1945年7月

銃撃を受けた疎開船の石垣島町民の救出・慰霊


1945年(昭和20年)7月、台湾へ疎開途中に米軍機の銃撃に遭い魚釣島へ漂着した石垣町民150人を救出すべく、警察官と軍関係者が石垣島から同島へ派遣された(この事件で町民50名が死亡)。(Ref.1)

1969年、石垣市が魚釣島に慰霊碑を建立。慰霊祭を実施した。(Ref.2)


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Ref.1 :牧野清(1971)尖閣列島小史
(南方同胞援護会機関誌『季刊沖縄』56(1971年3月25日)特集 尖閣列島 p.112)

Ref.2 :慰霊祭案内文案
(石垣市発出:海洋政策研究財団島嶼資料センターに複写所蔵)


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