1692年、村川家が"竹島"(鬱陵島)において朝鮮人と遭遇した。翌1693年には前年より多くの朝鮮人がいたため、大谷家の船頭が安龍福および朴於屯を米子へ連れ帰り、鳥取藩が事情聴取を行った。鳥取藩から報告を受けた幕府は、両名の送還を指示し、また、対馬藩に"竹島"(鬱陵島)への朝鮮人の出漁禁止を朝鮮国と交渉するよう指示した。朝鮮国は"竹島"と鬱陵島が一島二名であり鬱陵島は昔から朝鮮の島であるとして譲らず、結局、1696年に至り幕府は日本人の"竹島"(鬱陵島)渡海を禁止した。しかし、朝鮮国との政府間交渉の中で、現在の竹島とその帰属が言及されることはなかった。(Ref.1)
幕府による"竹島"(鬱陵島)渡海禁止後の1696 年6 月、安龍福は、隠岐を経由して鳥取藩に到着し、「朝鬱両島監税将」と官名を詐称して何事か訴えようとした。(Ref.2)幕府は、「帰国するよう申し含めて追い返す」よう指令し、安龍福一行は朝鮮へ帰帆した。(Ref.1)
安龍福は、隠岐での事情聴取で「竹島松島は江原道にある」等と述べた。(Ref.4) しかし、朝鮮政府は、安の言動に関し、「"漂風愚民"の行為については政府の知るところではない」とした。(Ref.3)
Ref.1:『竹嶋紀事』(1726年)〔第1期〕竹島問題研究会 最終報告書 資料編
(島根県HP:第1巻 第2巻 第3巻 第4巻 第5巻)
Ref.2:『因幡志』――鳥取県立博物館所蔵「岡嶋家資料」
(島根県Web竹島問題研究所HPに掲載)
Ref.3:『粛宗実録』巻31, 10~11 丁
Ref.4:村上家文書
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