2023年4月24日、豪州政府は国防戦略見直し(Defence Strategic Review: DSR)の公表版を発表した[1]。DSRは政府からは独立した有識者による、中長期的な戦略態勢の見直しに向けた提言書である。2022年8月のアンソニー・アルバニージー首相とリチャード・マールズ国防相による委託を受け、有識者チームがおよそ半年間に渡り専門家や国民の意見を聴取した上で、23年2月に非公表版の報告書を政府に提出した。

 豪国防省は2012年にも「戦力態勢見直し」を発表しているが、こちらは軍の態勢に焦点を絞ったものであり、国防戦略の見直しやその実行手段を論じたものではない[2]。これに対しDSRは国防戦略に加え、軍の構成や予算の配分等を含む、より包括的な国防態勢の見直しを行うものである。マールズ国防相は、1986年に発表され、その後の豪州の国防指針にも大きな影響を与えた「豪州の国防能力の見直し」(通称「ディブ・レポート」)に並ぶ、過去40年間で最も重要な戦略文書としてDSRを位置付けている[3]。本稿では、主に3つのポイントから、DSRによって示された豪州の国防路線の変化を論じたい。

低強度紛争から高強度紛争へ

 DSRの示した重要なポイントの一つが、低強度紛争への対応を主眼とした防衛路線から、より高強度の紛争への対応を主眼とした路線への転換である。特に米中和解の行われた1970年代の前半以降、豪州は自国にとっての喫緊かつ直接的な脅威は存在しないとの立場を維持してきた。前述のディブ・レポートも、豪州が「世界の最も安全な国家の一つ」であるとの見方を示し、その豪州が深刻かつ直接的な脅威に直面するまでには、少なくとも10年間の警戒期間が存在するとの見通しを示していた[4]。

 冷戦後、豪州の中では地域の中で米軍事プレゼンスの変化や不確実性の高まりを懸念する声もあったが、その後米国の一極体制が確立すると、平和維持活動や国際テロ、対反乱戦といった低強度かつ非伝統的な安全保障上の課題が、豪州の国防上の主たる関心となった。もちろん大国間紛争の可能性が完全にゼロとなった訳ではないが、米軍が地域における戦略的な優位性を維持する限りにおいて、そうした紛争が生起する可能性は限りなく低く見積もられていたのである。

 こうした豪州の国防態勢に変化の兆しが現れたのが、2000年代の後半である。2009年に発表された豪州の新たな国防白書は、世界の「多極化」の趨勢に言及し、中国の国防力の強化と近代化のスピードに警鐘を鳴らすとともに、「戦力2030」と呼ばれる、2030年に向けた海空面での能力を中心とした国防力の大幅な拡充計画を発表した[5]。今日にまで続く国防費の増額や次世代潜水艦の倍増計画は、この時に発表されたものである。

 もっとも、そこで掲げられた目標の達成が順調に進んでいたとは言い難い。2013年に発表された国防白書では中国に対する厳しい見方は鳴りを潜め、また09年白書で掲げられた国防費の増額に向けた具体的な計画も示されなかった[6]。これに対し2016年に発表された白書では、国防費の増額と戦力の増強方針を再び明確にしたものの、その後も次世代の海軍戦力の目玉となるアタック級潜水艦やハンター級フリゲート艦の調達コストの増大や計画の遅れが生じるなど、「戦力2030」の達成には暗雲が立ち込めていた[7]。

 その間、米国におけるドナルド・トランプ政権の誕生とその後の米中対立の激化、そして対中関係の悪化等によって、豪州を取り巻く安全保障環境は大幅に悪化した。仮に米中間で何らかの紛争が生じた場合、豪州は米国との同盟関係を通じてそれらの事態にほぼ間違いなく関与することになる。また豪州にある米豪の共同情報通信施設や米軍の後方拠点が、中国の長距離ミサイルの標的となる可能性も否定できない。

 このように、豪州を巻き込む形での紛争の蓋然性が急速に高まった結果、豪州の前政権は2020年7月に「国防戦略アップデート」を作成し、2016年白書で示された国防力強化計画の一部修正や前倒しを発表した。アップデートはまた、脅威の顕在化までの「10年間の警戒期間」という前提そのものが、長距離兵器の発達やサイバー攻撃といった新たな脅威の台頭により、「もはや妥当ではなくなっている」との見方を示したのである[8]。

 DSRもまた、アップデートで示された厳しい情勢認識の上に立ち、新たな時代に即した軍の態勢と構造を示している。そこでは特に、米国の一極体制の終焉について明確に言及し、大国間紛争のリスクが強まる中で、豪州が戦後初めて自国の利益に直接脅威を及ぼすような紛争のリスクに直面しているとする。DSRはまた、各国が軍事力を近代化し、戦力投射能力を強化する中で、豪州がこれまで享受してきた地理的な優位性に依存することが不可能になったとの認識を示す。

 こうした点を踏まえ、DSRは中小国による限定的な低強度紛争を想定した70年代以降の「豪州の防衛(defence of Australia)」路線から、大国間競争によって生起する高次元の脅威を想定した「国家防衛(national defence)」路線への転換を打ち出した。国家防衛路線では、特に軍の即応性や殺傷性、強靭性と持続性、そして異なる軍種間の統合による領域横断的な能力や、ミサイルの射程延伸等による戦力投射能力の強化といった、より実戦に向けられた能力の強化が重視される。

 DSRはまた、抑止力や拒否力強化の一環として、長距離打撃能力の強化や水中・水上戦力の強化により、豪州版「接近拒否・領域阻止(A2/AD)」の発展を求めている。直接的な名指しこそ避けているものの、そこで想定されている国が中国であることは誰の目にも明らかであろう。このように、中国との直接的な軍事衝突を念頭に置いた上で、豪州近隣もしくはインド太平洋地域でより高烈度の戦いにも対応できるような態勢の強化を急ピッチで進めることが、DSRの主眼に置かれている。

「選択と集中」

 第二のポイントは、「選択と集中」である。DSRは、「豪州の防衛」路線が目指していた多様な事態への対応を念頭に置いた「均衡の取れた軍事力(balanced force)」から、脅威を特定し、重要分野に資源を重点的に配分する「焦点を絞った軍事力(focused force)」への転換を提言した。具体的には、射程を延伸した高機動ロケット砲システム「HIMARS」の取得を含む長距離打撃能力の強化や、サイバー、宇宙や新興技術等の分野への投資がそれに当たる。その一方で、上記能力強化の費用捻出のため、採算の取れない計画や、陸軍が取得する予定であった戦闘車両等の大幅な削減を提言している。

 特に陸軍については、従来型の特殊部隊による地上戦やテロとの戦い、対反乱戦等を想定した態勢の強化よりも、長距離ミサイルや水陸両用部隊による沿岸での作戦能力の強化を提言している。ここから想像できるのは、例えば豪州北方の島嶼部などに前述のHIMARS等を配備し、米軍等と共に中国の海上接近を拒否するといった作戦である[9]。またこうした能力をサイバーや宇宙といった領域での能力と組み合わせることで、規模は小さくとも非対称な軍事能力を強化することが重視されている。

 またDSRは、有事の際に米軍や豪軍の戦略的な要衝となり得る豪州北部における基地や港湾等の防衛インフラについて、その迅速なアップデートと、施設間のネットワーク化を提言している。米軍は既に豪州北部に海兵隊をローテーション展開させているほか、B-52戦略爆撃機の展開計画なども報道されている[10]。長距離精密打撃能力が向上しているとはいえ、中国から離れた豪州本土は依然として対中戦略上の縦深性を担保するものである。このように、実際の有事シナリオを想定した上で、豪州の地理的特性を最大限に活かしつつ、費用対効果の高い分野に集中的に資源を投入する姿勢が、DSRでは鮮明に出されている。

防衛力の総合性と全政府的な対応

 第三に、以上のイニシアチブや目標を達成するための、全政府的な対応(A Whole-of-Government Approach)の強調である。DSRの「国家防衛」という概念には、そもそも防衛力の総合性を示す意図が込められている。すなわち、そこでは国としての防衛力強化のために、軍事力のみならず、国家の指導力や国策(statecraft)、外交の技量、経済や科学技術能力、そして気候変動対策や国内の強靭性等も同等に重視される。これらの多様な能力を活用し、全政府的な取り組みによって総合的な国防力の強化を図ることが、インド太平洋地域における勢力の均衡を維持する上で不可欠であることが強調されているのである。

 この点で重要なのは、AUKUSを通じた原潜の取得と新興技術力の強化である。2021年9月の発表以降、AUKUSは豪州にとってもはや単なる国防政策の範疇を超えた「国家プロジェクト」になりつつある。原潜の取得一つ取ってみても、労働力の確保や造船インフラの強化、そしてクルーや原子力技術者の育成といった多岐にわたる作業を行う必要がある。またAUKUSの「第二の柱」である新興技術開発も、産官学での連携を要するものであり、既に前政権時代に人工知能(AI)やサイバー、遺伝子工学等の分野を集中的に強化する方針が出されている[11]。

 またDSRは気候変動と国内の自然災害を豪州の防衛に対する重要な挑戦として捉え、少量ではあるがそれらへの対応について一章を割いて論じている。近年豪州では豪雨による洪水被害が多発しており、2023年1月には豪州北西部で100年に一度とも言われる規模の大規模な洪水も発生した[12]。こうした被害が前述の防衛インフラにまで及んだ場合、豪州の防衛態勢や米軍の即応態勢等にも深刻な影響が及ぶことが予想される。また気候変動や災害対策は国内のみならず、豪州近隣の太平洋島嶼国でも最大の安全保障上の課題となっており、そうした点がDSRにおいても考慮されたものと思われる。

 DSRはまた、豪軍要員を含む国防業界における深刻な労働力不足を指摘し、予備役の活用や雇用の確保等によってそれらの問題に政府が迅速に取り組むべきことを強調している。さらにDSRは、これまで不定期に出されていた国防白書の代わりに「国家防衛戦略」を2年おきに策定することで、DSRの達成に向けた継続的なレビューを行うことを提言した。これらの提言に対し、豪州政府は全面的ないし条件付きで承認するとともに、その速やかな実行を確約している。

DSRの意義と課題

 DSRは、70年代以降続いていた豪州の国防路線が大きく転換したことを示す重要な文書の一つとして、後世に記録されることになるであろう。周知の通り、米国はドナルド・トランプ政権の誕生以降中国に対する強硬姿勢を強めたが、当時の豪州には中国を経済的な機会として捉える見方も根強く、またトランプ政権の米国と距離をおくべきという論調も少なくなかった[13]。ところがその後の米中関係のさらなる悪化や対中関係の悪化により、豪州の戦略認識が急速に厳しくなったのは既述の通りである。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻は、戦後の「ルールに基づく秩序」が重大な危機に瀕していることを豪州の一般国民にも強烈に印象付けた[14]。

 こうした中、前政権時代の「アップデート」の作成等を通じて、豪州は急速に悪化する戦略環境に対応するための防衛力整備を急ピッチで進めていた。DSRで提言されていたポイントの多くは、その過程で既に発表されていたものであり、さほど目新しさはない。本稿で指摘した三つのポイントも、多かれ少なかれ過去の戦略文書等で強調されていたことである。その意味でDSRは、特に09年白書以降続いてきた豪州国防態勢の構造的な変化を総括し、より体系的に示した文書として評価できるであろう(前述のディブ・レポートも、70年代以降の豪州の国防政策の変化を体系的にまとめた文書として評価されている)。

 DSRの発表にあたり、ロイド・オースティン米国防長官は歓迎の意を示す公式の声明をわざわざ発表した[15]。また日本の防衛省も、「豪州の抑止力強化を通じインド太平洋地域の平和と安定に資するもの」として、DSRの公表を歓迎する声明を発表している[16]。こうした両国の声明の背景には、中国や東南アジアの一部の国々から聞かれる豪州の国防力強化に対する反発や懸念を念頭に、日米がそれを後押しするという意味合いも込められているのだろう。また軍の統合の重視や新興技術能力の開発、そして長距離打撃能力や領域横断作戦能力の強化という点において、日米豪の国防戦略には多くの共通点が存在する。DSRの発表を踏まえ、今後は有事を念頭に置いた日米豪の軍事面における統合がさらに進んでいくことが予想される。

 このように、豪州の国防政策において画期的な文書とされるDSRではあるが、批判がないわけではない。最も多く指摘されるポイントは、予算的な裏付けの不足である。既に見たようにDSRは数々の提言をおこない、そのための国防費の増額も提言しているが、具体的な費用は国防省が提言を分析した後に明らかになるとして、明言を避けた。その後豪政府が発表した次年度予算案は、原潜の調達を含むDSRで指摘された優先目標の達成のために、今後4年間で190億ドルを投ずることを明らかにした。今後も計画通りに進んだ場合、豪州の国防費は2032-33会計年度にGDP比で2.3%と、冷戦期並みの規模になる[17]。

 もっとも、このペースの増額では到底迫り来る危機に対応できないとの専門家の声もある[18]。また既述の通りDSRは費用対効果の薄い分野のコスト削減により防衛力強化に向けた費用を捻出するとしているが、そのために陸軍戦闘車両等を大幅に削減する案は、既に豪陸軍関係者や国防産業界から強い反発を呼んでいる[19]。加えて、DSRが強調する労働力の確保についても前述の方策以上に具体的な手段は示されておらず、特にAUKUSの課題とされる原潜建造のための労働力の確保について、何ら具体的な方策は示されていない。今後はこれらの課題をいかに克服していくかが、DSRの成否を左右する重要なポイントとなるであろう。

(2023/5/22)

脚注

  1. 1 Australian Government, National Defence: Defence Strategic Review, Commonwealth of Australia, 2023.
  2. 2 Allan Hawke and Ric Smith, Australian Defence Force Posture Review, Commonwealth of Australia, 2012.
  3. 3 Greg Sheridan, “Revealed: Defence Force Overhaul for Decade of Challenges,” Australian, August 2, 2022.
  4. 4 Paul Dibb, “Review of Australia's Defence Capabilities: Report for the Minister for Defence”, Australian Government Publishing Service, 1986, p. v.
  5. 5 Australian Government Department of Defence, Defending Australia in the Asia Pacific century: Force 2030, Commonwealth of Australia, 2009.
  6. 6 David Watt and Alan Payne, “Trends in Defence expenditure since 1901”.
  7. 7 アタック級潜水艦調達の遅れについては、佐竹知彦「AUKUS誕生の背景と課題―豪州の視点」『国際情報ネットワーク分析 IINA』2021年9月28日。
    またハンター級フリゲートの問題については、以下の豪国家監査局の報告書等を参照。Australian National Audit Office, “Department of Defence’s Procurement of Hunter Class Frigates”, May 10, 2023.
  8. 8 Australian Government Department of Defence, 2020 Defence Strategic Update, Commonwealth of Australia, 2020, p. 14.
  9. 9 Brad Lendon, “Australia to purchase US-made HIMARS missile system”, CNN, January 5, 2023, またAdam Lockyer, Justin Burke, Yves-Heng Lim and Fred Smith, “Manus Island and the Lombrum Naval Base: Five Options for Australia’s Geostrategic Gateway,” Royal Australian Navy Sea Power Soundings, Issue 35, 2021も参照。
  10. 10 Angus Grigg, Lesley Robinson and Meghna Bali, “US Air Force to deploy nuclear-capable B-52 bombers to Australia as tensions with China grow”, ABC News, October 31, 2022.
  11. 11 Brendan Nicholson, “Morrison says AUKUS will strengthen cooperation on critical technologies”, The Strategist, November 17, 2021.
  12. 12 “'Once in a century' flood cuts off communities in northwestern Australia”, Nikkei Asia, January 8, 2023.
  13. 13 佐竹知彦「揺れる米豪同盟」『国際情報ネットワーク分析 IINA』2018年3月30日。
  14. 14 ウクライナ戦争への豪州の対応については、佐竹知彦「ウクライナ戦争と豪州―民主主義vs.『専制の弧』」増田雅之編『ウクライナ戦争の衝撃』インターブックス、2022年を参照。
  15. 15 Department of Defense, “Secretary of Defense Lloyd J. Austin III on Australia's Defence Strategic Review”, April 24, 2023.
  16. 16 防衛省・自衛隊公式ツイッター、2023年4月24日。
  17. 17 Joanne Williamson, “Anthony Albanese says the government will keep an eye on Defence spending”, The Australian, May 11, 2023.
  18. 18 Bradley Perrett, “Defence budget low, unfocused”, The Canberra Times, May 13, 2023.
  19. 19 Matthew Knott, “‘Kick in the guts for army’: Landmark defence review to create winners and losers”, The Sydney Morning Herald, April 24, 2023.