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論考シリーズ | No.182 | 2025.7.8
アメリカ現状モニター

アメリカを揺さぶるオピオイド危機⑥
「米国へのフェンタニル密輸、日本経由か」の衝撃

山岸 敬和
南山大学国際教養学部教授

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6月25日、日本経済新聞で「米国へのフェンタニル密輸、日本経由か―中国組織が名古屋に拠点」という記事が掲載された。アメリカで摘発された中国人から「日本のボス」がいるという証言が出たことから、日経新聞が調査を進め、その結果をまとめたものである1。 この記事は大きな波紋を投げかけ、名古屋市役所だけでなく、日本政府も対応を迫られた。そもそもフェンタニルはアメリカでどのような問題になっているのか。中継点としての日本はどのような役割を果たしていたのか。今後日本でもフェンタニルが蔓延する可能性があるのか。現在進行形の関税をめぐる議論も含め、日米関係にどのような影響を与えるのか。本コラムでは、このような疑問に答えていきたい。

アメリカにおける違法フェンタニル拡大の背景

まず、「オピオイド」と「フェンタニル」という用語の関係性から説明したい。オピオイドとは、ケシから生成されるモルヒネのような薬や、それに類似した作用を持つ合成・反合成薬の総称名である。フェンタニルはオピオイドの一種であり、合成薬である。

「オピオイド危機」が言われ始めたのは、フェンタニルが原因ではない。1990年代にパデュー・ファーマという製薬会社が、反合成オピオイドであるオキシコンチンを、その危険性に気付きながらも販売を拡大し続けたことが大きな引き金になった。医師が「合法的に」処方した鎮痛剤によって、オピオイド危機が始まったのである。

オキシコンチンは、モルヒネと比べると1.5〜2倍の鎮痛効果があるのだが、同時に依存性が高く、さらに過剰摂取によって死に至ることもある危険性が高い薬物であった。オキシコンチンの製造・販売に対する規制が強化されてから急速に流通が拡大したのが違法フェンタニルである。

フェンタニルの鎮痛効果は、オキシコンチンよりもはるかに高く、モルヒネと比べると50〜100倍にもなる。2ミリグラム、塩で言うと細かい粒が二つくらいで致死量に達するという。離脱症状も強く、依存性も非常に高い。合法的に処方されるフェンタニルもあるが、その効果の強さからアメリカ国内でも厳しい管理がなされている。

規制が強化されたオキシコンチンの代替薬物として違法フェンタニルが拡大した。違法フェンタニルはその多くがメキシコで製造され、自動車の部品や他商品の中に隠すなどして陸路でアメリカに流入する2。そして製造をするための前駆体(原料となるNPPやANPP等の化学物質)の大きな供給先が中国であるとされている。

日本におけるオピオイド蔓延の可能性

前駆体をメキシコ等に送り出すための中継地に日本がなっている、としたのが日経新聞の記事であった。名古屋市西区にあった中国系企業がその中心になっていたという。

怖い点は、危険薬物の原料の輸出入に対する規制が厳しくないということで日本が選ばれたことである。日本政府は、疑わしい原料の取引をしている業者の監視を強める方針を7月2日に出した3。しかし、監視の強化はそう簡単なことではない。

かつて中国からは製造したフェンタニル自体が輸出されていた。しかし、アメリカからの圧力もあり、2019年、中国政府はフェンタニル類を包括的に国内規制薬物に指定した。しかし、前駆体と呼ばれる原料の中には、フェンタニル以外の薬物や農薬や化粧品等にも使われることがある種類も存在する。いわゆる二重用途の問題である。そうなると、疑わしい前駆体が見つかっても、それがフェンタニル製造に使われる確証を得るには、送付先を確認する必要まで出てくることになる。またある前駆体を取り締まり対象としても、規制を逃れるための新たな前駆体が生み出されるという「イタチごっこ」も起こる4。この辺が前駆体を取り締まる難しさである。

日本人にとっては、危険度が高い薬物(前駆体)が自国を経由しているというニュースは、日本国内における薬物蔓延に対する不安も掻き立てたであろう。最近フェンタニルの悪用事件が過去に二件あったことが報道されたが5、日本国内ではメキシコの麻薬カルテルが持っているような違法フェンタニルの製造拠点はまだ見つかっていないという。また、日本は画一的な皆保険制度によって、薬剤の処方が厳しく管理されており、上記のパデュー・ファーマの事例のように処方されたオピオイドによって中毒死が急増するようなことは起きない。

ただ問題なのは、日本にもフェンタニルなどの危険薬物が広がる社会的素地はあるということである。アメリカにおけるオピオイド危機などは、「絶望死(deaths of despair)」の問題の現れであると指摘したのは、プリンストン大学の経済学者であるアン・ケース(Anne Case)とノーベル経済学賞受賞者でもあるアンガス・ディートン(Angus Deaton)である。自信の喪失、将来への不安、社会からの孤立等がその背景にあるという6。

日本国内を見るとすでに絶望死が進んでいるとも言える。ケースとディートンは絶望死に自殺も含められるとする。OECD諸国の中でも日本の自殺率は高い。絶望感が深くなればなるほど、現実逃避のための薬物、それもフェンタニルのような強力な薬物に手を出す可能性が高まるというのは想像に難くない。違法フェンタニルが広まらないような社会を作っていく必要性を日本人も改めて認識すべきであろう。

日米関係への影響

日本が前駆体の経由地になっているというニュースは日米関係にも影響を与える可能性がある。岩谷外相は、この問題が現在進行形の関税をめぐる日米協議に影響を与えないと語った7。グラス駐日大使も「われわれはパートナーである日本と協力することで、こうした化学物質の日本経由での積み替えや流通を防ぎ、両国の地域社会と家族を守ることができます8」とX上で発言した。これだけ読むと、グラス大使はこの件を中国に対する牽制に使っているように見える。しかし、トランプ大統領がこの件について関税を始めとする日米交渉の「ディール」の材料として利用しない保証はない。

トランプ大統領は、これまでメキシコ、カナダ、そして中国に対して、フェンタニル問題と関税引き上げとを関連づけて議論してきた9。「経由地」だとされる日本は、製造拠点がある他の国とは状況が異なることは確かだが、その違いをトランプ大統領が見極められる可能性は低い。日本政府としては、麻薬の流出入の監視を徹底するための体制を整えながら、アメリカに対して今回の件についての事情説明に努め、改めて日米関係の重要性を訴えていく必要があるだろう。

(了)

  1. 「米国へのフェンタニル密輸、日本経由か 中国組織が名古屋に拠点」『日本経済新聞』、2025年6月25日、<https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN090A00Z00C25A5000000/>; 詳細については以下を参照。「フェンタニル密輸、名古屋経由か データの海に浮かんだ「日本のボス」『日本経済新聞』、2025年6月29日、<https://www.nikkei.com/article/DGXZQODL282DU0Y5A620C2000000/>, accessed on July 3, 2025. (本文に戻る)
  2. ココナッツの中に入れて大量のフェンタニルを運ぼうとした一例については以下を参照。“Mexican police find 660 pounds of fentanyl in coconuts,” AP, December 3, 2022, <https://apnews.com/article/mexico-caribbean-opioids-synthetic-a96ad44c8af3bacc70c98c6835e74813>, accessed on July 4, 2025.(本文に戻る)
  3. 「フェンタニル、疑わしい原料取引を監視 厚労省が事業者に報告求める」『日本経済新聞』、2025年7月2日、<https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB020EO0S5A700C2000000/, accessed on July 4, 2025.(本文に戻る)
  4. Lizbeth Diaz, “Mexico's navy warns dual use chemicals are boosting meth production,” Reuters, July 11, 2024, <https://www.reuters.com/world/americas/mexicos-navy-warns-dual-use-chemicals-are-boosting-meth-production-2024-07-10/?utm_source=chatgpt.com>, accessed on July 4, 2025.(本文に戻る)
  5. 「医療用合成麻薬『フェンタニル』悪用事件 国内2件報告 警察庁」『日本経済新聞』、2025年7月3日、<https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250703/k10014852731000.html>, accessed on July 8, 2025.(本文に戻る)
  6. アン・ケース、アンガス・ディートン『絶望死のアメリカ』(みすず書房、2021年)
    ※原著はDeaths of Despair and the Future of Capitalism, Princeton University Press (2020)(本文に戻る)
  7. 「フェンタニル輸出の日本拠点「日米協議に影響なし」 岩屋外相」『日本経済新聞』、2025年6月27日、<https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA276KY0X20C25A6000000/, accessed on July 4, 2025.(本文に戻る)
  8. ジョージ・グラス(@USAmbJapan)、2025年6月26日午後5時11分、<https://x.com/USAmbJapan/status/1938148208309358909>, accessed on July 4, 2025.(本文に戻る)
  9. カナダとメキシコに対するトランプ政権の対応事例については以下を参照。Akayla Gardner and Josh Wingrove「トランプ大統領、2月1日にカナダとメキシコに25%関税と重ねて表明」『Bloomberg』、2025年1月31日、<https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-01-30/SQX5LNT1UM0W00>, accessed on July 8, 2025.(本文に戻る)

「アメリカを揺さぶるオピオイド危機」シリーズ

  • 山岸敬和「アメリカを揺さぶるオピオイド危機⑤ トランプの関税政策と違法薬物問題との『ズレ』」
  • 山岸敬和「アメリカを揺さぶるオピオイド危機④ 「絶望」にはワクチンも治療薬もない」
  • 山岸敬和「アメリカを揺さぶるオピオイド危機③ 新型コロナ感染症 vs. オピオイド依存症」
  • 山岸敬和「アメリカを揺さぶるオピオイド危機②」
  • 山岸敬和「アメリカを揺さぶるオピオイド危機①」
 

その他関連の論考

  • アメリカ現状モニター「米国選挙(中間選挙・大統領選挙)関連論考などまとめ」
  • 山岸敬和「医療保険をめぐる政治の『地滑り』―ハリス、ワルツ、ヴァンスの影響
  • 山岸敬和「2024年大統領選挙におけるオバマケア」
  • 山岸敬和「中間選挙の『地雷争点』としてのオバマケア」
  • 山岸敬和「医療扶助大国アメリカ」
  • 山岸敬和「『静かすぎる』バイデンケア」
  • 山岸敬和「茨の道を進む『バイデンケア』」

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