1919年(大正8年)、魚釣島付近で遭難し、同島へ避難した中国福建省漁民の男女31人(子供を含む)を古賀善次氏等が現地で救助。その後、遭難者は石垣島に収容され、石垣村役場が救済、全者を中国へ送還。1920年(大正9年)5月20日(※感謝状の日付)、長崎駐在中華民国領事は石垣村長の豊川善佐、玉代勢孫伴らに感謝状を送っており、外務省の記録(Ref.1)からは7通の感謝状が送られたことが分かる。(Ref.1)
石垣市では、玉代勢孫伴への感謝状に加え、2010年に豊川善佐への感謝状が発見に至り、石垣市に寄託されている。これらの感謝状には、遭難場所が「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」(現在の魚釣島)と示されている(写真参照)。感謝状の宛先については、牧野清氏による調査、産経新聞による取材(1996年)、田中邦貴氏による検討があるが、現物として発見されたものは玉代氏、豊川氏へあてた2通である。(Ref.2)
玉代勢孫伴への感謝状
提供:石垣市立八重山博物館
豊川善佐への感謝状
提供:石垣市立八重山博物館
Ref.1 :「清国困難船及漂民救助雑件」中の「大正九年一月 遭難支那人救助三十一人件」
(国立公文書館アジア歴史資料センター)
Ref.2 :島袋綾野(2013)外務省記録文書に見る「感謝状」のいきさつ
( 石垣市立八重山博物館紀要第22号)
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