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論考シリーズ | No.186 | 2025.10.8
アメリカ現状モニター

アメリカを揺さぶるオピオイド危機⑦
フェンタニルを止めろ!

山岸 敬和
南山大学国際教養学部教授

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2025年9月2日、ベネズエラ籍とされる船舶に対し、公海上で米軍による軍事攻撃が行われた。その際には11名が死亡したと報じられている。その後も二度にわたり同様の攻撃が行われ死者を増加させた。トランプ政権は標的を「麻薬テロリスト1」と位置づけ、ベネズエラ発の麻薬密輸ネットワークを断つための措置だと主張したが、正当性や証拠の提示をめぐって国際的な議論が高まった2。

この船舶に実際にフェンタニルが積まれていたかどうかは、公表されていない。しかし、トランプ政権としてこのような行為に及んだのは、国内において危機的な状況になっているフェンタニル問題に断固として取り組んでいるという姿勢を示す狙いがあったと見られる。このコラムでは、フェンタニル問題に対してトランプ政権が最近講じている政策とその効果を考えたい。

「フェンタニルを止めろ法」

2025年7月16日、Halt All Lethal Trafficking of Fentanyl Act(以下、HALTフェンタニル法)が成立した。意訳すると「アメリカ人の命を奪うフェンタニルの違法流通を全て止める法」となるだろう。トランプ大統領は署名式において「正義への歴史的な一歩だ3」と強調した。

同法により、フェンタニル関連化合物(構造的に類似する化合物を含む)が規制物質法上のスケジュールIに恒久的に分類され、不法な製造・流通・所持には最も厳しい規制と刑罰が適用される。トランプ大統領は「密売者は最低10年の刑に処される」と署名式で強調しており、刑罰強化を前面に打ち出している4。

フェンタニル問題への対応が難しいのは、違法に流通するものがある一方で、医療用鎮痛剤として合法的に使用されることにある。医療用の使用があるため、フェンタニルの研究が必要となる。しかし、今回のスケジュールI指定は研究や医療開発に深刻な制約を与える。そのための対応として、同法には研究目的での利用手続きを簡素化する条項も盛り込まれた5。

HALTフェンタニル法が実効性をもたらすかどうかは未知数である。過去を振り返れば、第一次トランプ政権下で公衆衛生の非常事態宣言が出されたものの、十分な予算や人員が措置されなかったため、その成果は限定的であったと批判された6。今回のHALTフェンタニル法も刑罰強化を訴えてはいるが、取り締まり体制に今後どの程度の予算的・人的資源が割かれるのかは注目すべきである。また、フェンタニル研究に関する規定についても、研究者の要望にどの程度柔軟に応えられるのかをめぐって議論が続いている。

国際的取り締まりおよび金融制裁の強化

トランプ政権は、国際的な取り締まりと金融制裁への動きも強めている。アメリカ財務省はフェンタニル危機への国際的対応の一環として、インドの個人やオンライン薬局に対して制裁を発動した。これらを制裁対象者リスト、すなわちSDNリストに追加することにより、アメリカ管轄下にある資産が凍結される、アメリカ人との取引が禁止される、ドル建ての取引が禁止される等により、被指定者は国際的な経済活動が非常に困難になる7。

さらに、中国からのフェンタニル前駆体の資金調達を支援していたとしてメキシコの複数の金融機関に強力な制裁が課された。財務省の下部機関であるFinCEN(Financial Crimes Enforcement Network)は、「主要マネーロンダリング懸念機関」としてCIBanco、Intercam Banco、Vector Casa de Bolsaらの金融機関を認定した。上記のSDNリストの場合とは異なり、これによって資産凍結のような処置はないが、この認定によって当該金融機関は事実上米国の金融システムから排除された8。

このような国際的制裁措置は、フェンタニル危機への対応を単なる国境管理や押収強化から、より国際的で戦略的な段階へと進めていることを示している。前駆体の供給、資金移動、最終的な流通までを一体的に断つことにより、供給網全体の機能を弱体化させる狙いである。違法薬物対策が国際経済安全保障の重要課題として位置付けられつつある。

Whack-A-Mole(モグラ叩き)

トランプ大統領はHALTフェンタニル法の署名式において「我々は街から麻薬の売人や密売人を一掃し、薬物過剰摂取の流行を終わらせるまで決して手を休めない9」と発言した。しかし、現在進行しているフェンタニル流通に対する取り締まり強化だけでは、海外からの違法フェンタニルの流入を防ぐには限界があり、違法麻薬の蔓延を引き起こしている根本原因を取り除くことはできない。

フェンタニルの流通を抑制することが難しい背景には、まず前駆体となる化学物質の多様性が存在する。フェンタニルは合成過程が比較的単純であり、複数の異なった前駆体を用いることが可能であるという点が特徴的である。そのため、ある化合物が規制されても、構造をわずかに変えた類似体がすぐに登場し、規制を回避することができる。この状況は「モグラ叩き」と呼ばれ、規制が常に後追いとなるのが現状である10。

また、フェンタニルは数ミリグラムで致死量に達するほど強力であり、ヘロインやコカインと比べてもはるかに少ない体積で同じ作用を起こすことも取り締まりを難しくする。封筒や小包などの国際郵便を通じて、フェンタニルは容易に米国内へ流入し得るため、税関や国境警備によるスクリーニングだけで完全に阻止することは現実的に困難である11。小規模な取引であっても莫大な利益を生むため、密輸業者にとっては極めて魅力的な商材となっている。

さらに、流通ネットワークの多様性も問題を複雑化させる。カルテルのような大規模組織にとどまらず、ダークウェブやSNSを介した個人取引へと拡大している12。この分散的かつ柔軟なネットワークは摘発が難しく、仮に摘発が行われても新たなルートや手法に迅速に切り替えられるため、当局は常に後手に回る傾向にある。このようなことがフェンタニル供給網の根絶を困難にする大きな要因である。

アメリカは国際協調やHALTフェンタニル法などによって規制強化を進めているが、どのような取り締まりにも抜け穴は存在し、法律の名称が示すように「フェンタニルの違法流通を全て止める」ことは現実的には不可能である。依存症治療、予防教育、代替鎮痛薬の普及といった「需要側」への対応も、供給側対策と並行して進める必要がある13。トランプ政権下では、これらの分野における新たな包括的政策は、現時点ではまだ実行に移されていない。ただし、仮に需要側への対策が強化されたとしても、問題の根本的解決には依然として長い時間を要すると考えられる。

一度このような薬物が広がり、需要を生み出してしまえば、事態の収拾は極めて困難になる。2024年のフェンタニル関連中毒死者数は、2023年比で約3割減少しており、上昇傾向はようやく落ち着きを見せている。それでもなお48,422人が命を落としている。オピオイド危機が20年以上続くなかで、アメリカ国民の約3割が家族にオピオイド依存症の経験者を抱えているという調査結果もある14。このような状況は、トランプ大統領による今回の軍事行動に一定の支持が集まる背景にあると考えられる(世論調査については注2を参照)。しかし、軍事的対応を繰り返したとしてもフェンタニルの流入を根本的に減らすことは難しい。今後、トランプ政権が違法フェンタニルの「供給」と「需要」の両面に対して、単なるレトリックにとどまらず、どのような実質的な取り組みをいかに継続的に進めていくのかを注視していく必要がある。

(了)

  1. Phil Stewart, Idrees Ali and Steve Holland, “US military kills 11 people in strike on alleged drug boat from Venezuela, Trump says,” Reuters, September 4, 2025, <https://www.reuters.com/world/americas/us-military-kills-11-people-strike-alleged-drug-boat-venezuela-trump-says-2025-09-03/>, accessed on September 29, 2025. (本文に戻る)
  2. 「アメリカ国民は、ベネズエラから麻薬を密輸していると疑われる船舶を米国が破壊することを支持しますか、それとも反対しますか?」と聞いたアメリカ国内の世論調査では、「強く支持する」と「ある程度支持する」を合わせて44%、「強く反対する」と「ある程度反対する」で38%という結果であった。無論「アメリカが軍事力を行使してベネズエラに侵攻することを支持しますか、それとも反対しますか?」という質問になると、前者が16%、後者が62%になる。それでも今回のトランプ政権の軍事行動に対する支持が反対を上回ったことは、「内向き傾向」が指摘されているアメリカにおいて興味深い結果であると言える。YouGov, “Jimmy Kimmel, civil rights, Ukraine aid, tariffs, Venezuela, and King Charles III: September 19-22, 2025 Economist/YouGov Poll,” September 19-22, 2025, <https://today.yougov.com/politics/articles/53042-jimmy-kimmel-civil-rights-ukraine-aid-tariffs-venezuela-king-charles-iii-september-19-22-2025-economist-yougov-poll>, October 4, 2025; YouGov, “Venezuela,” September 5-8, <https://ygo-assets-websites-editorial-emea.yougov.net/documents/Venezuela_poll_results.pdf?utm_source=chatgpt.com>, accessed on October 4, 2025.(本文に戻る)
  3. Donald J. Trump, “Remarks on Signing the Halt All Lethal Trafficking of Fentanyl Act and Exchange With Reporters,” The American Presidency Project, July 16, 2025, <https://www.presidency.ucsb.edu/documents/remarks-signing-the-halt-all-lethal-trafficking-fentanyl-act-and-exchange-with-reporters, accessed on September 29, 2025.(本文に戻る)
  4. 同上。(本文に戻る)
  5. 同法については以下を参照。US Congress, “Public Law 119–26: Halt All Lethal Trafficking of Fentanyl Act,” Congress.gov, July 16, 2025, <https://www.congress.gov/119/plaws/publ26/PLAW-119publ26.pdf>, accessed on September 29, 2025.(本文に戻る)
  6. “Trump called drug addiction a national ‘scourge,’ but some say he could be doing more,” Los Angeles Times, October 21, 2020, <https://www.latimes.com/science/story/2020-10-21/trump-called-drug-addiction-a-national-scourge-but-some-say-he-could-be-doing-more?utm_source=chatgpt.com>, accessed on October 4, 2025.(本文に戻る)
  7. “US sanctions Indian nationals and online pharmacy for supplying 'counterfeit fentanyl-laden pills,’” The Economic Times, accessed on September 24, 2025, <https://economictimes.indiatimes.com/industry/healthcare/biotech/pharmaceuticals/us-sanctions-indian-nationals-and-online-pharmacy-for-supplying-counterfeit-fentanyl-laden-pills/articleshow/124096451.cms?from=mdr, accessed on September 29, 2025.(本文に戻る)
  8. David Lawder and Kylie Madry, “US targets three Mexican financial institutions under fentanyl sanctions,” Reuters, June 26, 2025, <https://www.reuters.com/business/finance/us-prohibits-certain-deals-with-three-mexican-banks-under-fentanyl-sanctions-2025-06-25/>, accessed on September 29, 2025.(本文に戻る)
  9. Donald J. Trump, “Remarks on Signing the Halt All Lethal Trafficking of Fentanyl Act and Exchange With Reporters.” The American Presidency Project, July 16, 2025, <https://www.presidency.ucsb.edu/documents/remarks-signing-the-halt-all-lethal-trafficking-fentanyl-act-and-exchange-with-reporters>, accessed on September 29, 2025.(本文に戻る)
  10. Chao Wang et al., “The Evolving Regulatory Landscape for Fentanyl: China, India, and Global Drug Governance,” International Journal of Environmental Research and Public Health 19, no.4(2022) : accessed on September 29, 2025, doi:10.3390/ijerph19042074, <https://www.mdpi.com/1660-4601/19/4/2074>, accessed on September 29, 2025.(本文に戻る)
  11. “The flow of fentanyl: In the mail, over the border,” The Washington Post, August 23, 2019, <https://www.washingtonpost.com/investigations/2019/08/23/fentanyl-flowed-through-us-postal-service-vehicles-crossing-southern-border/>, accessed on October 4, 2025.(本文に戻る)
  12. Courtney Kan et al., “Overview: From Mexican labs to U.S. streets, a lethal pipeline,” The Washington Post, December 12, 2022, <https://www.washingtonpost.com/investigations/interactive/2022/fentanyl-crisis-mexico-cartel/>, accessed on October 4, 2025.(本文に戻る)
  13. The American Public Health Association “An Equitable Response to the Ongoing Opioid Crisis,” October 25, 2021, <https://www.apha.org/policy-and-advocacy/public-health-policy-briefs/policy-database/2022/01/07/an-equitable-response-to-the-ongoing-opioid-crisis?utm_source=chatgpt.com>, accessed on October 7, 2025.(本文に戻る)
  14. Grace Sparks et al., “KFF Tracking Poll July 2023: Substance Use Crisis And Accessing Treatment,” The Kaiser Family Foundation, August 13, 2023, <https://www.kff.org/other-health/kff-tracking-poll-july-2023-substance-use-crisis-and-accessing-treatment/?utm_source=chatgpt.com#b1493bab-8c08-4113-8a94-ad679dc8920e--the-substance-use-crisis-in-the-u-s>, accessed on October 7, 2025.(本文に戻る)

「アメリカを揺さぶるオピオイド危機」シリーズ

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