留別村の鱈漁業
2020年05月18日
択捉島(えとろふとう)の鱈(タラ)漁業は、もともと副次的なものであったが、明治25年に本間勇左衛門が来島し、川崎船一隻で45石(2,160貫)の水揚げをしてから、有望であると知られるようになった。その後、漁具や漁法が改善され、漁船が持符船から川崎船に変わって乗組員が3人から5人へと増え、漁場も拡大された。大正末期から昭和年代にかけての漁船の動力化に伴い、より安定した漁業となった(Ref.1)。
留別港で鱈の大漁の風景(留別村留別地区留別)
写真提供:千島歯舞諸島居住者連盟
経営者数 | 着業統数 | 漁獲量 | 金額 | 摘要 | |
昭和14年 | |||||
留別村 | 24 | 28 | 1,856,400 | 121,600 | - |
紗那村 | 10 | 15 | 219,780 | 79,920 | - |
蕊取村 | 9 | 9 | 66,416 | 23,246 | - |
計 | 43 | 52 | 2,142,596 | 224,766 | - |
昭和16年 | |||||
留別村 | 14 | 14 | 312,160 | 104,020 | - |
紗那村 | - | - | - | - | - |
蕊取村 | - | - | - | - | - |
計 | 14 | 14 | 312,160 | 104,020 | - |
Ref.1:沖縄・北方対策庁『北方地域総合実態調査書(択捉島の部)』(1971年)pp.141-142
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