アメリカを揺さぶるオピオイド危機⑪
薬物政策の中で繰り返し登場する「危険な他者」
山岸 敬和
前回の論考では、戦争や人口移動、都市化といった社会不安が、薬物規制を正当化する土壌となってきた歴史を振り返った。社会の不安定化と薬物の蔓延はしばしば連動しており、とりわけそれが特定の「危険な他者」と関係付けて語られる時、問題への対応は統制強化の方向へと傾きやすくなることを指摘した。
薬物規制の歴史の中で、規制の対象は必ずしも「物質」そのものではなかったということでもある。特定の集団が社会秩序を脅かす存在として位置付けられ、その語りが政策の強度や運用のあり方に影響を与えてきた。
本論考では、この薬物政策における「危険な他者」という視点を掘り下げ、アメリカ薬物政策史の中で、フェンタニル問題との連続性を考察してみたい。
薬物と「集団」の結びつき
前回指摘したように、移民国家のアメリカでは、「誰が社会秩序を揺るがしているのか」という問いが特定の民族・人種集団へと向けられてきた。
19世紀後半、中国系移民の増加とともにアヘンの使用が広がると、チャイナタウンはしばしば「道徳的堕落」の空間として描かれた。アヘンを使用する場所は、白人社会の価値観を脅かす異質な文化の象徴とされ、白人女性がそこに出入りするという物語が誇張され、社会的不安が増幅された。1870年代に制定された条例は、表向きはアヘンの取り締まりを目的としていたが、その実態は中国系移民コミュニティを統制する意図を色濃く帯びていた。薬物は、移民排斥感情を正当化する装置として機能したのである1。
20世紀初頭には、コカインが南部の黒人労働者と関連づけられる言説が広がった。新聞報道や議会証言では、コカインによって凶暴化した黒人男性が白人社会に脅威を与えるという語りが流布され、警察の武装強化や取り締まりの正当化に利用された。こうした言説は、実証的根拠に乏しいにも関わらず、人種的不安と結びつくことで強い影響力を持った。
さらに1930年代には、マリファナがメキシコ系移民と結びつけられ、「暴力」や「逸脱」と関連づける報道が広がる中で、1937年のマリファナ税法へとつながっていく。ここでもまた、薬物の危険性それ自体よりも、それを使用する「集団」に対する偏見が政策形成を後押ししていたのである。
使用と収監の非対称性
こうしたナラティブは、政策運用において具体的な帰結をもたらした。誰が「脅威」と見なされるかによって、同じ物質であっても制度は異なった運用のされ方となる。
1970年代以降、以前述べた「麻薬との戦争(War on Drugs)」が進められていた時、薬物問題は都市犯罪と強く結びつけられ、厳罰化や警察権限の拡大が進んだ。薬物使用率は人種間で大きな差がなかったにもかかわらず、黒人の逮捕率・収監率は著しく高い水準で推移した2。使用者でもそれが白人であれば医療や更生の対象として扱われる余地が残り続けたのに対して、黒人コミュニティに対しては厳罰をもって対処するという構造が固定化された。
この非対称性は偶発的なものではない。社会の中で共有された「危険な他者」の像が、人種的不平等と重なり合い、恐怖と怒りという感情に大きく影響された制度運用のされてきた結果である。
今回は白人、しかし変わらない構造
21世紀に入って深刻化したフェンタニル問題は、一見すると従来とは異なる様相を示している。被害者はラストベルトを中心に広がり、白人労働者層の死亡が目立った。そのため、国内のマイノリティ集団を「危険な他者」として設定する従来の構図は成立しにくかった。
しかし、「危険な他者」を設定するという政治的フレーミングそのものが消えたわけではない。「危険な他者」の焦点が国内から国外へと移ったのである。フェンタニルは、中国からの前駆体密輸、メキシコの麻薬カルテル、不法移民の越境、さらにはベネズエラといった国々と結びつけられ、「外から流入する脅威」として語られるようになった。
この語りは、単に薬物問題の説明にとどまらない。それはトランプ政権の「アメリカ・ファースト」や、反グローバル化、反移民といった既存の政治的言説と結びつくことで、より広い政治的意味を帯びた。製造業の衰退や雇用喪失への不満、国境管理への不信、移民増加への懸念といった感情が、フェンタニル問題と重ね合わされたのである。薬物危機は、国家主権の回復や国境防衛を強調する物語の中に組み込まれていった。
ここで重要なのは、薬物の危険性そのものよりも、「誰がそれをもたらしているのか」という物語である。国境管理の強化や制裁の拡大といった政策は、この物語によって正当化される。被害の広がり方が変わっても、「敵」を設定し、不安を外部に帰責させる構造は持続しているのである。
「危険な他者」が作る薬物政策
以上を振り返ると、アメリカの薬物政策は一貫して「物質の危険性」だけに焦点が当てられて形成されてきたわけではないことが分かる。そこには常に、「危険な他者は誰か」という社会的な想像力が作用してきたと言って良い。
アヘンは中国系移民、コカインは黒人、マリファナはメキシコ系移民、そしてフェンタニルは、外国や不法移民と結び付けられている。薬物問題は単なる健康問題でも治安問題でもなく、社会不安をどのように顕在化させ、誰に責任を帰するのかという政治の問題なのである。フェンタニル問題をめぐる政治は、決して新しいものではない3。
「危険な他者」が強調されるとき、薬物政策は厳罰主義へと偏りやすい。問題の焦点は、個々人の依存や治療のあり方よりも、「敵」をいかに排除し、いかに攻撃するかに移る。そこではしばしば「戦争」という言葉が用いられ、終わりの見えない対決構図が正当化される。政策が敵との戦いとして構想される時、問題を抱える人々を丁寧に支えるという視点は失われやすいのである。
もっとも、薬物問題に「敵」を設定する傾向は、アメリカに特有のものとは限らない。社会不安が高まると、外部の脅威や特定集団への帰責が強まる現象は、多くの国で観察される。実際、19世紀末のアヘン規制や20世紀初頭のコカイン規制、さらには「麻薬との戦争」における厳罰化は、特定の集団を「危険な他者」として位置付けることで正当化されてきたが、それによって薬物の蔓延が根本的に抑えられたとは言い難い。むしろ取り締りの強化は、供給の形態や流通経路を変化させながら問題を持続させてきた側面がある。加えて、このようなナラティブは、個人がなぜ薬物に手を出し、どのように依存に至るのかといった問題に対する科学的な研究や理解を後継に退ける傾向も生み出してきた。だからこそ、薬物政策がどのような語りによって構築されているのかを自覚的に検討することは、社会不安に目を向けつつも、できる限り科学的根拠に基づいた政策を構想していくために重要である。
(了)
- 薬物政策が社会不安や人種・移民問題と結びつきながら形成されてきた過程を明らかにしている著書には以下のようなものがある。David T. Courtwright, Dark Paradise: A History of Opiate Addiction in America (Cambridge, MA: Harvard University Press, 2001); David F. Musto, The American Disease: Origins of Narcotic Control, 3rd ed. (New York: Oxford University Press, 1999).(本文に戻る)
- Michelle Alexander, The New Jim Crow: Mass Incarceration in the Age of Colorblindness (New York: The New Press, 2010). (本文に戻る)
- 特に20世紀前半の薬物政策の形成過程における人種・民族の要因の影響については以下に詳しい。ヨハン・ハリ(福井昌子訳)『麻薬と人間 100年の物語―薬物への認識を変える衝撃の真実』(作品社、2021年)(本文に戻る)