インド太平洋地域のディスインフォメーション研究シリーズ掲載のお知らせ

 この度、IINA(国際情報ネットワーク分析)では、笹川平和財団プロジェクト「インド太平洋地域の偽情報研究会」(2021年度~)において同地域のディスインフォメーション情勢について進めてきた調査研究と議論の成果を「インド太平洋地域のディスインフォメーション研究シリーズ」として連載いたします。IINA読者のご理解のお役にたてば幸甚です。


はじめに

 本稿は、韓国におけるフェイクニュースの状況と、それに対応する諸制度を紹介し、我が国における表現環境および民主政システムとの比較的視点から、僅かながらではあるが何らかの示唆を得ようと試みるものである。

 上編では、韓国における民主政システムに付随したインターネットの利活用の状況及び流通するフェイクニュースの傾向を明らかにする。中編では、フェイクニュースに対応する法制度と、近年論争が巻き起こった言論仲裁法の改正動向をめぐる議論を紹介する。後編では、法制度が及ばない課題を概観したうえで、我が国に対する若干の示唆を抽出したい。

 なお本稿における議論を先んじてまとめるならば次のようなものになる。韓国では、選挙運動におけるインターネットの利活用が日本に先駆けて注目されてきたことに加え、既存メディアに対する信頼感が日本と比較しても低く、また日本では認められていないメディアに対する反論権制度[1]がかねてから形成・運用されてきたという点に特徴があると言える。

 その一方で、韓国はフェイクニュースに関して日本よりも多くの悩みを抱えてきた。大統領選におけるフェイクニュースの流通に加え、そもそも政府機関が世論工作の一環としてアストロターフィング(偽草の根運動)を展開してきたことが指摘されている。そうした中で、数多くのフェイクニュース対策法が検討され、またメディアから発信される虚偽情報への対抗措置として懲罰的損害賠償制度の導入が取り沙汰された。その背景には、党派的なメディアに対する低い信頼度があるが、同時に、メディアの現代的エコシステムの問題としてニュースプラットフォームへの依存が大きく、デジタル空間を席巻している「アテンション・エコノミー」の影響も見過ごすことはできないと言える。

 本稿執筆に当たっては、筆者の語学能力の限界から、主として日本語および英語の資料・文献を参考としていることをあらかじめお断りしておきたい。

1.韓国におけるインターネットと民主政

 さて2000年代に入ると、韓国においては日本などよりも早期にインターネットの普及が拡大し、大統領選に際したインターネットの利活用が注目されてきた。その象徴的とされる出来事が、2002年の大統領選で、当時の廬武鉉候補を支持する「ノサモ」と呼ばれる若者たちが、インターネットを通じて彼を支援した点である。特に「政治経済等の時事問題に関する報道・論評を、インターネットを通じて提供するインターネット新聞やポータルサイト」による「インターネット言論」が注目を浴び、これらは「既存の新聞・放送等と並び、若い有権者の圧倒的な支持を得た」と指摘されている[2]。

 しかしながら、当時の韓国公職選挙法がネットに対応しておらず、そこで2004年(+2005年)に転換点となる改正(主として候補者によるネット選挙運動の解禁)が行われた。その後、有権者のネット選挙運動の禁止については憲法裁判所が2011年に公職選挙法に違憲判断を下している。2002年以後も選挙において、SNSやビッグデータの活用が行われている。これに加えて、2000年代以降にはメディア多元化が進み、さらに2017年時の大統領選では、前大統領の朴槿恵氏をめぐり、世論の政治的分極化が加速している。というのも「メディアの多元化の中で、韓国社会ではメディアの分極化や政治的分極化がさらに進み、有権者は好きなメディアを選び、気に入る記事や情報のみにアクセスする環境ができ上がっている」ためである[3]。こうした状況が、韓国でフェイクニュース問題が加速する下地になっているのではないかとも考えられよう。

2.韓国におけるフェイクニュース問題

 韓国においては、フェイクニュースは「ガチャニュース」と呼ばれている。フェイクニュースの定義としては、韓国におけるフェイクニュース関連法案を提出した議員らによるものを挙げれば、「商業的または政治的な目的のために、情報や事実を確認するというジャーナリズムの機能が関与していないにもかかわらず、事実を確認できるニュースとしてパッケージ化された情報で、インターネットを介して他者を意図的に欺く行為」であるとされている[4]。むろん、韓国におけるフェイクニュースの定義は、諸外国のそれと同様にこの他にもさまざまなものがあるが、最近の特徴として、マスコミの記事形式を真似て、専門家のコメントなどを入れ込むことで信頼性の確保を行おうとしていることが指摘されている。それは、「通常の新聞やテレビニュース記事の形をしているので、操作した記事とはとても思えないほど」だとの指摘がある[5]。また韓国言論財団の2017年のアンケート調査によれば、フェイクニュースを伝統的メディアの形式とソーシャルメッセンジャー形式で流したところ、「ニュースタイトル、バイライン、発行日が記載された伝統的ニュース形式では、より多くの人がフェイクニュースを信用する傾向にある」という[6]。

 この点、特に2017年の大統領選では、多くのフェイクニュースが流通した。その例としては、セウォル号事故の引き揚げ遅延の原因が文在寅候補(当時)にある、国民党候補が社長の会社の投票用紙分類機等を中央選挙管理委員会が使用している、などが挙げられる。このように、韓国におけるフェイクニュースは政敵を攻撃するための手段として用いられてきた点に特徴があると言え、しかも「フェイクニュースの発信元は、候補者本人の場合が多い」とされる。またその際、有権者がどのようなルートでフェイクニュースを受領していたかという調査によれば、インターネット・SNS経由が72.6%、次いでテレビが71.1%で、その他(紙の新聞やネット新聞)を大きく引き離している点も注目される。またネット経由でも、モバイルメッセンジャーの活用が多いようである[7]。

3.韓国における政府機関による世論操作

 さらに韓国におけるフェイクニュースを用いたネット世論操作は、韓国の政府機関によって以前から行われてきたことが指摘されている。例えば、2012年の朴槿恵元大統領を選出する選挙で、彼女の勝利に貢献するために、偽草の根運動(astroturfing)を国家情報院が主導して行ったとされている。ブリティッシュ・コロンビア大のHeidi TworekとYoojung Leeによれば、「このキャンペーンの範囲と影響力はまだ明らかになっていないが、国家情報院は約3,500のソーシャルメディア・アカウントを動員し、朴大統領の反対派に対する約27万5千件の誹謗中傷メッセージを投稿した疑いがある」という[8]。加えて、アリゾナ州立大のK. Hazel Kwonによると、同工作で国家情報院は、「偽のアカウント、いわゆるソックパペット(Sock Puppet)を管理する70人以上の常勤職員を雇っていた」とされ、加えて、「民間人パートタイマーで構成された『チーム・アルファ』と呼ばれるグループ」も存在していたとされる[9]。こうした工作は、新北朝鮮勢力が国政を混乱させることを理由に反政府的意見を抑圧することを目的としていた[10]。なおこれを主導した当時の国家情報院長・元世勲は、2018年4月に韓国最高裁から、公選法違反、国家情報院法違反に問われ、懲役4年の判決を受けている[11]。

(2023/5/29)

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脚注

  1. 1 「反論権」またはメディアに対する「アクセス権」には、民法上の名誉毀損(不法行為)の救済手段として認められる狭義のものと、名誉毀損と関係なく反対意見掲載の受け付けを義務付けられる広義のものがあり得る。(例えば、佐藤幸治『憲法〔第3版〕』青林書院、1995年、542頁を参照)。後者で著名な制度としては、アメリカの連邦通信委員会(FCC)規則で放送事業者に義務付けられていた「公正原則(Fairness Doctrine)」である(1985年にFCCにより廃止された)。それ以外にもドイツやフランスにおいて反論権は立法化されている(フランスの事例については曽我部真裕『反論権と表現の自由』有斐閣、2013年を参照)。こうした権利の背景には、インターネット普及以前においてマスメディアが情報発信手段を事実上独占しており、言論空間で圧倒的な影響力を有していたため、メディアへアクセスする手段を持たない市民がメディアを通じて何らかの形で自らの意見表明の機会を確保する必要があるとの考えがあった。ちなみに日本の最高裁は、反論権について「新聞の記事に取り上げられた者が、その記事の掲載によつて名誉毀損の不法行為が成立するかどうかとは無関係に、自己が記事に取り上げられたというだけの理由によつて、新聞を発行・販売する者に対し、当該記事に対する自己の反論文を無修正で、しかも無料で掲載することを求めることができるもの」と判示し、明文上の根拠なくこうした権利を認めることは、報道機関が「公的事項に関する批判的記事の掲載をちゆうちよさせ、憲法の保障する表現の自由を間接的に侵す危険につながるおそれ」があるとして、そうした権利を認めなかった(最判昭和62年4月24日民集第41巻3号490頁)。
  2. 2 自治体国際化協会ソウル事務所「韓国における選挙運動について ~ インターネット 選挙運動を中心に」Clair Report No.467、2018年6月14日、29頁。なお、日本において公職選挙法が改正され、ネット選挙運動が解禁されたのが2013年である。
  3. 3 高選圭「2017年韓国大統領選挙におけるフェイクニュースの生産・拡散ネットワークと政治的影響力の分析」清原聖子編著『フェイクニュースに震撼する民主主義 日米韓の国際比較研究』大学教育出版、2019年、68頁。
  4. 4 Ahran Park & Kyu Ho Youm, “Fake News from a Legal Perspective: The United States and South Korea Compared,” Southwestern Journal of International Law, No.25, 2019, p.100, p.104.
  5. 5 高選圭前掲、69頁。
  6. 6 Ahran Park & Kyu Ho Youm, op.cit., pp.104-105.
  7. 7 高選圭前掲、77頁。ソウル大のファクトチェック研究所によると、 2017年大統領選の際の政治争点に関する177の情報のうち、163は候補者が流したものであり、うち107が虚偽や根拠のない不適切ものであったとされる。特に保守陣営の候補である洪氏は、47中42が虚偽や根拠のない不適切なものであったという。
  8. 8 Heidi Tworek&Yoojung Lee, “Lessons from South Korea’s approach to tacklingdisinformation,” TechStream, July 12, 2021.
  9. 9 K. Hazel Kwon, “Disinformation is spreading beyond the realm of spycraft to become a shady industry – lessons from South Korea,” The Conversation, November 16, 2021.
  10. 10 Justin McCurry, “South Korea spy agency admits trying to rig 2012 presidential election,” The Guardian, August 4, 2017.
  11. 11 名村隆寛「元情報機関トップ、懲役4年の実刑確定 韓国大統領選介入事件 最高裁判決」産経新聞、2018年4月19日。