トランプ vs. バイデン、最後の戦い
山岸 敬和
アメリカ大統領選挙戦は残すところ1ヶ月を切った。前回は政治経験が全くなく当初は泡沫候補だとみなされたドナルド・トランプが共和党の指名を受け、さらには一般選挙で勝利したことが多くの評論家や研究者を当惑させた。今回は、戦後最悪のパンデミックの中で行われる選挙になり、選挙戦の手法もこれまでと違っており、また注目される政策のポイントもこれまでの選挙とは異なる。
9月26日の段階で、アメリカの新型コロナの感染者数は700万人、死者数は20万人を超えている(日本はそれぞれ約8万人、約1,500人)。感染者の拡大は一時よりは緩やかになったものの収束に向かっているとは言えない。トランプ大統領は、初動の遅れ、専門家や科学を軽視する姿勢、経済を優先する方針によって状況を悪化させたと批判されている
新型コロナはアメリカ経済にも大きな打撃を与えた。ダウ平均は2月21日に29,551ドルであったのが、非常事態宣言発出後の3月23日には18,591ドルまで下落した。また失業率は2月には3.5%であったのが、4月には14.7%にまで上昇した。株価は8月までに23,000ドル超えをして持ち直す一方で、失業率は8月になっても8.4%までしか戻っていない1。
最重要争点
カイザーファミリー財団は、8月28日から9月3日まで投票行為に最も影響を及ぼす争点について世論調査を行った(図1)。その結果、経済32%、新型コロナ20%、法と秩序6%、人種間関係14%、医療制度10%となった2。2月の調査では医療制度が最上位(26%)だったが、パンデミックやBlack Lives Matter運動などの影響によって、現在はこのような順位になっている。
しかし、党派別に見ると様相がかなり異なってくる。経済を最重要争点とする共和党支持者は53%だが、民主党支持者は14%である。新型コロナは逆に民主党支持者が36%で、共和党支持者がわずか4%となる。その他人種間関係や医療制度も、より民主党支持者の方が重要視する。民主党から見たアメリカが、共和党から見たアメリカと大きく異なることが分かる。
今後の選挙戦では、各自の支持者に確実に投票に行ってもらうこと、そしてそれ以上に重要なのは、まだ投票行動を決めていない層にどのように訴えるかである。9月20日のNBC/Wall Street Journalの世論調査では、11%の有権者が誰に投票するか決めかねているという3。
<https://www.kff.org/coronavirus-covid-19/report/kff-health-tracking-poll-september-2020/> accessed on October 2,
難しい舵取りを迫られるバイデン
このような調査結果を見ると、トランプの戦略は単純明快となる。新型コロナで傷んだ経済を、少なくとも株価をかなりの程度まで回復させることができた力量を主張する。そしてこのパンデミックの中でリーダーを変えることで経済的な混乱が起こるに違いない、と不安感を煽る。Black Lives Matterに対しては「law and order(法と秩序)」を掲げて、人種間の格差問題には直接触れない。新型コロナに対しては、11月の選挙までに大規模な継ぎ接ぎ的な政策を実施し、ワクチンの正式承認まで何とか辿り着こうとする4。
何れにしても、トランプは経済を最重要争点として押し出し、現在の経済政策の路線を継続すべきだと訴える一点突破的な戦略をとる。前回に続き重要となるペンシルヴァニア州などのいわゆる激戦州では、経済分野での信頼度でトランプがバイデンよりも優位に立っている5。そして、他の問題については、「火消し作業的」な政策を行う。
他方、バイデンは採るべき戦略がトランプよりも複雑となる。バイデンは現職ではないため、トランプを批判するのみならず、新たな全体的な政策ビジョンを示さなければならない。しかしバイデンは、主張が「あれもこれも」になるだけでなく、矛盾を孕んだ複雑な政策パッケージを提示しなければならない、という困難がある。バイデンが抱える一番の困難は、黒人有権者を動員しながら同時に2016年にトランプに奪われた白人労働者階級を取り戻すことである。
トランプ政権の新型コロナ対応について批判すること、専門家をより信頼すると言うことは簡単であるが、具体的な対策案を示すとなると難しい。自分ならワクチンをもっと早く開発できるとは断言できないし、感染症の拡大を抑えるためには個人の行動の自由を抑制すべきだ、という部分に踏み込まざると得ない。「自粛疲れ」がアメリカにもあるし、マスク着用やワクチン接種の義務化に日本では考えられない反発がある中で、このような議論に強い支持は集まりにくい。
人種間関係についてバイデンは、1960年代に公民権法や投票権法が成立してもなお残る「systemic racism(社会制度として存在する人種差別)」を解消すべきだと訴える6。カマラ・ハリスを副大統領候補に選んだことはその姿勢を表すものであったが、具体的な積極的な政策を語ろうとすると、対象者を黒人に限定した福祉政策を主張せざるをえなくなる。これは政治的に不人気で、1980年代以降特定の人種・民族に限定しない「color-blind welfare policy」を継続してきた流れに反するものになる7。あまり強く主張すると白人労働者の反感を買い、さらには福祉政策の拡大による増税に対する反発も大きい。
医療制度の優先度が下がったこともバイデンにとっては不利に働くだろう。新型コロナによって医療制度の欠陥が改めて可視化された。これは低所得の黒人と白人をつなげる政策であるが、この機会をバイデンが改革運動に転換できていない。シングルペイヤー方式の「メディケア・フォー・オール」ではなく、パブリック・オプションの導入を主張することをバイデンは選択したが、この案は複雑で説明が難しい。さらには、トランプからは社会主義的政策であるとされ。格好の攻撃の的になる。
トランプが一点突破的な主張を展開するのに対して、バイデンは複雑で政治的に相反するものを含んだ政策パッケージを提示しなければいけない。政策を端的・簡潔に説明するのが苦手なバイデンが、9月29日に行われた第一回大統領選テレビ討論会でどのようなパフォーマンスを見せるのか、どのような国家ビジョンが語られるのかが注目される。
ここまで討論会前日に書き上げた。荒れた討論会になったが、政策論争については以上に述べたような展開になった。
第一回大統領選テレビ討論会
第一回目の討論会は、序盤からルールを無視してお互いの話に割って入り、品のない言葉で罵り合う大乱戦となった。明らかにトランプが嗾けた。それに対してバイデンは、意識的にトランプとはほとんど目を合わせず、司会者とカメラを見据えて話し、感情を抑制する努力が見て取れた。「寝ぼけたジョー」とトランプに渾名され、失言や言葉に詰まることが多かったバイデンであるが、この討論会では予想を超える善戦だった。
トランプはこれまでの株高を誇り、バイデンが当選すると経済が低迷すると警戒心を煽ろうとした。また新型コロナ対策では、感染拡大の原因は中国であり、政権としては適切な対処をしてきていると主張した。バイデンに対しては、急進左派という言葉を多用し、アメリカの伝統的価値にとって危険であると攻撃した。他方バイデンは、新型コロナ対策について、トランプ自身がパニック状態に陥って状況を悪化させたと批判した。また彼は民主党予備選挙で急進左派を破ったことを強調し、彼が提案する医療保険、環境、警察等に関する政策は決して急進的なものではないと主張した。
討論会の一番のヤマ場は、人種差別をめぐる議論であった。「白人至上主義者を非難するか」と司会者に聞かれたトランプは明確な回答を避け、さらに「stand back and stand by(少し離れて待機せよ)」と述べ存在を擁護するような発言をした。討論会でこのような発言をしたことは衝撃を持ってメディアでも伝えられた。他方バイデンは、分断や憎しみを生み出したとしてトランプを強く非難。人種差別問題は未だ根深く残っており、解決のために逃げてはいけないと主張した。
図2は討論会前後のトランプ、バイデン両氏への好感度についての調査結果である。バイデン(青)が無党派層の中で好感度を上げていることが見て取れる。激戦州の中のまだ投票行動を決めかねている人々に今回の討論会がどのように映ったのだろうか。
大統領選挙は最終局面に入った。第一回目の討論会ではトランプは劣勢の流れを変えることができなかった。さらにその直後にはトランプが新型コロナに感染した。まさに「オクトーバー・サプライズ」であった。この出来事が今後の選挙戦にどのように影響するのかは、トランプの容態次第というところもあり、今のところは予想できない。ただ、今回の討論会に象徴されるように、選挙戦が最後まで(さらに投票日後も)もつれるだろう。この混沌とした状況が、アメリカを統合するための新たな国家像を生み出すために必要な過程であることを願う。
<https://www.washingtonpost.com/politics/2020/09/30/reliable-polls-show-that-biden-won-debate-so-those-arent-what-trumps-allies-are-highlighting/> accessed on October 2,
- Civilian Unemployment Rate, U.S. Bureau of Labor Statistics,
<https://www.bls.gov/charts/employment-situation/civilian-unemployment-rate.htm> accessed on October 2, - Liz Hamel, Audrey Kearney, Ashley Kirzinger, Lunna Lopes, Cailey Muñana, and Mollyann Brodie, “Top Issues in 2020 Election, The Role of Misinformation, and Views on A Potential Coronavirus Vaccine,” Kaiser Family Foundation, September 10, 2020,
<https://www.kff.org/coronavirus-covid-19/report/kff-health-tracking-poll-september-2020/> accessed on October 2, - Mark Murray, “After a tumultuous month of news, Biden maintains national lead over Trump,” NBC News, September 20, 2020,
https://www.nbcnews.com/politics/meet-the-press/after-tumultuous-month-news-biden-maintains-national-lead-over-trump-n1240501> accessed on October 2, - ワクチン承認をめぐるトランプとFDA(アメリカ食品医薬品局)と争いは以下を参照。 Paul LeBlanc, “ Trump claims White House can overrule FDA's attempt to toughen guidelines for coronavirus vaccine, CNN, September 24, 2020,
<https://edition.cnn.com/2020/09/23/politics/trump-fda-coronavirus-vaccine/index.html> accessed on October 2, - Heather Long and Jeff Stein, “Trump’s lead over Biden on the economy appears vulnerable, a potential turning point,” The Washington Post, September 10, 2020,
<https://www.washingtonpost.com/business/2020/09/10/trump-biden-economy-2020/> accessed on October 2, - 両候補者の人種問題への姿勢については以下を参照。
Tyrone Beason, Trump and Biden couldn’t be more different on the complicated issue of race, Los Angeles Times, August 17, 2020,
<https://www.latimes.com/politics/story/2020-08-06/trump-biden-race-policy> accessed on October 2, 2020. - 西山隆行『アメリカ型福祉国家と都市政治』(東京大学出版会、2008年)