「プロチョイス・カトリック」のバイデン
渡辺 将人
ケネディの時代との違い
バイデンは1928年のアル・スミス、1960年のジョン・F・ケネディ、2004年のジョン・ケリーに次いでカトリック信徒として指名を受ける史上4人目の大統領候補である(いずれも民主党)。だが、1960年のケネディと2004年のケリーの間には同じ民主党のカトリック候補でも大きな違いがある。
ケネディが選挙戦を戦った当時、アメリカの宗教票は比較的単純な区割りを呈していた。ケネディの得票率はカトリックの78%、プロテスタントの37%と、「カトリック票」という均一的な投票行動が存在していた。しかし、1970年代以降、フェミニズム運動第2波が民主党を直撃した。1973年に連邦最高裁判所で人工妊娠中絶合法化判決が下り、民主党ではマクガバン委員会の代議員改革により党大会の代議員の女性比率が引き上げられ、労働者の政党だった民主党は進歩色を増した。人工妊娠中絶の選択権(プロチョイス)は民主党政治家に拒否できない踏み絵になり、カトリック(プロライフ)として出馬することは女性団体を敵に回すことと同義になった。
その意味では、2004年のケリーは女性とカトリック教会の双方を満足させる答えがないという重荷を背負った史上初めてのカトリック信徒の大統領候補だった。2004年のケリーが抱えていたカトリック候補としてのハンディは小さくなく、2004年ケリー陣営のカトリック・アウトリーチは民主党選挙史においても有数の難しい職務だったと言える。バイデン陣営はそれと同じことに挑戦しようとしている。
人工妊娠中絶の争点化の度合いが鍵
2004年のケリーの曖昧戦略と異なり、今回のバイデンは堂々と「プロチョイス」のカトリックとして出馬している。バイデンは人工妊娠中絶に連邦政府の資金を用いることを禁止するハイド修正条項に反対している。「プロチョイス」はフェミニストだけのアジェンダではなく、民主党候補であれば賛同すべき公式見解になりつつある。リベラルな女性有権者は今や中核的な存在であり、反トランプ運動もワシントンの「女性の行進」から始まった。「女性」とカトリックを単純に天秤にかければ、民主党候補は「女性」を選ばざるを得ない。
これはカトリック票の多元性と関係する。人工妊娠中絶をめぐる「プロチョイス」は民主党における女性票にとっては唯一無二のシングルイシューだが、カトリックにとっては「プロライフ」は譲れない重要争点ではあるものの関心事はそれだけではない。そのため、カトリック票を獲得する秘訣は逆説的だが、人工妊娠中絶を語らないことにある。そこに触れれば「プロライフ」を迫られ、民主党候補としては追い詰められる。話題を逸らし続け、人工妊娠中絶をアジェンダ化させないのが勝利の方程式であり、その成否は、相対的に人工妊娠中絶の問題を薄めるカトリックが重視する他の争点が、その選挙サイクル中に浮上するかどうかに依存する。
例えば、2008年にオバマがバイデンを副大統領候補に選んでもカトリック対策上の足かせにならなかったのは、当時のリベラル系カトリック信徒にとってイラク戦争が喫緊の課題だったからだ。2004年のケリーが不幸だったのは、時期的にまだイラク戦争の泥沼化への認識が完全に浸透し尽くす前だったことと、ロー対ウェード判決以降の初めてのカトリック大統領候補の登場で、中絶非合法化への期待値がカトリック信徒内で極限まで高まったことにある。
リベラル派カトリックの人工妊娠中絶「新解釈」
今回、カトリック票は何を重視するかで鮮明に割れている。保守系カトリックは人工妊娠中絶の非合法化にあと一歩という状況下にあって福音派と同様にトランプ支持の立場である。2名の保守系判事を連邦最高裁に送り込んだトランプの有言実行への「信頼」もある。しかし、リベラル系カトリックは反トランプを強めている。彼らの中では人工妊娠中絶を超える「悪」がある。即ちトランプが再選した方が中絶非合法化には望ましいが、それ以上の害悪をもたらすトランプを阻止しなければならない、という考えだ。その批判の根底にあるのは道徳性(morality)という概念である。ワシントンで20年近く活動しているカトリック団体の関係者は次のように説明する。
「人工妊娠中絶は邪悪(evil)なもので反対している。しかし、カトリックの教えでは、罪(sin)の方が、人命が失われることよりも望ましくなく、それは罪が魂、神との関係を傷つけるから」だとした上で、罪の定義として「a: 道徳的に間違っている」「b: 道徳的に間違っていると認識している」「c: 様々な選択肢の中で自由に選んでいる」ことを挙げ、「人工妊娠中絶をしている人の多くは殺人をしていると考えていないので、道徳的に悪いことをしていると自覚していないとすれば、神は自覚的に道徳的な間違いをした人と別の裁きの仕方をする」と解説する。そのため彼らのような解釈をするカトリック信徒は、死刑の方が人工妊娠中絶より罪が重いと考えている。
この解釈に基づき民主党支持に近いリベラル派のカトリック信徒は信心深いものほど人工妊娠中絶を棚上げし、トランプ離反に傾いている。決して世俗的な理由ではなく、信仰の度合いは極めて敬虔なグループが教義に基づいて人工妊娠中絶を棚上げするのは、トランプ時代以前には見られない新潮流である。
彼らは大統領の道徳性(morality)を重視する論理を組み立てている。「尊厳、同情、共感なしに人を罵る姿勢が悪い手本として広まりアメリカの道徳的衰退を招く」として、トランプ政権の移民政策を非道徳的として非難している。また、「独裁者を讃えて人権を軽視する姿勢がアメリカの外交の道徳性を低下させる」と外交にも不安感を示す。また、リベラル派のカトリックは、人工妊娠中絶そのものについても、仮に最高裁判所の判事が保守系で占められてもロー対ウェード判決がひっくり返るとは限らない上に、新たな怨念を招き、それによりかえって永久には人工妊娠中絶を止めることはできなくなると考え、トランプのやり方に懐疑的な立場を強めつつある。一つ一つの州が人工妊娠中絶を禁じる州レベルの判断を重視し、世論を「プロライフ」にしていく長期戦が重要だと考えている。
信仰心ギャップと党派ギャップ
ケネディの時代はカトリック票がアイルランド系、イタリア系、スラブ系、ポーランド系など当時の新移民のマイノリティ票と同義語でもあった。その後、彼らは共和党にも分散していった。現代のヒスパニック系もカトリックで民主党支持に比重があるが、経済的に安定した暁には人工妊娠中絶を絶対とする有権者は民主党を支持し続ける保証はない。
現代の選挙との関係で重要なのは、カトリック票、福音派票という宗派別の括りにとらわれない潮流が見られることだ。第一層は「信仰心ギャップ」である。信仰心が強い集団と世俗的な集団の分断のほうが、プロテスタント信徒、カトリック信徒、ユダヤ教徒という区分よりも顕著なギャップとして投票行動に結びついている傾向は2000年代から顕在化している。ただ、その中でも第二層としてカトリックに関しては、信仰心が強い者の中でも、人工妊娠中絶と同性婚だけに拘泥するか(保守派)、それ以外の移民や経済を幅広く重視するか(リベラル派)で割れている。
ジョージ・W・ブッシュはイラク戦争でリベラル派カトリックの反発を招いたが、トランプと違って本人は敬虔なクリスチャンであった。トランプは、候補者本人の信仰を度外視して、政策実現性だけを優先するプラグマティックな福音派と保守系カトリックに支えられている。他方で信仰心が強いカトリックでもリベラル派は、トランプを移民、人道的外交、再分配重視の経済、医療保険政策などで「不道徳」であると認定する。前者が争点を狭く選び、政策実現を具体的で短期的なものと考えているのに対して、後者は人工妊娠中絶だけを絶対視せず抽象的、長期的な視野で投票行動を考えている。
この傾向は「プロチョイス・カトリック」という一昔前ならば許されなかったバイデンの立場に延命をもたらしている。一般的にカトリック信徒はカトリックの候補者には採点が厳しくなるが、トランプという相手と社会情勢にバイデンは救われる可能性もある。4月以降の新型コロナウイルスの深刻化以後、信仰別トランプ支持率で最も急激な落ち込みを示しているのが白人カトリックであり、5月には特定の信仰を持たない集団とほぼ同じ30%台にまで落ち込んだ。(図1) 今後はジョージ・フロイド氏の事件に端を発する全米の抗議デモの影響も反映されることが予想される。
トランプ陣営は人工妊娠中絶の争点化を加速するだろう。人種問題などでトランプに批判的になりかねない保守系カトリックの意識をそちらに向けない上でも、福音派の動員と投票率のためにも、バイデン攻撃のためにも特効薬になるからだ。全てのカトリック信徒が人工妊娠中絶を完全に棚上げできるわけではないだけに、中道的なカトリック信徒にバイデンがプロチョイスであることをリマインドする戦略は有効になろう。民主党がどのようにこの攻撃をかわすのか注目点となる。
(了)
<https://www.prri.org/research/president-trumps-favorability-ratings-recede-from-marchs-peak/> accessed on June 16, 2020.