医療扶助大国アメリカ

山岸 敬和
「アメリカ現状モニター」のコラムでは、オバマケアについて何回か書いてきたが、その中でメディケイドという医療扶助プログラムが度々登場する1。
オバマケアには二つの主要なプログラムがある。一つは、個人で保険に加入しようとする者が保険を購入しやすくするためのもので、医療保険取引所が設立され、そこで補助金を得た人々が民間保険を購入する。そしてもう一つが、メディケイドの支給基準の拡大である。連邦政府が定める貧困ラインの138%までの所得層までを新たに対象とした。この二つの仕掛けによって無保険者を削減しようとしたのがオバマケアであった。
メディケイドはジョンソン政権下で1965年に成立した、管理・運営の権限を連邦政府と州政府が分有するプログラムである。連邦政府は大枠のガイドラインを作り、州政府がその中で自由裁量権を持って運用する。州によって支給対象者の制限や医療サービスの内容がまちまちになるのはそのためである。
そのようなプログラムの構造が故に、オバマケアが成立した時には、連邦政府が州政府に対して強制的にメディケイドの拡大を命じることができるかが連邦最高裁で争われた。結果は、違憲判決であった。そのため、保守勢力が強い州(図1では「Not Adopted」の州)では、未だメディケイドの拡大が行われていない。
日本にも医療扶助プログラムはある。生活保護の受給対象者で医療サービスを必要とする者が受けられる仕組みになっている。2021年1月時点で生活保護を受けている人々は約200万人、人口比では1.63%である2。
他方、アメリカのメディケイドは、その受給者数が日本と比べると桁が違う。2021年4月時点でメディケイドの受給者数は約7,500万人に及ぶ3。人口比にすると23%になり、約4人に1人が医療扶助の受給者であることになる。まさにアメリカは医療扶助大国と言える状況なのだ。
図2はメディケイドの受給者数の推移である。1980年代は横ばい状態が続いたが、その後に増加傾向が顕著になったのが分かる。そして2014年にオバマケアによってメディケイドの対象者が拡大したタイミングで増加率が高まったのも見て取れる。
メディケイドに対する世論は党派を超えて好意的である(図3)。オバマケア全体に対しての世論調査となると、共和党支持者で好意的だとする者は3割を切るのとは対照的である。オバマケアによるメディケイドの拡大に反対している保守派知事は、人気のメディケイドと不人気のオバマケアの間でのジレンマに陥っていると言える。
ジョー・バイデンは、医療保険制度改革を選挙公約にしていた。バーニー・サンダース等が現行のオバマケアを廃止し、新たに連邦政府が管理・運営するメディケア・フォー・オール案を示したのに対して、バイデンは、より穏健なパブリック・オプション案を主張した。オバマケアの一部改良案である。しかし政権が発足しても、その案が実現する可能性は見えてこない。
その中でバイデン政権は、メディケイドの拡充を進めている。今年3月に成立した1.9兆ドルの米国救済計画法の中には、メディケイドが未だ拡大されていない州への財政支援策が含まれた。さらに重要なのは、出産後の母親を1年間メディケイドの対象とするとし、精神病者や薬物依存者にもメディケイドが適用されるとしたことだ。またメディケイドでは、これまで提供してこなかったサービスも開始された。食事、入浴、その他在宅の基本的サービスである。これらを提供することによって、高価な病院や介護施設から、自宅療養への移行を促す効果があるというのがバイデン政権による説明である4。
メディケイド全体は、年間で連邦政府と州政府合わせて6,000億ドルの予算を必要とするが、バイデン政権はさらに、メディケイドの拡充のために200億ドルの予算を計上した。オバマケアによって拡大された部分と米国救済計画法の中の拡充部分の費用は連邦政府が負担しているが、新型コロナはメディケイド受給者数を上昇させており、州政府にとっても負担増になっている。
メディケイドによって受けることができる医療サービスの質は一般的に悪い。医療サービスが制限されるのに加え、アメリカでは、取り扱う保険を自由に選べるため、メディケイドの患者を取らないクリニックや病院が多い。メディケイドは明らかに質の悪い保険として見られているのだ。
メディケイドは世論では概ね好意的であるため、バイデン政権にとっては、パブリック・オプションなどオバマケアの仕組みに制度的変更を加えて民間保険業界の反発を招くよりも、メディケイドを拡充したほうが政治的には楽だと映るだろう。しかし安易にそれを継続すれば、財政難に繋がり、政治的なバックラッシュが生じることにもなる。トランプ前政権では、メディケイドの受給者制限が声高に言われていたことを思い出さなければならない。
また民主党の中でも穏健派と急進左派との綱引きの中で、メディケイドが争点になっている。民主党予備選挙においてサウスカロライナ州でバイデンに起死回生の勝利をもたらしたジム・クライバーン下院議員は、メディケイドの拡大を最優先すべきだと主張している。バイデンのこれまでの方針はこれに沿っていると言える。他方、サンダースなど急進左派は、高齢者向けプログラムであるメディケアの拡充と支給年齢引き下げを唱え、メディケア・フォー・オールの足掛かりを作ろうとする。また、ナンシー・ペロシ下院議長は、オバマケアの中で民間保険を購入する際に提供される補助金の増額を訴える5。それぞれのグループが、それぞれの政治的思惑によって主張する政策が異なるのが現状だ。全て同時に行えれば良いが、民主党内にもコロナ後も財政支出を拡大することに慎重なグループがいるため、そのような政治状況にはない。
2022年の中間選挙に向けて、「オバマケア」に加え、「メディケイド」と「メディケア」という言葉を頻繁に聞くようになるだろう。バイデン政権の今後にも大きく関わる争点になるため注視していきたい。
(了)
- SPFアメリカ現状モニターにおける「米国における医療と政治」をテーマにした論考・動画の一覧。
<https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/special-movie_1.html> (2021年10月20日参照)。(本文に戻る) - 厚生労働省「Press Release」2021年4月7日、<https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/hihogosya/m2021/dl/01-01.pdf>(2021年10月18日参照)。(本文に戻る)
- 子供向けのメディケイドと言って良いCHIPを含むと8,000万人を超える。Centers for Medicare & Medicaid Services, “April 2021 Medicaid & CHIP Enrollment Data Highlights,” Medicaid.gov, <https://www.medicaid.gov/medicaid/program-information/medicaid-and-chip-enrollment-data/report-highlights/index.html>accessed on October 18, 2021.(本文に戻る)
- “Biden's Broader Vision for Medicaid Could Include Inmates, Immigrants, New Mothers,” NPR, June 23, 2021,
<https://www.npr.org/sections/health-shots/2021/06/23/1009251576/bidens-broader-vision-for-medicaid-could-include-inmates-immigrants-new-mothers>, accessed on October 18, 2021. (本文に戻る) - Paul Kane, “Top Democrats want to expand health care access. But they need to find a way to do it.,” The Washington Post, September 25, 2021,
<https://www.washingtonpost.com/powerpost/reconciliation-health-care-medicare-medicaid/2021/09/25/4213090c-1d76-11ec-bcb8-0cb135811007_story.html>, accessed on October 19, 2021.(本文に戻る)