判断は、松島(現在の竹島)への渡海を試してはどうかというものであった。結局、八右衛門は岡田家と協議の上、「江戸表へは右嶋(松島=現在の竹島)之名目を残し以て竹嶋(鬱陵島)へ渡海」することにした。(Ref.1)

また、この事件の判決文の中でも「最寄松島え渡海の名目を以 竹島え渡り」云々とある。(Ref.2)

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Ref.1:『竹島渡海一件記』 全(東京大学附属図書館所蔵)
Ref.2:『無宿狩込一件』巻1(国立国会図書館所蔵、旧幕府引継書)

参考資料
神宮司庁編『古事類苑-外交部』(1903年) pp.787-788
森須和男『八右衛門とその時代 -今津屋八右衛門の竹嶋一件と近世海運』(2002年)(浜田市教育委員会)


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