1970年以前の戦後の調査1(1950・1952・1953・1964年:琉球大学)


戦後は、高良鉄夫(元琉球大学学長)が1950年に単独で魚釣島の調査を行い、以後、高良学術調査団ともいうべき(尖閣諸島文献資料編纂会)、琉球大学による調査が幾度にもわたって行われている。この他にも、九州大学・長崎大学による合同調査、当時の沖縄開発庁による調査も行われている。ここでは、主に琉球大学および旧沖縄開発庁による調査結果を元に、各島における調査結果について概要を整理する。

(1)魚釣島・南小島の動物相(1950・1952・1953年)
高良は、第1次(1950年4月)・第2次(1952年5月)・第3次(1953年8月)にわたる調査のうち、動物相の結果を琉球大学農学部学術報告第1号に発表し、哺乳類(オオコウモリの1亜種、ジャコウネズミ、エジプトネズミ(正木(1941)の指摘した野鼠だろうと推定)、ハツカネズミ、ネコ)、鳥類(キセキレイ他19種、アホウドリは見られない)、爬虫類(5種、特に変わった分布として、台湾や南中国に多く生息している蛇のシウダの発見を挙げ、台湾に近い与那国や琉球列島ではなく尖閣諸島にはシウダ以外に蛇は目撃されないとしている。)、昆虫類(アブ他12種)を記載している。生物地理学的位置を明らかにするには調査が未完成であるが、おそらく地理的環境のため所産動物は貧弱であるとしている。

本調査で初めて記録されるものに、ジャコウネズミ、エジプトネズミ、ハクセキレイ、ツバメチドリ、シウダなど22種をあげている。(Ref.1)

(2)魚釣島・南小島の植物相(1952年)
多和田眞淳は第2次調査に参加し、前述の琉球大学農学部学術報告第1号に植物相に関する報告を行い、魚釣島・南小島所産の羊歯類及び種子植物の総数は89科235種で、そのうち、コショウノキは伊平野島に産し他島にはなく、コウトウツズラフジが波照間島を除く他島にない、また、コウシュンウマノスズクサは宮古島を除く他島に産しないなど極めて地理的分布上、興味深い問題が残されていると報告している。また、固有種であると思われるものに、センカクアザミ、センカクツツジ、センカクホラゴケ(以上新称)、クヮザンジマ(ツツジの1種)などがあり、種数は面積の割合に比較的多いと述べている。農業的価値は乏しく、漁業的価値に優れていることを付記している。 (Ref.2)

(3)魚釣島の植物相(1953・1964年)
1964年には、第3次調査と第4次調査(1963年5月)に参加した新納義馬(元琉球大学・現尖閣諸島文献資料編纂会会長)が、琉球大学文理学部紀要理学篇に植生に関する報告を行っている。同氏はその後も尖閣諸島を調査し続け、計6回の渡島調査を実施している(Ref.3)。

1964年の報告では調査を行った魚釣島の植生について、大きく6つの群落に類型化している(イヌマキ-ユウコクラン群落、ビロウ-クロツグ群落、シロガジュマル-アカテツ群落、クサトベラ-モンパノキ群落、シロバナミヤコグサ-クロイワザサ群落、珊瑚石灰岩群落(※この中にイソフサギ群落、ミズガンピ群落、ソナレムグラ-コウライシバ群落、ボタンニンジン群落を区別))。また、これらの質的な相互関係、相似性について整理し、各群落の詳細な記載を行っている。 (Ref.4)


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Ref.1 :高良鉄夫「尖閣列島の動物相について」『琉球大学農学部学術報告』第1号(1954年)

Ref.2 :多和田眞淳「尖閣列島の植物相について」『琉球大学農学部学術報告』第1号(1954年)

Ref.3 :尖閣諸島文献資料編纂会『尖閣研究高良学術調査団資料集(上)』(2007年)p.172

Ref.4 :新納義馬「尖閣列島の植生」『琉球大学文理学部紀要理学篇』第7号(1964年)p.71