茨の道を進む「バイデンケア」

山岸 敬和
新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が拡大していくことで、医療保険制度の欠陥が改めて可視化された。医療保険に加入していない者は未だ人口比で約10%おり、それに加え多くの人々が、高い免責額や窓口負担が設定されているいわゆる「低保険」に加入している。そのような人々は、検査や治療を控える傾向があり、それが感染を拡大させていると言われている。2010年に成立したオバマケアは無保険者を削減することはできたが、まだ課題は残されていた。それがCOVID-19によって顕になったのである1。
12月6日、バイデンは保健福祉省長官に、ハビエル・ベセラ氏(カリフォルニア州司法長官)を充てることを明らかにした。ベセラがバイデン政権下で医療保険制度改革の中心的役割を果たすことが期待されている。
ジョー・バイデンは、11月の選挙直前に行われた第二回討論会で初めて「バイデンケア」という言葉を使った。COVID-19が拡大する中で医療保険制度改革への勢いをつけたかったとも取れる。しかしこのバイデンの発言は、改革を実施するためには相当な困難が待ち受けていることへの焦りの表れであったとも言えるだろう。
今回の大統領選挙は現職大統領のトランプの信任選挙の意味合いが強く、バイデンの改革案が吟味されたわけではない。医療保険制度改革が最重要争点の一つとなり、新人同士の選挙で勝利したオバマ氏とは状況が異なる。それだけでなく、バイデン氏はオバマ氏が直面しなかった困難に向き合わなければならない。
以下でまずバイデンの医療保険改革案を概観し、それが成立させるためにバイデン政権が克服しなければならない困難について述べる。
「バイデンケア」とは
オバマケアは、主に個人で保険に加入しなければならない人々への救済プログラムであった。アメリカ人の半数以上は雇用を通じて保険に加入している。雇用主提供保険に加入すると、雇用主が保険料の一部を負担してくれるため保険料負担が軽減される。また、高齢者、障害者、貧困層には公的プログラムがある。2018年時点でオバマケアの対象となったのは、雇用主提供保険や公的プログラムの対象となっていない個人で保険加入しなければならない約2200万人(人口比7%弱)であった2。
この人々は、特に既往症がある場合には高い保険料を設定されたり、保険加入を拒否されたりした。その問題に対処するために、オバマケアによって州ごとに医療保険取引所が設立された。これらの人々は、そこで提示される連邦政府が定める基準を満たした民間保険プランから、公的補助を受け購入する。それによってこの層の健康リスクが分散された。それでも医療保険取引所で保険を購入できない低所得層に対しては、公的医療扶助であるメディケイドの支給基準を緩和して適用対象とした。
この政策スキームには二つの欠陥があった。第一に、医療保険取引所に参加する民間保険者の数が当初の予想よりも少なく競争原理が十分に働かなかったということである。第二に、保険に加入できても自己負担額が高額となるケースが多かったことである。医療保険取引所には自己負担額によって4つのレベル(プラチナ、ゴールド、シルバー、ブロンズ)がある。公的補助は3割負担のシルバープランへの加入を想定した額であるが、医療費そのものが日本と比べて高額なため3割負担だとしても支払いは高額になるし、そのようなプランには数千ドルの免責額が設定されているものも多い。第三に、オバマケアによるメディケイドの拡大の実現は州政府の判断によるため、今でも22州が不拡大のままになっていて、それらの州の人々の多くは無保険者になる。
バイデンケアは主にこれらの問題に対処しようとするものである。目玉は医療保険取引所で提示されるプランに、高齢者と障害者を対象とした公的プランであるメディケアに類似したものを含めようというものである。これがいわゆる「パブリック・オプション」なるものである。メディケイド不拡大の州の本来対象となる人々は、これに自動的に加入させる。また、公的補助をシルバープランから2割負担のゴールドプランの購入を想定する額に増額する。さらに、現在は医療保険取引所から排除されている法的な問題がある移民たちにも参加する権利を与える(但し、公的補助は提供しない)。これによって人口の97%が保険の適用下になるとする。
巨大な財政負担
バイデンケアは、約10%弱いる無保険者をさらに削減し、「低保険」加入者にはより寛容な保険プランに加入することを促すものである。しかし、そのためにかかる費用は莫大である。2009年にオバマケアが審議されている中で、パブリック・オプションが外されたのもこれが大きな原因であった。
バイデンケアの費用は、10年間で2兆ドルと試算されている3。10年間で1.75兆ドルとされたオバマケア以上になる。財源をめぐる議論は必至であり、オバマケアは、富裕層への増税、保険未加入者のペナルティ、メディケアの合理化などで捻出したが、バイデンケアのためにはさらなる財源が必要となる。オバマケアで一度「無い袖を振った」こともあり、共和党議員のみならず、民主党内の財政規律を重要視する議員を説得することが難しい。
COVID-19との戦いの影響
医療保険制度改革は、COVID-19によってその必要性がクローズアップされたと述べたが、実際に実行しようとするとCOVID-19が足かせになる可能性が高い。
バイデン新政権は、まずCOVID-19を収束させることが最優先事項となる。バイデンもCOVID-19を克服した大統領として歴史に名を残すために全力を尽くすだろう。
振り返ればオバマ氏もリーマンショックという危機に対処し、その後オバマケアを成立させたことから、バイデンも同様な流れを想定しているだろう。しかし既述したように、オバマ氏とは異なり、バイデンはその医療保険改革案が選挙によって信任されたわけではない。また、COVID-19問題が想定以上に長引けば中間選挙で苦戦を強いられ、医療保険制度改革の成立はさらに困難になるだろう。
その他、民主党内にはオバマケアを廃止して「メディケア・フォー・オール」を導入しようとするアレクサンドリア・オカシオ=コルテス氏などの急進左派勢力がいる。今のところはメディケア・フォー・オール案を党内で無理やり進めようとはしていないが、急進左派は、バイデン氏の漸進的な改革のやり方に不満を抱いていて、いつ不満が爆発して収集がつかなくなるか分からない。
バイデンケアを成立させるためには、分裂含みの民主党内をまとめ、ジョージア州の上院議員選挙の決選投票の結果如何では、共和党上院議員からも支持が必要となる。バイデンは茨の道を進むための政治的資源を持つことはできるか。現段階ではかなり難しい状況であると言わざるを得ない。
(了)
- COVID-19のトランプ政権の対応は以下を参照。山岸敬和「新型コロナウィルスとトランプ的アメリカ」『国際問題』10月号、2020年。
- オバマケアの詳細については以下を参照。山岸敬和「アメリカ医療制度の政治史―20世期の経験とオバマケア―」名古屋大学出版会、2014年。
- Ann Saphir, “Analysis: Bidencare or Trumpcare? Health plans will affect the U.S. economy differently,” Reuters, November 1, 2020, <https://jp.reuters.com/article/usa-election-healthcare-economy-analysis-idUSKBN27H19Y> accessed on December 10, 2020.
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