人口の移り変わり

  • 2020年05月18日

小笠原諸島には長い間定住者がおらず、漂流民と外国船の寄港があったにすぎなかった。1830(天保元)年になり、オアフ島から欧米人とハワイ人が初めて移住した(Ref.1)。その後、1963(文久2)年には、幕府が小笠原の開拓と入植を決め、38人が父島に移住した(Ref.2)。

明治期になると人口は増加し、明治40 年に小笠原諸島全体で約 4,000人に、大正 10 年には6 ,000 人を超えるまでとなった(Ref.3)。その後、増減はあったものの、戦前の小笠原諸島全体の人口は増加傾向にあった(Ref.4)。

1944年(昭和19)年、戦況の推移等により旧日本軍の命令によって6,886人の島民が強制的に本土へ引き上げられた。残留した将兵らも、終戦後に米軍によって本土に送還された(Ref.5)。

1968(昭和43)年の返還当時の人口は181人であった。しかし、翌1969(昭和44)年3月末には540人となり、人口は約2倍に膨らんだ。ただし、在来島民は死亡・転出等で172人に減少した(Ref.6)。

その後、帰島促進策によって昭和50年ころまで急激に人口が増加し、平成8年ころまで比較的順調に人口が増加した。平成9年に初めて減少するが、再び増加に転じ、平成12年ころからはわずかな増減を伴いながら推移している。平成31年4月1日現在の小笠原村の住民基本台帳による人口は、父島と母島で2,615人(外国人を含む)となっている(Ref.7)。


南方諸島別人口調(Ref.4をもとに作成)


住民基本台帳における世帯数およびの人口推移(Ref.7)

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Ref.1:Francis L. Hawks (co mpiled by), Narrative of the expedition of an American squadron to the China seas and Japan, performed in the years 1852, 1853, and 1854, under the command of Commodore M. C. Perry, United States Navy, Washington: A. O. P. Nicholson, 1856, p.200.
Ref.2「小笠原島開拓再興一件 九」『通信全覧』類輯之部 雑1296(外務省外交史料館)
Ref.3東京府『小笠原島総覧』pp. 120-128
Ref.4:南方同胞援護会『小笠原関係資料』(1959年)pp.16-23
Ref.5:石井通則『小笠原諸島概史(その1)―日米交渉を中心として―』南方同胞援護会(1967年)pp.27-30
Ref.6:財団法人小笠原協会『小笠原諸島調査報告』(1969年)p.5
Ref.7東京都小笠原支庁『管内概要』令和元年版pp.27-32