植物相概観

千島の植物については、19世紀半ばからロシア人によって調査が行われた。日本人としては、宮部金吾が1884年に植物採集を行い、植物相の特徴と隣接地域の関係について”The Flora of the Kurile Islands” として公表した。その後、20世紀に入ってからは数多くの調査・研究が行われ、その成果が公表された(Ref.1)。

舘脇操は、択捉海峡(択捉島と得撫島との間)に植物分類上の境界である「宮部線」を定めて南千島区と北千島区に大別し、さらに次のように分割した(Ref. 2)。
A 南千島区
  国後小区
  択捉-色丹小区
B 北千島区
  a 中部千島亜区
   得撫小区
   新知-松輪小区
  b 北千島亜区
   捨子古丹-温禰古丹小区
   幌筵-占守小区

舘脇によると、南千島の植物は北海道に極めてよく類似し、特に国後小区は北海道本島とほぼ同一だという。森林では、南千島区は喬木(高木)の発達が特徴であるが、エゾマツ、トドマツ、グイマツ林といった針葉喬木林は中部千島以北では認められず、エゾヤマナラシ、シラカンバ、ケヤマハンノキといった濶葉樹(広葉樹)は南千島より北では認められない。一方、北千島区は森林形相が極めて単純なことで特徴づけられ、多くは灌木(低木)樹林である(Ref. 2, 3)。

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Ref.1:桑山覺『南千島昆虫誌』札幌:北農会, 1967, pp.5-8
Ref.2:舘脇操「千島列島の植物」『千島概況』札幌:北海道庁, 1934, pp. 108-112
Ref.3:舘脇操「千島列島に於ける植物群落」『植物及動物』7巻(1939年) pp. 1963-2000