アメリカを揺さぶるオピオイド危機 ⑩
歴史的に繰り返す社会不安と薬物規制
山岸 敬和
現在のアメリカ政治では、フェンタニル問題が「国境」「治安」「国家安全保障」といった言葉と共に語られる場面が増えている。しかし、薬物問題がこのように社会秩序や統治の問題として位置付けられるのは決して新しいことではない。前回の論考では制度的側面からこの傾向について考察したが、本稿では視点を変え、戦争や人口移動、都市化といった社会の不安定化が、どのように薬物問題を政治化させ、統制の強化を正当化してきたのかをたどる。こうした歴史的文脈を理解することは、現在進行形のフェンタニル問題の構造的背景を読み解くうえでも不可欠であると考える1。
戦争と薬物
市民の大量動員を伴う戦争は、薬物の利用と管理の必要性を認識させる契機となった。南北戦争期には、オピオイドの一種であるモルヒネが兵士の痛みを和らげるために広く使用されたが、当時は依存リスクに対する管理体制が十分ではなく、少なからぬ依存者を生み出した。第二次世界大戦期には、疲労を抑え戦闘能力を維持する目的でアンフェタミン系刺激薬などが軍によって支給され、薬物は動員体制の一部として組み込まれた。さらにベトナム戦争期には、引き続きアンフェタミン系刺激薬が使用される一方で、兵士が主に現地で入手するヘロインやマリファナの使用が広がり、軍の統制を超えた薬物依存の問題が顕在化した。これらの事例は、戦争と薬物利用が結びついてきたことを示している。
戦争は、単に薬物の需要を増加させるだけではない。戦時動員の過程で広がった薬物使用は、動員が解除された後も社会の中に痕跡を残す。退役軍人の復帰とともに依存の問題が社会の中で可視化され、それは社会不安を引き起こした。こうした状況は、薬物をめぐる社会的懸念を高め、管理を強化すべきだという議論が展開される土壌を形成した。戦争それ自体が直接的に厳罰主義を生んだというよりも、戦争によって社会に拡散した薬物とそれをめぐる不安が、より強い管理を求める政治的文脈の一部となったのである。
人口移動と都市化
戦争に加え、人口移動や都市化もまた、アメリカ社会に大きな変動をもたらしてきた。19世紀後半以降、WASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)以外の移民が大量に流入し、同時に急速な都市化が進行した。また南北戦争後には南部から北部へと多くの黒人が移動し、都市の人口構成は大きく変化した。こうした人口移動は、経済成長を支える原動力になった一方で、既存の社会秩序が大きく揺らいでいるのではないかという不安を人々の中に生み出した。都市部では貧困、失業、劣悪な居住環境、犯罪などへの懸念が高まる中で、薬物はしばしば「秩序の崩壊」を象徴する問題として語られるようになる。
そしてそのナラティブは「誰が」社会秩序を揺るがしているのか、という原因を求める問いに行き着く。移民国家のアメリカでは、こうした不安が特定の民族・人種集団へと向けられる傾向があった。19世紀末にはアヘンが中国系移民と関連付けられ、20世紀初頭にはコカインが南部の黒人労働者、さらに1930年代にはマリファナがメキシコ系移民と結び付けられる言説が広がった。
こうした言説は必ずしも実態を正確に反映したものではなかったが、急速な人口移動や都市化に伴う不安を表現する枠組みとして機能し、規制や取り締まりを強化することを正当化する論拠の一部となった。そしてアメリカの薬物対策を厳罰主義に向かわせる強力な原動力となった。
社会不安と統治の連鎖
戦争、人口移動、都市化といった大規模な社会変動が起こるたびに、薬物問題は統治能力の試金石として政治化されてきた。社会が不安定化すると、人々は「何が秩序を脅かしているのか」という原因の説明を求め、その過程で薬物が象徴的な対象として選ばれることが少なくなかった。上述したように薬物が特定の「外部者」である民族・人種グループに結び付けられ、「敵」とされるのもこの過程の産物である。規制の取締りの強化は、必ずしも薬物使用の実態の変化だけに対応したものではなく、社会不安に対する政治的な対応として推進されてきた側面も持つ。
こうした歴史的パターンは、その後の政策選択にも長期的な影響を与え続けた。薬物問題が社会不安と結びつき、統治と秩序の問題として語られる枠組みが一旦確立されると、新たな薬物が登場した際にも、同様の説明様式や政策手段が採られやすくなる。つまり、薬物政策は、個別の物質の危険性だけで決定されるのではなく、過去に形成された不安の語りや制度的対応の蓄積の上に重ねられていくのである。
新たな不安とフェンタニル
21世紀に入り、アメリカ社会が直面する薬物問題は、従来とは異なる社会不安と結びつくようになった。フェンタニルを中心とするオピオイド危機は、従来の犯罪増加や特定のマイノリティ集団への偏見といった枠組みだけでは説明しきれない広がりを見せた。とりわけ中西部やアパラチア地域などで、製造業が衰退し地域経済が停滞したことからくる社会不安が、薬物蔓延の根底にあった。
特徴的だったのは、白人労働者層の被害が目立ち、依存症は「逸脱」や「犯罪」というよりも、経済的・社会的疲弊の帰結として認識される余地を持ったことである。この点は重要である。被害が白人層に集中したことは、薬物問題を特定のマイノリティ集団と結びつけて語る構図ではなく、依存症を医療や公衆衛生上の危機として捉える政治的空間を一定程度広げたと言えよう。
現在のオピオイド危機の背景には、このように、これまでとは質的に異なる社会的不安が存在した。つまり、本来であれば過去の積み重ねの延長ではなく、対応の枠組みも変わり得たはずであった。しかし結論を先取りすれば、「危険な他者」を設定するフレーミングそのものは消えなかった。焦点は国内の特定集団から、別の対象へと移動していく。この点については、続編の論考で詳しく論じたい。
(了)
- 戦争、人口移動、都市化、地域経済などによる社会不安に注目した薬物政策史については以下などを参照。David T. Courtwright, Dark Paradise: A History of Opiate Addiction in America (Cambridge, MA: Harvard University Press, 2001); Kathleen J. Frydl, The Drug Wars in America, 1940–1973 (Cambridge: Cambridge University Press, 2013); Sam Quinones, Dreamland: The True Tale of America’s Opiate Epidemic (New York: Bloomsbury Press, 2015).(本文に戻る)