インド太平洋地域のディスインフォメーション研究シリーズ掲載のお知らせ
この度、IINA(国際情報ネットワーク分析)では、笹川平和財団プロジェクト「インド太平洋地域の偽情報研究会」(2021年度~)において同地域のディスインフォメーション情勢について進めてきた調査研究と議論の成果を「インド太平洋地域のディスインフォメーション研究シリーズ」として連載いたします。IINA読者のご理解のお役にたてば幸甚です。
6.言論仲裁法改正と報道機関への信頼
中篇でみてきた言論仲裁法改正についての世論動向であるが、Media Todayによる2020年の調査では、マスメディアに対する懲罰的損害賠償制度の導入に約8割が賛成しているとされ、法案の支持者は、金銭的な罰則が少ないことも指摘している[1]。
その背景的要因の一つとして、韓国メディアに対する韓国国民の低い信頼度合いに一端を垣間見ることができるかもしれない。例えば、ロイター・ジャーナリズム研究所の「Digital News Report」によれば、日本におけるニュース信頼度は、2020年~2022年で37%→42%→44%と推移している[2]のに対し、韓国におけるニュース全般に対する信頼度は、2020年~2022年で21%→32%→30%と推移している[3]。ちなみに、2022年の調査における国際平均値は42%であり、アジア圏の調査結果の中でも台湾に次ぐ低さである(図を参照)。
それに加えて、メディアに対するシニシズム(冷笑主義)の蔓延も指摘されるところである。ある研究では、「市民の多くは、性別、年齢、政治的志向性の如何にかかわらず、報道メディアの公共的パフォーマンスに対しては低い評価をしている一方で、報道従事者および報道機関を利己的な動機に突き動かされている集団として認識」しているとの指摘がある[4]。また、韓国においては「ジャーナリストが社会のエリートと親密な関係を形成し、それをテコに個人的な利益を追求したり、権力を得ようとしているという見方がかなり広まっている」とされ、ジャーナリストの職務に対する評価や組織としてのメディアの公共的パフォーマンスに対する評価も著しく低いとされている[5]。
7.プラットフォームへの依存
上記に加えて、こうした韓国における偽情報流通に関して欠かすことができない、もう一つ別の視点がある。というのも、言論仲裁法改正に際して、「多くのジャーナリストは、この法案がもうひとつの大きな問題に対処していないことに不満を抱いている」という。「それは、ネイバーやダウムなど、韓国で大きな影響力を持つオンラインポータルが、さまざまなメディアのニュース記事をキュレーションし、自分たちのウェブサイトに掲載していることである」[7]。いまや韓国国民の多くが、ニュースをポータルサイト経由で入手しており、2017年の時点で、韓国で検索・ニュースポータルサイトからニュースを収集する人は77%(日本は63%)にのぼる[8]。先述した「Digital News Report」の2022年版でも、69%に及ぶ人々がそうしたアグリゲーターや検索エンジンからニュースを得ることを好んでいると指摘されている。こうしたニュースポータルサイトは、ニュース配信者側との関係で非常に優位な位置に立っている[9]。実際、大手の聯合ニュース(Yonhap News)が、記事型広告を通常の記事と同様に配信したことが掲載基準に違反すると判断され、ネイバーとダウムから契約を解除され、プラットフォームから締め出されるという一件も起きている[10]。
さらにオンライン上のニュース情報源として、「Digital News Report」によれば、韓国においてYouTubeをニュースソースとして利用する人は44%に及び、その存在が無視できないものとなりつつある[11]。なかでも特に保守・革新双方のYouTube政治専門チャンネルの存在も日増しに強くなっているようであり、こうしたチャンネルの拡大に伴い、「保守層と革新層が政治情報源として利用しているオンラインメディアの極性化が浮き彫りになった」ことが指摘される[12]。
8.アテンション・エコノミー
こうしたプラットフォーム上でのニュース流通のカギとなるのは、PVであり、CTRであり、ユーザー・エンゲージメントである。人間の「注目」は、有限稀少であり、現代のインターネット空間を席巻するビジネスモデルは、広告収入モデルをベースとして、人々の「注目」をいかにしてコンテンツに引きつけ、より長い「時間」をプラットフォーム上で過ごしてもらう「粘着性」をいかに高めるかに基軸を置いたものである。こうした経済原理は「アテンション・エコノミー(または関心経済)」と呼ばれている[13]。こうした環境においては、コンテンツの生成に際しては、より反射的・動物的にコンテンツに注目を引きつけることが重視され、(注目を引くための重要な要素ではないために)内容の公共性や正確性は二の次になりがちとなるうえ、偽情報を発信する経済的インセンティブを生み出す場合もある。
この点、偽情報オペレーションが、「関心経済、アルゴリズムとコンピューター技術、参加型文化」により、官主導から「産業」へとシフトしているとの指摘もある。アテンション・エコノミーのもとでの偽情報活動は、「大抵の場合、ボットの使用、インフルエンサーの起用、クラウドソーシングの支払、プラットフォームのアルゴリズムを操作するコンピュータ的トリックの開発」によって、PVやいいね数等の指標を作り出すことができるためである[14]。
こうしたメディア環境におけるアテンション・エコノミーの影響について、例えば、日本の公正取引委員会も「デジタル広告分野の取引実態に関する最終報告書」において、「インプレッション数やクリック数の増加がデジタル広告の収益の増加に直結するということになれば、媒体社の中には、アクセス数を稼ぐことができるようなコンテンツ、例えば、刺激的な見出しや内容で消費者のアクセスを誘う意図を持ったものや『フェイクニュース』と呼ばれるようなものを作成するインセンティブが生じるおそれがある」とし、「媒体社間競争において、質の高いニュースコンテンツを作成する媒体社が正当に評価されるような公正な競争環境が確保されない場合、消費者にとっては、正確性の担保されたニュースや社会・経済にとって有用なコンテンツといった質の高い情報を受け取ることができなくなるという影響が生じる可能性がある」と指摘するところである[15]。
9.韓国のフェイクニュースをとりまく状況と日本への示唆
上記のような韓国のフェイクニュースをとりまく状況と諸制度を鑑みると、まず日本にはない反論権制度と救済機関(ADR)の存在が制度的特徴として際立っているといえる。また、報道機関の自律性を確保しながら、どのようにしてニュース記事の正確性・質の高さを維持するか、特にプラットフォームの台頭と依存、アテンション・エコノミーのもとでどのような方策があり得るかという点は、韓国のみならず日本においても共通する課題として受け止める必要がある。韓国との類似点として、日本もまたYahoo!ニュースを筆頭に、ニュースポータルサイトにニュース流通を大きく依存しているところが指摘できよう。そして、韓国においてはアテンション・エコノミーを背景に、世論操作の官から民へのシフトが指摘されるわけであるが、日本におけるDappi問題を例にとってみても、そのようなシフトに日本もまた晒されつつあることを意識する必要があると思われる。
またこうした枠組みの中で、政府の規制権限をどのように行使していくべきかという点は、引き続き重要な検討課題である。言論仲裁法改正が結果的に頓挫したように、民主政システムにとっての屋台骨である表現の自由に対する安易な政府介入は、事態を解決するどころかむしろ悪化させる場合もあり得る。またそもそも、韓国の例からして政府自体が世論操作(アストロターフィング)のプレイヤーとして機能している場合も否定できない。そうした点からも、政府が介入すべき領域を慎重に見極めていく必要があるだろう。この点、先の公正取引委員会の報告書は、ニュース・プラットフォームとアテンション・エコノミー問題の解決策として、「質の高いコンテンツを提供する媒体社が正当に評価され,公正な競争を通じて媒体社の提供するコンテンツの質が確保される仕組みが提供されることが重要」であることを指摘し、⑴ コンテンツを作成したメディアの名が明示されることで、情報の正確性や質を担保する責任の所在を明らかにすること、⑵ コンテンツの質やメディアに対する消費者の評価が、メディア間競争に反映される仕組みを検討することを挙げている[16]。こうした示唆も踏まえ、検討を進めていく必要があるだろう。
(2023/6/2)
脚注
- 1 Choe Sang-Hun, “South Korea Shelves ‘Fake News’ Bill Amid International Outcry,” The New York Times, October 1, 2021.
- 2 See, Reuters Institute, Digital News Report 2020, p.97.; Reuters Institute, Digital News Report 2021, p.138.; Reuters Institute, Digital News Report 2022, p.139.
- 3 See, Reuters Institute, Digital News Report 2020, p.101; Reuters Institute, Digital News Report 2021, p.146; Reuters Institute, Digital News Report 2022, p.147.
- 4 李光鎬「韓国におけるメディアシニシズムと政治ニュースの『消費』、選択的接触」『法学研究』第93巻第12号、2020年、347頁。
- 5 李光鎬「韓国社会におけるメディアシニシズムと政治コミュニケーション」山腰修三編著『対立と分断の中のメディア政治――日本・韓国・インドネシア・ドイツ』慶応義塾大学出版会、2022年、122頁。なおここでいうメディアに対するシニシズムとは、「報道の行為主体、報道機関、または報道の制度全体が、道徳性と能力を欠いているという信念から形成され、それらをさげすみ、あざける態度」を指す(同113頁)。
- 6 Reuters Institute, Digital News Report 2022, p.15を参考に水谷が作成。ただし韓国の個別のニュースブランドに対する信頼度は比較的高い水準にある。
- 7 William Gallo & Lee Juhyun, “South Korea Fights 'Fake News,' But Critics Claim It's Gagging the Press,” VOA, September 8, 2021.
- 8 「韓国人の77%がポータルニュース利用 2位日本を上回る」聯合ニュース、2017年11月25日。
- 9 Reuters Institute, Digital News Report 2022, p.146.
- 10 鈴木壮太郎「韓国2大ポータル 大手通信社「締め出し」の波紋」日本経済新聞、2021年11月26日。ただし記事によれば、掲載基準違反を指摘したのは、ネイバーとカカオが共同設立し提携評価委員会審議委員会であり、さらに聯合側も「結局は8月19日、当時の社長が過ちを認めて謝罪」し「問題があると判断した記事型広告2000本あまりを削除した」とされている。また同記事では、「韓国言論振興財団の昨年の調査によると、ニュース利用者の86.6%がネイバー、ダウムを主に使っている」とされる。
- 11 Reuters Institute, Digital News Report 2022, p.147.
- 12 李津娥「韓国における政治情報の選択的接触と共有」山腰修三編著『対立と分断の中のメディア政治――日本・韓国・インドネシア・ドイツ』慶応義塾大学出版会、2022年、164-165頁。
- 13 詳しくは、水谷瑛嗣郎「『知識』の供給を持続可能に 求められる新たな評価指標」『Journalism』第389号、2022年、23-29頁を参照。
- 14 K. Hazel Kwon, “Disinformation is spreading beyond the realm of spycraft to become a shady industry – lessons from South Korea,” The Conversation, November 16, 2021.
- 15 公正取引委員会「デジタル広告分野の取引実態に関する最終報告書」2021年2月、140-141頁。
- 16 同上、142-143頁。