明治期の調査(1900年:黒岩・宮嶋)


古くは、石沢兵吾による報告があるが(1.領有権―法と歴史参照)、生物の調査としては1900年の黒岩・宮嶋両氏によるものが初の本格的な調査報告となる。両氏は海鳥の減少に危機感を持った古賀辰四郎が招請し、大正島を除く尖閣諸島各島の調査を行ったもので、地学雑誌に発表された。以下にその概要をまとめる。

(1)黒岩恒の報告(1900年)
釣魚嶼(魚釣島)及び尖閣諸嶼の生物界: 黒岩はまず、鳥類の多さに驚いている。鳥類の多きはその数の多きに在りて、種属の多様なるにはあらず、寒季に群集し来れるはアホウドリ及びクロアシアホウドリの二種なり、此鳥釣魚嶼(魚釣島)に多く幾万もいると述べている。暖季にはそれらは殆どいなくなり、暖季に多いのはセグロアジサシ、クロアジサシで、それらは北小島・南小島に群集し、幾十万もいるとしている。(Ref.1)

一方、魚釣島に多くいるものに、「蚊」「青蠅」を挙げている。大群により到底安全に食事ができない程であり、渡島者に警戒を促している。また、ソテツが皆無であり、沖縄松に限らず松がないことを、他の琉球諸島と大きく異なる点であることを報告している。
本報告には巻末に各島で採収した植物のリストが収録されており、130種以上が記載されている。(Ref.1)

(2)宮嶋幹之助の報告(1900年)
魚釣島と大正島を調査した黒岩とともに尖閣諸島を訪れ、久場島のアホウドリ調査を行った宮嶋の報告からは、久場島でチウシャクシギ、オホヨシゴイ、オオミヅナキドリ、カツオドリなど海鳥の確認しているほか、過去に役人が出張してきた際に鶏を持ち込んでおり、それが繁殖して多くなっていることの記述がみられる。また、明治28年(1895年)頃から漁船の船頭が船中で飼っていた雄雌の猫が逃げ出し、それらの猫が山中で繁殖し、数十匹となって夜に禽類を襲うため、懸賞してその危害を防ぐことに注力しているが、困難であることを報告している。さらに、従来の不適切な採集法により幼鳥まで含めた濫獲によってアホウドリが減少しているため、そのままでは数年もたたぬうちに絶滅してしまうであろうことを警告している。(Ref.2)


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Ref.1 :黒岩恒「尖閣列島探検記事」『地学雑誌』12巻9号(1900年)

Ref.2 :宮嶋幹之助「沖縄県下無人島探検談」『地学雑誌』第12集10巻(1900年)